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気が付けば、少しうるさくしてしまったか、と申し訳なく思った礼御はベッドで眠る妖孤の様子を窺った。すでに紅子はパソコンの画面の前で息を荒くしている。
玉藻はそれでも目覚めていなかった。寝れば治ると自ら言っていた玉藻であるが、やはり礼御は不安になってしまう。そっと彼女の身体を撫でると思った以上に身体が熱い。
「大丈夫か、玉藻?」
その心配を和らげるためにも、眠っている玉藻に礼御はそう問いかけた。無意識下でも聞こえてはいるのだろう。玉藻のとがった耳がピクリと動く。
「紅子。玉藻はずっと寝たままだったのか?」
普段ゲームをしている紅子はほとんどのことに対して素っ気ないのだが、このときばかりは一度ゲームを止めて、礼御の方を向いた。
「うむ。夜もずっと寝ておった。一度も覚ましておらん。……そんな辛そうな顔をするでない」
礼御はそう言われて苦笑した。紅子の言いたい事はわかっているつもりなのだ。しかし普段の玉藻を思えば、そのギャップより深く気を懸けてしまうのである。
「大丈夫じゃって。あんまり心配しておると、玉藻殿も気兼ねなく休めんぞ?」
「それも……そうだな」
そうは言ったものの、しばらくの間礼御は玉藻から視線を外さなかった。それを見た紅子は優しく微笑み、画面へと向かう。
しばらく静かな時間が流れた。微かに聞こえるゲーム音と、それを操作するために押されるキーボードの打撃音。そしてゆっくりとしたリズムで吐き出し、吸い込まれる玉藻の呼吸音。その無音ではない静けさが、礼御の心を休めるのだった。
アルバイトで徹夜明けであった礼御の瞼は自然と重くなる。そうして礼御がうつらうつらとし始めたとき、そっと自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「――主様。今日はベッドで寝られてはどうじゃ?」
礼御がその声に促され薄眼を開けると、ヘッドフォンを外した紅子が傍に座っていた。いつの間にか、いかがわしいゲームも終了している。
「帰ってきてから、満足に寝ておらんじゃろ?」
確かにそうであった。アルバイトから、というわけではなく、『とある一件』から帰ってきてから数日が経つが、礼御はベッドで横になっていないのだ。彼らの住まう空間の中で一番休める場所を、ずっと玉藻に明け渡しているためである。
「玉藻殿も主様が過労で倒れたりしたら嘆くぞ?」
優しく諭すような口調だ。これは礼御がどう答えるか、紅子にはわかっているからである。わかっていながらも、紅子はそう声をかけたのだ。
「過労って……大げさだよ。それに俺がベッドで寝たら玉藻が休めないだろ」
「少しの間だけじゃ。ほれ、こっちの座布団に移ってもらえばいいじゃろ?」
紅子は先ほどまで自分が乗っていた座布団を指差して言った。確かに今、ベッドで横になれたらどんなに幸せだろう、と礼御は思う。しかしその幸せは玉藻の安眠を邪魔してまで手に入れるものではないのだ。
礼御は紅子の提案を受け入れない想いを込めて微笑んだ。
「主様……」
「大丈夫だよ。お前までそんな顔をするな」
紅子の小さな頭を撫で、礼御が言った。結局のところ、赤しゃぐまは主に逆らえないのである。どんなに普段ふざけようと、芯の通った主の意思を折ってまで彼女は自分の想いを貫くことができない。それがどれだけ主を慮っていたとしても、である。ゆえに紅子は切ない想いを隠しきれなかった。
「……はい」
そんな声を聞くと礼御までその想いを共有してしまいそうだった。それを紅子が望むわけもなく、そのため彼は話題を変えることにした。ちょうどその良い話題はバックパックの中に入っている。
「そうだ」
そう言って礼御は生まれたばかりの魔術具を取り出すのである。
「これ。――葵さんのところに行って帰る途中に形を変えたんだ」
礼御が紅子に見せたのは妖孤の皮からできた『手袋』であった。確かに形はずいぶんと変わってしまっていたが、それがあの『布』の次の姿であることを紅子はすぐに察する。
「ほう! ちゃんとした術具になったようじゃな。見せて見せて」
両手を突き出してくる紅子に、礼御は笑顔で『手袋』を渡した。紅子はそれをやわやわと握ったり、優しく引っ張ったりする。
「どう思う?」
「どう、とは?」
「これってどんな力があるんだろ?」
すると紅子は惚けたような顔で首を傾げ、言う。
「そりゃあ、主様の思う力じゃろ」
それは風術を使う魔術師が言ったこととほとんど同じであった。魔術具っていうモノはそういうものなのかと、礼御は無知ながらに納得する。
「どういう風な経緯で形を変えたのじゃ?」
何かヒントになればと、礼御は信用のおける妖怪に答えた。『布』が『手袋』に変わったときの自身の想いである。
