第11話 東方都市の夜
宿場町を出発してから五日。
私たちは、東方へ向かう商隊の中央を進んでいた。
先頭では御者が馬を操り、その左右を護衛たちが固めている。
ガルドは後方の荷馬車を警戒し、セインは街道脇の木々や丘へ先回りして、異常がないか確かめていた。
そして私はというと、荷馬車の荷台に座り、大豆ミートの乾燥具合を確認していた。
「エダちゃん、次の休憩でも味噌汁を頼むぞ!」
前を走る荷馬車から声が飛んでくる。
「味噌玉は残っているか?」
別の御者まで振り返る。
「ありますけど、自分たちでも作り方を覚えてください!」
「エダちゃんが作ったほうがうまい!」
「私を炊事係として商隊へ入れたわけじゃないでしょう!」
抗議しても、皆は笑うだけだった。
宿場町で食料不足を補って以来、私は完全に商隊の補給担当として認識されている。
白米を探す旅のはずなのに、周囲に積まれているのは大豆パン、大豆ミート、乾燥味噌玉。
旅立ったときより、大豆の量が増えている気さえした。
「まあ、安全に東へ進めるだけでも得よね……」
私はそう自分に言い聞かせ、前方へ目を凝らした。
街道の先に、長い石壁が見え始めている。
壁の向こうには何本もの塔が立ち、無数の煙突から白い煙が上がっていた。
さらに近づくと、壁の外側を流れる広い運河と、船着き場へ並ぶ倉庫も見えてくる。
「あれが東方都市だ」
荷馬車の横を歩いていた赤帽子の商人が言った。
「湿地と内陸を結ぶ交易の中心地だ。東方で採れる香辛料、魚、薬草、葦細工は、ほとんどあの街へ集まる」
「米も?」
「それは知らん」
即答だった。
期待した私の頭で、枝豆の房が力なく垂れた。
「だが、昔の領主が湿地で穀物を育てようとしたという話なら聞いたことがある」
「それです!」
思わず荷台から立ち上がり、馬車が揺れて転びそうになる。
赤帽子の商人が慌てて私の腕をつかんだ。
「落ち着け。成功したという話ではないぞ」
「失敗した理由が分かれば、成功へ近づけます」
「妙なところで前向きだな」
白米が存在するかもしれない。
その可能性だけで、五日間の疲れが吹き飛んだ。
東方都市の門前には、商隊や旅人が長い列を作っていた。
荷物の中身。
滞在目的。
所属。
一つずつ確認されている。
私たちの番になると、門番はガルドとセインを見たあと、当然のように私の頭を見た。
「その植物は?」
「枝豆です」
「装飾ではないのか?」
「生えています」
「……触っても?」
「引っ張らなければ」
門番は恐る恐る莢へ触れた。
本物だと分かると、何とも言えない顔になる。
「街中で種をまくな」
「宿場町でも同じことを言われました」
私は東部領軍の隊長から預かった書状を差し出した。
門番が封蝋を確認する。
文面を読み進めるうちに、その表情が少しずつ真剣なものへ変わった。
「東部領軍へ食料を供給したのは、君か?」
「皆さんに手伝ってもらいました」
「百二十人分を?」
「二日をつないだだけです」
門番は再び私の頭を見た。
今度は珍しい植物ではなく、危険な兵器を確認するような目だった。
「東方補給局への紹介状も兼ねている。明日の朝、この書状を持って中央倉庫へ行け」
「湿地の農業についても調べられますか?」
「古い開拓記録なら、補給局か農政院に残っているかもしれない」
ようやく、白米へつながりそうな正式な手掛かりを得た。
都市へ入ると、空気が一変した。
広い石畳の両側に店が並び、大勢の人が行き交っている。
干した魚。
香辛料。
油。
革製品。
葦で編んだ籠。
見たことのない赤や紫の野菜。
あちこちから漂ってくる匂いが混ざり合い、歩いているだけで胃が刺激される。
「大豆以外の食べ物が、こんなに……」
思わず立ち止まってしまった。
ガルドが呆れたように言う。
「大豆村にも干し肉や野菜はあっただろ」
「種類が違うのよ。見て、魚まである!」
「東の湿地には湖と川が多いからな」
「焼き魚……味噌汁……白米……」
食卓の完成図が頭の中で鮮明になっていく。
セインが私の肩を軽く叩いた。
「今、米を見つけてないのに、食べるところまで進んでただろ」
「目標を具体化していたの」
「よだれが出てるぞ」
私は慌てて口元を拭った。
商隊は大通り沿いの宿へ入った。
赤帽子の商人は宿代の一部を負担してくれたうえ、明朝、補給局まで案内してくれるという。
「食料を用意してもらった礼だ」
「ありがとうございます。ところで、まだ名前を聞いていませんでした」
「今さらか?」
第3話でガルドとセインの名前を聞き忘れたときと、同じ失敗を繰り返している。
赤帽子の商人は帽子を外し、軽く頭を下げた。
「商人のハインだ」
「ハインさん」
「今後も大豆食品を売るつもりなら、覚えておいて損はないぞ」
いつの間にか、継続的な取引を前提にされていた。
宿の食堂へ入ると、長旅を終えた商隊の者たちが次々に席へ着いた。
ガルドは迷わずエールを注文した。
セインは魚と野菜の煮込み。
私は香草水と、香草をまぶして焼いた豚肉、それに黒パンを頼んだ。
