第20話 精米という名の壁
作業小屋の床に置かれた木の器。
その底には、私たちが苦労して籾殻を外した玄米が入っている。
量は、両手ですくえる程度。
茶色がかった細長い粒を一つ取り、朝の光へ透かしてみる。
「ここまでは来たのよね……」
森で目を覚ましたときには、米が実在するかどうかさえ分からなかった。
それが今では、私の指先にある。
食べられる穀物として。
ただし、白くない。
「そのまま煮たら駄目なのか?」
ガルドが器を覗き込んだ。
「玄米としてなら食べられると思うわ」
「なら、食えばいいだろ」
「でも、私が探しているのは白米なの!」
「茶色いだけで、同じ米なんだろ?」
「違うの。白いご飯には、白いご飯にしかない柔らかさと甘さがあるのよ」
玄米を否定するつもりはない。
栄養もある。
噛み応えもある。
だが、私が求めている朝食は、炊きたての白米だ。
湯気を立てる白いご飯。
その隣に味噌汁。
漬物が少し。
できれば焼き魚。
そのために、湿地まで来たのだ。
「玄米の表面には、糠の層が残っているの」
私は一粒を爪でこすった。
茶色い表面から、わずかに粉が落ちる。
「これを少しずつ削れば、白米になる」
セインが粒をつまむ。
「硬い殻はもう外した。今度は表面だけを削るのか」
「そう。でも、米粒自体は砕いちゃ駄目」
「面倒だな」
「だから精米機という偉大な機械があったのよ……」
前世では、精米された米を店で買っていた。
玄米から白米へ変える作業など、一度もしたことがない。
仕組みは分かる。
表面を削る。
ただ、それだけ。
しかし、その「表面だけ」が難しい。
私は前日に使った平らな石板へ、玄米を十粒ほど置いた。
その上から、木板を押し当てる。
籾すりのときより弱い力で、円を描くように動かした。
こり。
こり。
軽い音がする。
木板を持ち上げる。
米の表面は、ほとんど変わっていなかった。
「削れてない」
「力が弱いんじゃないか?」
ガルドが木板を受け取る。
「待って。強くしたら――」
ごりっ。
嫌な音がした。
木板を持ち上げる。
米粒が三つ、真ん中から割れていた。
「ほら!」
「少し強かったな」
「少しどころじゃないわよ!」
貴重な玄米である。
水田にはまだ稲が残っているが、脱穀と籾すりを最初からやり直すのは大変だ。
一粒たりとも無駄にしたくない。
私は割れた米を回収し、別の木皿へ入れた。
「砕けても食べられるでしょう?」
「捨てません。お粥にします」
「何でも食うな」
「食べ物を粗末にしないだけよ」
次は、粗い麻布を使った。
布で玄米を包み、両手で軽くこすり合わせる。
しゃり。
しゃり。
先ほどより、表面が擦れる感触がある。
しばらく続けてから、布を開く。
玄米の色が、ほんの少し薄くなっていた。
だが、麻布の繊維が米へ引っかかり、何粒かに傷がついている。
「これも駄目ね」
「少量なら続けられるんじゃないか?」
セインが言った。
「続けられるけど、白米になる前に米が削り傷だらけになるわ」
石は硬すぎる。
麻布は粗すぎる。
必要なのは、米を砕かない程度に柔らかく、それでも糠を削れる道具だ。
私は作業小屋の中を見回した。
腐った棚。
木箱。
折れた農具。
石臼の残骸。
壁際には、太い丸太をくり抜いた容器が転がっている。
泥をかぶっていたが、内側は丸くへこんでいた。
「これ……臼じゃない?」
三人で引っ張り出す。
高さは私の膝ほど。
木製で、内側に深い窪みがある。
一部は割れているが、底は残っていた。
補給局の記録にあった脱穀器の一部ではない。
おそらく、穀物や薬草を搗くための道具だ。
その近くには、先端が丸くなった太い木棒もあった。
「杵もある」
私は木棒を持ち上げようとした。
重い。
両手で抱えても、先端が床から少し浮くだけだった。
「これを振れと?」
ガルドが軽々と持ち上げる。
「お前には無理だな」
「分かってるわよ」
臼の内側を水で洗い、泥と木片を取り除く。
火の近くへ置き、完全に乾かす。
米を湿らせてはいけない。
水分を含ませれば表面が柔らかくなるようにも思えるが、糠が粘り、米同士がくっつく。
力を加えたとき、粒も割れやすくなる。
精米は、乾いた状態で行う。
「少量だけ入れて」
私は玄米を木の臼へ入れた。
まずは二十粒。
失敗しても、まだ取り返せる量だ。
「叩き潰さないでね」
「どうすればいい?」
ガルドが杵を構える。
「強く打つんじゃなくて、軽く落として、少し回す感じ」
「曖昧だな」
「私も精米したことないのよ!」
前世の知識は、便利そうで肝心なところが抜けている。
精米は臼と杵。
それは知っている。
