12話 偽り 〈フラヴィオside〉
その日、レヴェル公爵邸には怒鳴り声が響いていた――
「本当です! 白紙になんて、するつもりはなかったんです!」
そう叫んだフラヴィオを、父親である公爵は険しい顔で睨み付けた。
「それでは、何故ジュリエッタに花冠を贈ったりしたんだ?! お前が『婚約を白紙にしても良い』と言ったそうじゃないか!」
「あれは、ただの練習で――ジュリエッタが、前から欲しがっていたから……。それに、まさかオルテンシアが、本当に白紙にするなんて……」
「ああ……なんてことなの……」
「奥様!!」
目眩を起こしふらついた公爵夫人に、メイドたちが駆け寄る。
「まさかお前が、ここまで愚かだとは思わなかった。私は育て方を間違えたようだな……」
父親である公爵にそう吐き捨てられ、フラヴィオは何も言い返せないままに部屋を出た。
拳を握り締め廊下を進んでいると、丁度階段を降りてきた弟のエミリオと鉢合わせした。
「……兄上、大丈夫ですか?」
フラヴィオに向けられたのは、心配そうな眼差しだった。
僅かに見開かれた紫色の瞳は、弟の姿を映し、忌々しげに細められる。
唇を噛んだフラヴィオは、返事もせずに公爵邸を飛び出した。
フラヴィオは、四歳年下の弟が苦手だった。
レヴェル公爵家の嫡男として小言を言われながら育った自分に比べて、両親の愛情を一身に受けて育ったように見えたからだ。
『素直で努力家だ』――父親から、そう評されているのも気に入らなかった。
(どうして、オルテンシアは婚約を白紙になんてしたんだ……!)
彼女の家は、娘が針仕事をするような貧乏貴族家だ。彼は、友人たちから『次期公爵のくせに、落ちぶれた侯爵令嬢を妻にするのか』と笑われ、恥ずかしくてたまらなかった。
だが、両親が決めた縁組に対して、文句を口にしたり、逆らうことなど出来なかった。
彼女と次期公爵である自分との結婚は、例えるなら下位貴族の娘が王家に嫁ぐようなもの。自分以外に彼女と結婚するような男はいない。そして、彼女が自分との縁を手放すはずがない。――彼は、心からそう信じ切っていた。
それなのに、あの日の翌日にローディア侯爵家から“婚約白紙”についての書状が届き、レヴェル公爵はそれを受け入れた。――否、受け入れる他なかった。
「もうすぐ、婚約式でしたのよ……どうしてこんなことに……わたくしとあなたで出向いて、謝罪をすれば――」
「他の娘に花冠を捧げたんだぞ……オルテンシア嬢との縁は、諦める他ない」
オルテンシアをフラヴィオの妻にと望んだのは、レヴェル公爵夫妻だった。それは、オルテンシアに王家の血が流れていることが大きな理由だったが、フラヴィオはそのことを理解していなかった。
(オルテンシアなんて知るか! あんな貧乏令嬢、僕に釣り合わなかったんだ。こういうときは、遊んで忘れよう)
「ジュリエッタ……」
フラヴィオの脳裏に真っ先に浮かんだのは、ジュリエッタだった。一つ年下の美しい幼馴染。子供の頃から彼の後をついて回っていた、天真爛漫な彼女をフラヴィオは誰より可愛いと思っていた。
だが、ローディア侯爵家から婚約白紙の書状が届いて以来、彼はジュリエッタと会うのを控えるよう両親からきつく言われていた。
元々、オルテンシアとの婚約の話が出てから、他の令嬢とは距離を置くように両親から言われていた。だが、彼は無視したのだ。『彼女は幼馴染だ。何もやましいことはないのだから良いだろう』と――
(だが、これ以上父上を怒らせたら……)
故に、彼が向かった先は、よくつるんでいた友人たちの所だった。
「ジュリエッタ嬢はどうしたんだ」
「ああ……今日は、僕一人なんだ」