「大豆が一つもない……」
料理を前にして、思わず声が震えた。
「昨日まで大豆を褒めてなかったか?」
ガルドがエールを飲みながら尋ねる。
「大豆は悪くないわ。でも、離れて初めて分かるありがたみもあるの」
ローストした豚肉を切り、口へ運ぶ。
脂。
香草。
肉汁。
大豆ミートとは明らかに違う食感。
「肉だ……」
「見れば分かる」
「ガルドも大豆ミートを初めて食べたとき、同じことを言ったでしょう」
黒パンも硬かったが、大豆パンほどではない。
噛めば小麦と雑穀の香りがする。
食事とは本来、いろいろな食材が並ぶものなのだ。
すべて大豆から作れてしまう環境は便利だが、やはり何かがおかしい。
「明日は補給局か」
セインが魚の骨を器用に外しながら言った。
「記録が残っていれば、湿地の場所も分かる」
「失敗した栽培地が稲だったとは限らないけどね」
「ずいぶん慎重になったな」
「黄金色の穂が全部米なら、麦畑も全部水田になっちゃうでしょう」
植物の見た目だけでは断定できない。
湿地に生える。
穂に粒がつく。
鳥が食べる。
硬い殻に包まれている。
条件は近いが、実物を確認するまでは分からない。
そのとき、隣のテーブルから声が聞こえた。
「今年は南沼の葦がひどかったな」
泥のついた長靴を履いた二人の男が話している。
背後には、刈り取った葦を束ねるための縄や、湾曲した鎌が置かれていた。
湿地で働く採集人らしい。
「旧農場の方は?」
「鳥の餌になる草ばかりだ。最近は穂が重すぎて、道まで垂れてきている」
私は持っていた黒パンを置いた。
ガルドが先にこちらを見る。
「行くのか?」
「聞くだけよ」
「お前は食べ物の話になると止まらないからな」
私は席を立ち、二人の男へ近づいた。
「あの、少し聞いてもいいですか?」
採集人たちが振り返る。
一人は私の顔を見る。
もう一人は頭の枝豆を見る。
「何だ、その頭は」
「そこは今、重要ではありません」
「十分重要だと思うが」
「旧農場に生えている、穂の重い草について教えてください」
男たちは顔を見合わせた。
「領主が昔、食料にしようとした草だ。粒はつくが、殻が硬い。煮ても食えない」
「水の中で育っていますか?」
「浅い泥地だ。昔は水路を引いて、区画ごとに水を張っていたらしい」
水路。
区画。
浅い泥地。
胸の鼓動が速くなる。
「穂は、こんな形ですか?」
私は木の棒を借り、卓上へ簡単な絵を描いた。
細長い葉。
上へ伸びた茎。
先端から枝分かれし、小さな粒がいくつも垂れる。
男の一人が目を丸くした。
「よく知ってるな」
「実物を持っていませんか?」
「今日刈った葦の中に、何本か混じっていたかもしれん」
男は椅子の後ろに置いた麻袋を引き寄せた。
中を探り、枯れた草や種を机へ広げる。
その中に、小さな穂の欠片があった。
黄褐色の殻に包まれた粒が、数個残っている。
私は息を止めた。
見覚えがある。
だが、前世で見たのは精米された後か、写真の中だ。
確信するには、まだ足りない。
一粒を受け取り、爪を立てる。
硬い。
指だけでは剥けない。
セインから短剣を借り、刃先で殻へ小さな切れ目を入れた。
外皮を慎重に外す。
中から現れたのは、細長く、半透明がかった白い粒だった。
「……米」
声が漏れた。
「これが、お前の探しているハクマイか?」
ガルドが後ろから覗き込む。
私は首を横に振った。
「まだ白米じゃない。籾から殻を取っただけなら、玄米に近いはず」
「ゲンマイ?」
「とにかく、食べられる可能性が高い穀物よ」
粒を鼻へ近づける。
乾いた草の匂いしか分からない。
生のまま噛もうとして、歯を止めた。
ここで歯を欠いたら、大豆パンのせいにできない。
「旧農場はどこですか?」
採集人が、食堂の壁に掛けられた周辺地図を指さした。
東方都市から南東へ一日半。
湿地の奥へ延びる古い水路。
その先に、放棄された農場があるという。
「ただし、今は近づかないほうがいい」
男の表情が険しくなる。
「最近、湿地の魔物が増えている。旧農場のあたりには、巨大な泥蟹も出る」
「泥蟹……」
「殻が硬くて、普通の矢じゃ通らん。何人か怪我をしてる」
セインが地図の位置を確認する。
ガルドは腕を組み、私の反応を待っている。
危険だ。
本当に稲なのかも、まだ完全には分からない。
粒が食べられるとしても、栽培できる保証はない。
それでも、私の手のひらには、白い穀粒が一つ載っていた。
大豆村を出てから、初めて手にした具体的な証拠だった。
「明日、補給局で記録を確認する」
私は粒を小さな布へ包んだ。
「旧農場への通行許可と地図も手に入れる。それから現地へ向かうわ」
ガルドが笑う。
「泥蟹がいてもか?」
「蟹なら食べられるかもしれないでしょう」
「そこなのか?」
味噌汁。
白米。
そして蟹。
探索の目的が少し増えた。
東方都市の夜。
私は宿の小さな寝台に横たわり、枕元へ置いた籾を何度も見つめていた。
まだ、白米ではない。
だが、その一粒は間違いなく、私が求めていた食卓へ続く最初の手掛かりだった。