だが、力加減まで覚えているわけではない。
ガルドが杵をゆっくり下ろした。
とん。
米粒へ当たる。
杵を少し回す。
再び持ち上げる。
とん。
ごり。
とん。
数回繰り返し、中身を確認する。
二粒が割れていた。
だが、ほかの米は表面に細かな傷がつき、薄い粉をまとっている。
「削れてる」
私は粉を指でなぞった。
糠だ。
茶色い玄米の表面が、ところどころ白くなっている。
「力はこれくらいか?」
「もう少し弱く。回す動きを多くしてみて」
ガルドが杵の扱いを調整する。
セインは臼の中を観察し、米が一か所へ集まらないよう、細い木べらで位置を変えた。
私は割れた粒を見つけるたび、別の器へ移す。
とん。
ごり。
とん。
ごり。
地味な作業だった。
泥蟹と戦うような派手さはない。
《促成栽培》の光もない。
ただ、ガルドが杵を動かし、セインが米を混ぜ、私が状態を確認する。
少し搗いては止める。
粉を吹き飛ばす。
粒を見る。
また臼へ戻す。
一度で白くしようとすれば、米が割れる。
焦らず、何度も繰り返す。
「白くなってきたぞ」
ガルドが言った。
臼の中にある米は、最初の茶褐色から、薄い黄白色へ変わっていた。
完全な白ではない。
表面には茶色い部分が残っている。
それでも、明らかに玄米とは違う。
「まだ削れそう」
私は一粒を指で割ってみた。
外側は少し白い。
中は半透明。
削りすぎれば、食べられる部分まで減ってしまう。
前世で食べていた真っ白な米を目指すなら、さらに搗く必要がある。
だが、今の道具と量では、割れる米が増える。
「ここで止める」
「白米にするんじゃなかったのか?」
ガルドが尋ねる。
「白さより、食べられる量を残すほうが大事よ」
「妥協したな」
「現実的な判断です」
真っ白ではない。
おそらく、前世でいう七分搗きか、それより少し玄米に近い状態だ。
だが、糠層の大部分は落ちている。
最初の炊飯試験には十分だった。
次は、残りの玄米を少量ずつ搗く。
力加減が分かってからは、割れる粒も減った。
ガルドが杵を動かす。
セインが混ぜる。
私が糠を分ける。
三人の作業が、少しずつ一定のリズムになっていく。
とん。
ごり。
とん。
ごり。
小屋の外では、泥蟹池から鋏の鳴る音が聞こえる。
かち。
かち。
まるで精米の調子を取っているようだった。
「泥蟹まで手伝ってるみたいね」
「音を出してるだけだ」
「雰囲気の話よ」
日が傾く頃。
木の器の中には、一食分ほどの白っぽい米がたまっていた。
粒の大きさは不揃い。
欠けたものもある。
少し茶色い部分も残っている。
前世の店で売られていた米とは比べられない。
だが、それは紛れもなく、私たちが籾から作った精米だった。
私は木の器を両手で持ち上げた。
光を受け、米粒が薄く透ける。
「……白米」
正確には、完全精米ではない。
それでもいい。
白い。
炊ける形をしている。
米だ。
「長かったな」
ガルドが杵を床へ置く。
「まだ炊いてないわ」
「今度は何が問題なんだ?」
「水の量。吸水時間。火加減。蒸らし時間」
ガルドの顔から達成感が消えた。
「まだ四つもあるのか」
「おいしく炊くならね」
セインは臼の底に残った薄茶色の粉を集めていた。
「これは捨てるのか?」
「捨てないで」
私は粉を指ですくった。
米糠。
前世では糠漬けや肥料に使われていた。
この世界でも、何かに利用できる可能性がある。
「食べられる部分を削った粉でしょう? 使い道があるはずよ」
「また発酵させる気か?」
「まだ決めてないわ」
米を精米しただけなのに、新しい加工品まで増えそうだった。
私は白っぽくなった米を布袋へ移す。
今すぐ鍋へ入れたい。
だが、焦って失敗するわけにはいかない。
精米できた量は、三人で一度食べれば終わる程度しかない。
炊飯試験の失敗は、許されても一回。
できれば、最初から成功させたい。
「今夜は水へ浸しておきます」
「朝まで待つのか?」
ガルドが露骨に不満そうな顔をする。
「この米がどれくらい水を吸うか分からないもの。最初は時間をかけたほうがいいわ」
「目の前にあるのに食えないのか」
「私が一番我慢してるのよ!」
水を張った木の器へ、数粒だけ試験用の米を入れた。
白っぽい粒が底へ沈む。
時間が経てば、少し膨らむはずだ。
残りの米は湿気を避け、布へ包んで保存する。
白米への最後の壁は、ようやく越えた。
残るのは、炊くこと。
ただし、そこにも水と火という、別の壁が待っている。
私は水の中へ沈んだ一粒を見つめた。
「明日の朝こそ、味噌汁と白いご飯よ」
泥蟹池から、鋏の音が返ってきた。
かちん。
まるで期待しているように聞こえた。




