第5話 大豆村の誕生
若い味噌を作ってから、五日が過ぎた。
私の生活は、目に見えて豊かになっていた。
屋根には丈夫な麻布が張られ、雨が降っても寝床まで水が落ちてこない。
石竈の隣には薪を乾かす棚ができた。
小川から水を運ぶための桶もある。
全部、枝豆と交換して手に入れたものだ。
「枝豆って、通貨になるんだ……」
朝の収穫を終えた私は、積み上げられた物資を眺めながら呟いた。
きっかけは、最初に出会った二人の冒険者だった。
彼らは街へ戻ったあと、仲間へ塩ゆで枝豆を食べさせたらしい。
翌日には三人。
その次の日には五人。
気づけば、毎日のように知らない冒険者が小川のほとりを訪れるようになっていた。
「ここか? エダマメとかいう酒のつまみを作ってる場所は」
「味噌汁っていう、茶色いスープもあるらしいぞ」
「頭から豆が生えてる子供がいるって話は?」
「それは話を盛ってるだろ」
私は枝豆の防壁から顔を出した。
「盛ってませんけど」
男たちが一斉に私の頭を見る。
ちょうど風が吹き、頭の房がぴょこんと揺れた。
「本当に生えてる……」
「見るのは無料です。食べるなら交換です」
最初は食料を恵んでもらっていた私も、今ではすっかり商売を覚えていた。
塩ゆで枝豆一皿なら、乾燥肉か薪。
若い味噌を溶かした汁なら、塩か野菜。
鉄製品や麻布を持ってきた者には、味噌そのものを少量分ける。
金貨を出そうとする者もいたが、今の私には使い道がない。
森の中では、金貨より鍋のほうが強い。
「今日は何を持ってきました?」
「岩塩だ。街で買えば、それなりにするぞ」
冒険者が布袋を差し出す。
中には、白っぽい塩の塊が入っていた。
「品質確認します」
少し舐める。
塩辛い。
当たり前だが、とても大切なことである。
「合格です。枝豆二皿と味噌汁一杯ですね」
「昨日より少なくないか?」
「昨日より塩の粒が粗いです」
「細かいな、お前!」
「塩だけに」
「うるせえ!」
そんなやり取りをしながら、私は鍋の蓋を開けた。
若い味噌を溶かした汁から、湯気と香りが立ち上る。
今日の具は、冒険者から交換でもらった干し肉と、森で採れた根菜だった。
だしの代わりに干し肉の旨味が出ている。
味噌も、最初に作ったものより少しだけ熟成が進んでいた。
冒険者たちは木の器を手に、石竈の前へ並ぶ。
「冒険者って、こんなに行儀よく並べるんですね」
「並ばない奴には、お前が汁をよそわないからだろ」
「秩序は食事から生まれるんです」
「妙に偉そうだな……」
味噌汁を受け取った男たちは、近くの丸太へ腰を下ろした。
汁をすすり、塩ゆで枝豆を口へ押し出す。
枝豆を食べる動作にも、ずいぶん慣れたようだ。
最初は莢ごとかじる者や、皮まで飲み込もうとする者が続出した。
今では、皆が指で豆だけを器用に押し出している。
異世界へ枝豆文化が根づきつつあった。
人が集まるようになると、別の問題が生まれた。
「枝豆の防壁を勝手に越えないでください!」
「近道しようとしただけだ!」
「畑を踏んだら味噌汁抜きです!」
「それは困る!」
出入り口が一つしかなかったため、急いでいる者が枝豆の垣根を乗り越えようとする。
結果、茎を折る。
怒った私が、その日の配給を止める。
同じことが二度続いたところで、冒険者たちは自主的に道を作り始めた。
枝豆防壁の一部を移植し、人が通れる幅を確保する。
地面へ石を並べ、雨が降ってもぬかるまないようにする。
さらに何人かは、小川の近くに自分たちの天幕を張った。
「どうして帰らないんですか?」
「ここからなら森の奥へ入りやすい」
「毎朝、温かい汁も飲めるしな」
「勝手に定住しないでください」
「代わりに薪を集めるぞ」
「歓迎します」
労働力は大切だ。
私はすぐに態度を変えた。
森での採集や狩りへ向かう冒険者にとって、ここは補給地点として都合がいいらしい。
水がある。
火がある。
魔物を防ぐ枝豆の壁がある。
そして、塩ゆで枝豆と味噌汁がある。
気づけば、小川のほとりには六つの天幕が並んでいた。
まだ村と呼ぶには小さい。
それでも、私一人の寝床だった頃とは、まるで違う光景だ。
「ここに屋根をつければ、味噌を置けるんだな?」
大柄な冒険者が、地面へ立てた柱を叩いた。
最初に出会った二人のうちの一人である。
「はい。雨が入らず、温度が急に変わらない場所が必要です」
「酒蔵みたいなもんか」
「近いですね」
私は彼らに手伝ってもらい、発酵小屋を作り始めていた。
丸太で骨組みを作り、隙間へ枝と土を詰める。
