16話 私だけの 〈マクシミリアンside〉
(シア……!)
まだ日が沈む前。
マクシミリアンは、馬を急かすように手綱を振るい、王城への道を走っていた。第二師団の紋章が刻まれたプレートを着けた黒馬が、蹄の音を硬く響かせている。
『聖女様が、王太子妃に――』
つい先刻、第二師団の庁舎で開かれた師団長の集まり。王城勤務の第一師団の副師団長が口にした言葉に、マクシミリアンは耳を疑った。
フィオレンツァ王国の“聖女”はただ一人――オルテンシアだけだからだ。
『そんなはずはありません』
即座に否定した彼の声が耳に入らないかのように、場の空気は祝福に満ちていた。
『大臣たちの噂になっているよ。聖女様は王妃殿下とも親しくされているそうだ』
『ついに王太子殿下もご婚約か。お相手が聖女様なら、この王国も安泰だな』
にこやかに言葉を交わす彼らを前に、マクシミリアンは立ち尽くすことしか出来なかった。
(嘘だ……何かの間違いに決まっている)
浮かんだ記憶を振り払うかのように、マクシミリアンは手綱をきつく握り締めた。
先日、オルテンシアが『聖女』になることが決まった日、国王陛下は確かに仰ったのだ。
『婚約式の日取りを決め、報告するように』と――それなのに、王太子の妃にするはずがない。そのはずだ。そう、マクシミリアンは胸の内で繰り返した。
(だが、シアはあまりに可憐だ……アンドレアス殿下が見初めてもおかしくはない――)
アンドレアスは、間もなく二十歳を迎える美しい王子だった。オルテンシアとは年も近く、王太子としての人望も厚い。
脳裏をよぎったのは、王城で仲睦まじく過ごす二人の姿。――マクシミリアンの心は、不安と焦燥に蝕まれていくようだった。
「シア……」
マクシミリアンは、休憩時間に大通りに出てはドレス店のショーウィンドウを眺め、宝石店では幾つもの婚約指輪と睨み合った。
ドレス店に彼女を連れて行き、指輪と愛の誓いを捧げる日を心待ちにしていたのだ。
(シア……どうか嘘だと言ってくれ……!)
マクシミリアンは、王城へ続く道を馬で駆け抜けた――
◇
その頃、王城のオルテンシアの部屋では、穏やかな時間が流れていた――
「へぇ……大したものだなぁ。朝から晩まで縫い続けて、疲れてしまうだろう?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、不思議と疲れは感じませんの」
「そう……それも、『女神の加護』の力なのかもしれませんわね」
オルテンシアの向かいのソファには、王太子アンドレアスと王妃エリザベッタが腰を下ろしていた。
ソファから移動させられた白ウサギは、オルテンシアがいつも使っている椅子にくたっと座っている。
部屋の中には、最高級の紅茶と甘い焼き菓子の香りが漂っていた。
「そういえば、大公家のマクシミリアン卿との結婚が決まったそうですわね」
「それはおめでとう。だが、まさかマクシミリアン卿とはね……」
不思議そうに見つめたオルテンシアに、王太子は口元を緩める。
「彼は『一生独身を貫くのでは』と言われていたからね……少し驚いてしまって」
「まあ、そうだったのですね……」
オルテンシアはそう返しながらも、初めて会った日に『万年独身』と身内に呼ばれているとマクシミリアンが教えてくれたことを思い出していた。
そのとき、どこか焦ったようなノックの音が響き、オルテンシアたちは扉に顔を向けた。
「失礼致します。マクシミリアン卿がお見えです」
開かれた扉から、慌てたように入ってきたのはマクシミリアンだった。いつもと違い、彼の艶のある黒髪は少し乱れていた。
「マクス様」
ふわりと微笑んだオルテンシア。
王妃と王太子の傍らに座る彼女の姿に目を留めると、彼の青い瞳は、より一層焦燥の色に染まった。
「シア……!」
「今日は、お仕事が早く終わられたのですか?」
嬉しそうに立ち上がったオルテンシアに素早く歩み寄ると、マクシミリアンは彼女の腕を引き寄せ、王太子と王妃を真っ直ぐに見つめた。
「シアは――オルテンシア嬢は、私の花嫁になる女性です!」
入ってくるなり、そう力強く宣言したマクシミリアンを、王妃と王太子は唖然と見つめた。
「マクス様……?」
恥じらいと戸惑いが入り混じったかのような表情のオルテンシアを抱き寄せたまま、マクシミリアンは唇を真一文字に結んで王太子を見据えている。
「ぷっ…………あははははっ!!」
一拍遅れて、王太子が声を立てて笑い始めた。
王妃も、楽しげに目を細めて扇で口元を隠している。
怪訝そうに眉を寄せるマクシミリアンに、ひとしきり笑った王太子は滲んだ涙を指で拭った。
「勿論知っているよ。丁度その話をしていたところだ。オルテンシア嬢と結婚するんだってね、おめでとう」
「…………えっ?」
マクシミリアンは、切れ長の青い瞳を瞬かせた。
(まさか……王太子妃の話は――)
「随分とオルテンシア嬢にご執心のようだ。私との噂を聞き付けて、慌てて馬を走らせてきたのかい?」
楽しげに微笑む王太子と王妃に、少し恥ずかしそうに頬を染めたオルテンシア。彼女の淡い金色の髪には、彼が二年前に贈った白薔薇の髪飾りが煌めいている。
(それは、私が前に贈った――)
「わたくしには、マクス様しかいませんわ」
そう囁かれたマクシミリアンの顔は、色々な意味で真っ赤に染まったのだった――
【あとがき裏話】
ルシアン「マクス兄様、お帰り」
マクシミリアン(だだだだだっ! ガチャ、バタン!!)
アレクシス「マクスはどうしたんだ?」
ルシアン「さぁ……覗いたけど、毛布を被ってたよ」
マクシミリアン(穴があったら入りたい!!)