それを聞いた紅子はしばらく黙った。そんな彼女の目に礼御は小さな驚きと羨望の色が見えた気がしたのだ。紅子は「主様らしいのかの」と呟く。
「ずいぶん曖昧じゃな」
「それって良くないことなのか?」
紅子は小さく呻きながら『手袋』を持ち主に返した。
「あまりわしは詳しくないからなんとも……。けれど想いより出でた術具なら、必ずその想いを反映した力を宿しておると思う。それには曖昧だとか、明確だとか、様々あると思うのじゃが……。――あくまでわしのイメージで良いか?」
「ん? あぁ、大丈夫だ」
一体何を伝えてくれるのだろう、と礼御が疑問に思う中、紅子が続ける。
「曖昧じゃと広く浅い能力を、明確じゃと狭く深い能力を、宿していると思うのじゃ」
「……広く浅いか」
自分の願いが曖昧だと自覚していた礼御はその事実を受け止めようとする。どんな願いだろうと結局は一長一短。浅いことはよくないが、広いことは喜ばしい。けれど、と礼御は思う。
そうと知っていれば、自分はもっとハッキリとした想いを願ったのではないか。礼御はそうも思ってしまうのである。
「あ、あくまでわしの個人的な見解じゃぞ? あんまり鵜呑みにせんでくれ」
礼御の思いを察したのだろう。紅子が改めてそう付け加えた。
「うん。わかってるさ。後悔しているわけじゃないんだ」
「それなら、いいのじゃが」
この紅子という妖怪は、主に対する気分の変化が極端だ。そう礼御は思い、ここで微笑んだ。普段プレイしているゲームについてはまったく礼御の気持ちを鑑みる気配がないが、それ以外については随分と主想いだと、礼御は感じるのである。
「しかしなぁ。どう使えばいいんだろうか?」
そう言って礼御は『手袋』をはめてみた。両手の皮膚に伝わる温柔さに心が和らぐ。
その姿を見ていた紅子は「あ!」と声を上げたかと思うと、興奮を抑えた様子で礼御の服の裾を引っ張る。
「なあ、主様!」
「……なんだよ」
これは主を思う彼女でなく、アダルトゲームをするときの彼女だと気が付いた礼御は、おずおずと紅子の要求を聞いてみる。
「これはたぶん確実な事じゃと思うのじゃ。その『手袋』にどんな願いをかけようとも、本質は妖孤の力を宿しておると思う」
「……だから?」
「だからどんな願いをかけようとも、火術は使用できると思うのじゃ!」
確かにそうかもしれない。字深 蓮武という玉藻の元相棒にして、礼御と同様に玉藻から魔術具を与えられた彼のそれ。白く牙のような短刀は事実火炎を生み出していた。しかし雨無 葵曰く、それはあの魔術具の本質ではないとのこと。つまり次のように考えられるのではないか、と礼御は思った。玉藻から与えられた魔術具は二つの能力を持ち得ている。一つは使用者が求めた力。もう一つが妖孤の力である。
紅子のいうことは間違っていないのではないか。と礼御は彼女の言うことの大半を受け入れた。その上で彼は問う。
「……で?」
「指パッチン! 指パッチンして!」
どういうことだ。礼御は紅子の要求に対して単純な疑問を抱いた。意味がわからないのである。火術と指パッチンがどうつながるというのだろう。
「なんだよ、それ?」
「主様も鈍いのー。手袋に火術っていったら、指パッチンで火を点けるのが定石じゃろ!」
紅子は小さな手で指をはじいていた。パチン、なんて良い音はせず、ただ指が掌にぶるかるだけのボデっという音である。
「定石なのか?」
確かにイメージはしやすい。しかし、と礼御は躊躇う。
「オリジナリティに欠けないか、それ?」
「主様。基礎ができないうちにオリジナルを求めるのは愚の骨頂じゃぞ。いいから、ねぇ。やってみて!」
そう言いながら迫る紅子に礼御はたじろいだ。これはとりあえずやってみないとおさまらないな、としぶしぶ礼御は右手を構えた。
「じゃあ、いくぞ……」
「おう!」
しびれるような緊張が礼御を包んだ。初めて魔術具を手にし、そしてこれが初使用になるのだ。普段より早い脈を感じながら、礼御は空気を一吸いし、そして指を鳴らす。
―――パチンッ。
と、お手本のような良い音が鳴った。が――。
「……」
「…………」
それだけである。驚くべき変化どころか、火花一つ散りもしない。期待に反した、気まずい雰囲気が漂う。
「…………」
「……意気込んでおいて、それ? ……え? 恰好悪っ」
「お前の要望だったじゃないか!」
紅子の囁くような中傷に礼御は大きく反論した。
「ぇぇ? 逆切れ? 怖っ! 最近の若者、怖っ!」
対して紅子はまったく自分に非がないことをアピールする。
「お前にそんなこと言われなくない!」
と、ついつい礼御が声を荒げてしまったところで、「あ。玉藻殿寝てるから、静かにしてくれます、主様?」と紅子が淡々と正論を言うものだから、もはや礼御には項垂れるしかやることがなかった。