床には平らな石を敷き、味噌を入れる容器を並べられるようにする。
容器といっても、本格的な樽はまだない。
今は商人から譲ってもらった木箱や、小さな壺を使っている。
「これだけあれば、魔力で全部発酵させなくても済む」
私の《発酵誘導》は便利だが、大量生産には向いていない。
最初の微生物環境だけ整え、あとは普通に時間をかけて熟成させる。
魔力はきっかけに使う。
時間に任せられるところは、時間へ任せる。
そのほうが畑も身体も長持ちする。
発酵小屋の壁を作っていると、細身の冒険者が看板のような板を持ってきた。
「入り口に置いておくぞ」
「何ですか、それ」
板には、炭で大きな文字が書かれていた。
私はこの世界の文字を完全には読めない。
だが、なぜか意味だけは頭へ入ってきた。
――大豆村。
「勝手に村にしないでください」
「もう人が住んでるだろ」
「六張りのテントですよ」
「畑がある」
「枝豆畑です」
「道もある」
「皆さんが勝手に作りました」
「食堂もある」
「私の石竈です!」
男は笑いながら、看板を地面へ突き立てた。
「じゃあ、今日からここは大豆村だ」
「枝豆村じゃないんですか?」
「お前がいつも言ってるだろ。枝豆は未成熟な大豆だって」
そう言われると、否定しにくい。
大豆村。
大げさな名前だ。
だが、悪くない気もした。
私が生き残るために作った寝床。
枝豆を茹でるために組んだ石竈。
味噌を保存するために建て始めた小屋。
それらが少しずつつながり、人の集まる場所へ変わっている。
世界を救うつもりはない。
国を作る気もない。
それでも、安心して眠れ、温かいものを食べられる場所ができた。
今は、それで十分だった。
夕食は、干し肉と根菜の味噌汁だった。
大豆を乾燥させ、炒って砕いた粉も少し入れてある。
いつもより、とろみがある。
皆は満足そうに食べていた。
だが、私は鍋を見つめたまま動けなかった。
何かが足りない。
味噌汁はある。
塩ゆで枝豆もある。
干し肉も根菜もある。
十分に立派な食事だ。
それなのに、味噌汁の隣に置かれるべき空間が、ぽっかりと空いている。
前世の食卓が、頭の中によみがえった。
湯気の立つ椀。
焼き魚。
漬物。
そして、茶碗によそわれた白いご飯。
「……白米がない」
口にした瞬間、空腹とは別の飢えが生まれた。
味噌汁だけなら、ここまで強く思わなかった。
だが、味噌汁が完成してしまった。
そのせいで、白米の不在が決定的になった。
「ハクマイ?」
隣で汁を飲んでいた冒険者が首をかしげる。
「白くて、つやつやしていて、湯気が立っていて、噛むと甘い主食です」
「小麦じゃ駄目なのか?」
「駄目です」
「芋は?」
「違います」
「豆を主食にすればいいだろ」
「今、全部が大豆になりかけているから困ってるんです!」
味噌も大豆。
枝豆も大豆。
炒り豆も大豆。
このままでは、おかずも主食も全部大豆になる。
それはそれで生きてはいける。
だが、私が求めている食卓とは違う。
向かいに座っていた旅商人が、ふと思い出したように言った。
「白い粒なら、東の湿地で見たことがあるな」
私は顔を上げた。
「今、何と言いました?」
「東の沼地に、細長い葉の草が群生してる。秋になると穂へ小さな粒がつくんだ。鳥は食うが、人が食べるものじゃない」
「その粒は、硬い殻に包まれていましたか?」
「ああ。煮ても硬くてな。昔、食料にできないか試した領主がいたらしいが、諦めたそうだ」
私は立ち上がった。
勢いで木の器が倒れそうになり、慌てて押さえる。
細長い葉。
湿地に群生する。
穂へ実る、殻に包まれた粒。
それが本当に米かは分からない。
品種も違うかもしれない。
食用に向かない可能性もある。
それでも、確かめる価値はあった。
「東の湿地まで、どれくらいですか?」
「歩いて十日以上だ。途中に街もあるが、魔物も多いぞ」
十日。
今の私には、遠い。
村を空ける準備も必要だ。
携帯食。
水筒。
地図。
護衛。
大豆村も、作りかけの発酵小屋も、そのまま放置するわけにはいかない。
すぐには旅立てない。
だからこそ、まず拠点を完成させる。
戻ってこられる場所を作る。
味噌を熟成させ、大豆を保存し、私がいなくても皆が枝豆畑を管理できる仕組みを整える。
私は発酵小屋の骨組みを見上げた。
「決めた」
「何をだ?」
「この村を完成させます」
そして東へ行く。
まだ見ぬ白米を探しに。
大豆村と書かれた看板の向こうで、枝豆の葉が風に揺れていた。




