ゴミ捨て場にて
私の家には一年ぐらい前まで不思議なテディベアがいた。一人暮らしの私の家にぬいぐるみはその一つだけ。かなり年季の入った古いテディベアだった。
子どもの頃の私はぬいぐるみが大好きだった。テディベアはもちろん、動物園に行けばゾウやキリンのぬいぐるみを親にせがみ、水族館に行けばイルカやペンギンのぬいぐるみをお土産コーナーで買ってもらった。
リアルな動物のぬいぐるみだけでなく、アニメキャラクターのぬいぐるみも好きだった。誕生日もクリスマスもプレゼントはぬいぐるみだったので、実家の私の部屋はぬいぐるみだらけ。私のベッドの面積の大半はぬいぐるみが占めていた。
私の両親はすごく優しく、そして私が言うのもなんだけど娘に甘い人たちだった。
結婚は早かったものの、なかなか子どもを授からなくて長い間悩んでいたらしい。そんな経緯もあり、ようやく生まれた私は、それはもうかわいくてしかたがなかったと二人から聞いたことがある。
特に父は私にデレデレだった。裕福な家庭ではなかったけど、私が欲しいと言ったぬいぐるみはいつも買ってくれていた気がする。
共働き家庭だったため、0歳から保育園通い。小学校は学童。高学年になると鍵っ子となり家で一人で過ごすことが多かった。
そんな私にとってぬいぐるみたちは大切な家族であり友達だった。
ぬいぐるみたちとの関係性は中学、高校、大学生になるに連れて少し距離ができることもあったけど、一度も切れることはなかった。
ぬいぐるみが大好きな私。だけど、社会人になり家を出るにあたって、全てのぬいぐるみを実家に置いてきた。
決してぬいぐるみが嫌いになったわけじゃない。その逆だ。
最初は一人暮らしの家にぬいぐるみを全て連れて行こうとした。でも、家賃と部屋のスペースを考えると非現実的だった。
お気に入りを選抜しようとも思った。けれど、どの子もみんな大切な家族。家族に対して優劣なんてつけられない。結果、みんな平等に実家で待っていてもらうことにした。
一人暮らしを始めてからもぬいぐるみを買うことはあった。でも、新たにお迎えした子を特別扱いするのは前からいる子たちに申し訳ないので、買ってはすぐに実家に送った。
家を出た私は月に一度実家に帰りぬいぐるみたちと過ごしている。部屋中に所狭しと並んだぬいぐるみたちは幼少期の頃から変わらず今でも私の大切な家族だ。
ぬいぐるみと離れて生活するようになって十年ほど経つ。
彼氏はおらず結婚願望もゼロ。男なんかよりもぬいぐるみと共に生きていきたい。
そんな私を見て、親はたまに複雑な顔をする。やはり孫が見たいようだ。だけど、私はそれに気づいていないふりをする。
なに不自由なく暮らす私だけど、一つだけ困ったことがあった。それは暴力的な破壊衝動だ。
ぬいぐるみと離れて生活するようになって、ストレスが溜まりやすくなった。実家でぬいぐるみに囲まれると落ち着くのだけれど、会えない時間が長くなるほど黒い感情の濃度が増していく。
胸の中が黒くなっていくと、すごくそわそわしてくる。そして、やっちゃいけないことがしたい、綺麗なものをめちゃくちゃにしたい、そんな衝動に駆られるんだ。
例えばそれは人のものを盗む行為だったり、自分より弱いものに危害を加えたり、誰かが大切にしているものを壊したり……。
犯罪者になりたくはないから我慢してる。でも、たまに我慢し切れなくなって手が出てしまうことがある。
手が出ると言ってもちょっとしたイタズラレベル。ポイ捨てとかゴミ捨て場に捨てられたゴミ袋を軽く荒らす程度。ちゃんと軽犯罪にもならない範囲にとどめている……つもりだ。
ただ、犯罪じゃないとはいえ、私の行動が異常だという自覚はある。そしてそれがまたストレスになる。そんな自分の性格に嫌悪感を持ち始めた頃、彼と出会った。
「なあ、なにする気かわからんけど、やめといた方がええで」
四年ほど前。仕事帰りに破壊衝動にかられて、なにか程よくストレス発散できるものがないか探していると、いきなり声をかけられた。
周りを見渡す。
誰もいない。
電灯があるとはいえ住宅街の中の暗い夜道。人通りはなし。なのに聞こえた男の声。
良からぬことをしようとしている時に声をかけられたというのもあるけど、理解できない事態にゾッとした。
「こっちこっち。もっと下。すまんな、小さくて」
下の方から声がする。見ると、ゴミ捨て場に束ねて置かれたカラスよけネットの上にテディベアが座っていた。
「やめとき、いつか後悔すんでそんなことしてたら」
「テディベアが、しゃべった……」
「そらしゃべるて。口があるんやから」
「あるけど……」
「そんなことより、ほんまやめとき。いつか後悔すんで」
「やめとけってどういうこと? なにもしてないのに」
「え、しらばっくれるん? 無理無理、あんたやばい顔してたもん」
「やばい顔?」
「狡猾で弱い者を痛ぶるのが好きな人間の顔。自分、誰かを傷つけるようなことするつもりやったやろ?」
「…………」
「図星ちゃう?」
「そんなことないけど……」
「認めへんのや。まあでも、見た感じ根っからのやばいやつでもなさそうやん。どうしたん? おれでよかったら話でも聞こか?」
「え、あなたが?」
「他に誰がおんねん」
「……ごめんなさい」
「まあ、聞いていらんならそれはそれでええけど、いらんことはせんほうがええで。じゃあな」
「え、もう行っちゃうの?」
「そら、おれもここにずっといるわけにはいかんし」
「あの……」
「なんや?」
「話、聞いて欲しいです」
「そうか。ええで、聞いたるわ」
「……ありがとうございます」
「でも、その前に自分、家にあったかいコーヒーある?」
「コーヒー? インスタントのカフェオレならあるけど」
「それでええそれでええ。あったかくて甘いのが飲みたかってん」
「はあ……」
「じゃあ早速あんたの家行こ。カフェオレ飲みながらゆっくり聞いたるやん」
「あの……あなた、名前は?」
「テリーや、よろしく頼むわ」
聞いて欲しいとお願いしたものの、私の家にこの変なぬいぐるみが来るのかと思うとちょっと抵抗感があった。でも、なぜか深く考えることなく私はテリーを抱えて家へと向かった。
この時はちょっと話を聞いてもらう程度にしか考えてなかった。だから、まさかテリーとの暮らしがここから何年も続くことになるなんて思ってもいなかった。