フラヴィオは、幼い頃から同格以上の貴族子息と関わることを避け、格下の貴族家の子息たちを従えて過ごしてきた。煽てられ、気を使わず自由に振る舞える関係が心地良かったからだ。
彼の友人たちは、フラヴィオが何を言っても全て肯定した。彼がいくら傍若無人に振る舞おうとも、誰も何も言わなかった。
父親から、付き合う相手を考えるよう苦言を呈されても、彼は聞く耳を持たなかった。
彼らとの関わりは年頃になってからも続き、彼と仲の良い友人は伯爵家以下の子弟ばかりになっていた。
「フラヴィオ、元気がないな。もうすぐ婚約式って言ってただろ?」
「ああ、それは……」
友人たちを前にして、フラヴィオは『オルテンシアとの婚約が白紙になった』とはとても口には出来なかった。格下の侯爵家から婚約を白紙にされたなんて、絶対に知られたくはなかったのだ。
「……前は、あんなことを言って悪かったな」
「えっ……?」
「俺たち、ひどいこと言っただろ? 前に、オルテンシア嬢との婚約の話を聞いたとき……」
フラヴィオはよく覚えていた。
オルテンシアとの婚約式が決まったことを、彼らに伝えたときのことを――
『結婚するならジュリエッタ嬢の方が良いですよね。美人で気さくで、実家も裕福ですし』
『オルテンシア嬢も美人だけど……あんな貧乏侯爵家じゃなぁ』
そう言って、友人たちは笑ったのだ。
「……僕は次男で、後も継げないから……美人の結婚相手がいて、公爵になるフラヴィオが羨ましかったんです」
「俺も同じだよ……うちみたいな伯爵家じゃ、王家の血を引く彼女には、声も掛けられないからさ」
『密かにオルテンシア嬢に憧れていた』――そう口にした友人に、フラヴィオは言葉をなくした。
(嘘だ……皆して、あんな貧乏令嬢は公爵になる僕に相応しくないって、笑ったくせに……)
「……けるなよ」
「えっ?」
「ふざけるなよ!! お前たちのせいで、僕は……!」
震える拳を握り締めると、フラヴィオは走り去った。
そして、向かった先はローディア侯爵邸だった。
「オルテンシア! いるんだろう!? 謝りたいんだ! 僕の話を聞いてくれ!」
だが、彼がどれだけ叫んでも、オルテンシアはおろか家人の誰一人として出てくることはなかった。
(クソッ……この僕が、こんなに下手に出てやってるのに……)
門に触れようとすると、乾いた音が彼の手を弾いた。顔を歪めたフラヴィオは、美しいがどこか閑散とした邸を忌々しげに睨み付ける。
(結界なんて、貧乏侯爵家が生意気な……!)
使用人の姿はおろか、門を守る騎士すらいない邸を見て、彼は馬鹿にしたように口元を歪めた。
(何が王家の血だ。大昔にほんの少し混じっただけだろう? 皆して、馬鹿みたいに有難がって……騎士もろくにいない、貧乏侯爵家のくせに!)
「オルテンシア……後悔しても、知らないからな」
無言の門前払いを喰らったフラヴィオは、悪態をつきながら帰って行った。
そうして、彼の姿が見えなくなった頃、オルテンシアの母のパトリツィアは玄関からそろりと顔を出した。
「ああ、嫌だわ……レナート、聖水をたっぷり撒いてきてちょうだい!」
「はぁ……わかりましたよ」
母から命じられたレナートは、門前に聖水を一瓶撒き散らした。
「また来たらどうしましょう……マクシミリアン卿に相談しようかしら」
「うーん……もう、これきりかもしれないし、様子を見ましょう」
(師団長が知ったら――嫌な予感しか、しないんだよなぁ……)
レナートは怒れる師団長の姿を想像して、小さく身震いをしたのだった――
【あとがき裏話】
オルテンシアの父「何?! フラヴィオ・レヴェルが来ただと?! ――聖水を持ってこい!!」
――ばっしゃあ!!
レナート(聖水、高いのに……)




