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魔術具の誕生からバイトへ移り、面倒な客の相手を終えた日の朝である。
この日も礼御は姫菜から朝食の誘いを受けたのだが、今日は用事があると言って断り、すぐに自身のアパートへ帰った。
玉藻の様子が気になったのももちろんだが、孵ったばかりの魔術具に惹かれていたからだ。
「ただいまー」
鍵を開けて礼御は自室に入る。玉藻は大丈夫だろうか、紅子は何をしてるかな、と思っての帰宅だった。
「ただいま、紅子」
ワンルームの部屋に戻った礼御は再度帰宅の挨拶をした。玉藻は変わらずベッドで眠っているようだ。紅子はパソコンの前に座り、主の帰宅に見向きもしないまま「おかえりなさい」と返事をする。ヘッドフォンをつけ、何を真剣にやっているのかと礼御がその画面を覗くと、彼女はアダルトゲームをやっているのだった。それがこの童女の変質的趣味である。
今までに礼御は何人かの妖怪に出会っているのだが、皆それぞれ変わった趣味を持っていた。その代表例が紅子だ。彼女は男性向け十八禁ゲーム、いわゆるエロゲを好んでプレイするのである。あまり褒められた趣味ではないのだが、紅子は人ではないのだし、強制的に辞めさすべきでもないのかもと礼御は容認していた。ちなみに紅子の見た目は間違いなく十八歳以下だ。それでも彼女は十八年以上生きているそうなので、法には触れていない。そもそも妖怪に人間の法をあてがうというのも変な話なのだろう。
そんな真顔で画面に向かう紅子を見た礼御は、おや、と思うのだった。
ヘッドフォン?
いつもなら主の嘆願を無視して、女性の喘ぎ声をスピーカーで垂れ流している彼女なのだ。それが今日に限ってはヘッドフォンをしている。
「なんで今日はヘッドフォンをつけてんだよ?」
疑問に思った礼御が尋そうねるが、紅子は何の反応も示さない。あぁ、ヘッドフォンをしててきこえないのか、とも礼御は思ったが、先ほどこの童女は帰宅の挨拶に返事をしていたではないか。どう考えても聞こえないふりをしているのである。
さすがに無視されるのは気分が良くなく、礼御は紅子がつけているヘッドフォンを奪い取るのだった。
「主様の質問だぞ。無視すんな」
すると紅子は「あぁ!」と嘆く声を上げ――。
「何すんじゃ、このボケ主……様?」
そのときの紅子の表情の変化を見た礼御は不審に思った。嘆いたかと思えば、怒りを顕わにし主にボケまでつけて礼御の顔を見た、かと思うと彼女の顔は訝しさが上書きされたのである。現に語尾に疑問符がついていた。
「なんで疑問形なんだよ?」
「いや……。おぉ、主様じゃ」
「……他に誰に見えるんだよ」
何か企んでるのか、と礼御は紅子の様子に注意する。
「ちょっと驚いただけじゃ。主様らしからぬ、違和感のようなものがチラついたからの」
「どういう意味だ?」
「気にするな。たぶんいきなり怖い顔が目の前にあったからギョッとしただけじゃ」
おかしな態度ではあったもの、その紅子の言葉には偽りを感じないのである。紅子は「我が主様の体質じゃ。気のせいだろうの」と言いながら、ニコニコしてヘッドフォンに手を伸ばしている。それに対し礼御は彼女の手が届かないよう、ヘッドフォンを掲げるように持っていた。
なんだか引っかかる。とも思った礼御であったが、それ以上紅子の様子に変わりはなかったため、バイト明けで疲れた顔でもしていたのだろうと思うことにした。
「なぁー、意地悪せんでくれ」
紅子がペチペチと礼御の胸を叩いて懇願する。礼御には可愛い子供を虐める趣味があるわけでもなく、彼女が機嫌を損ねないうちには孵すつもりだった。しかしあまり我儘な生活を送らすべきではないだろうと思い、再度尋ねるのである。
「なんで今日はヘッドフォンをつけてるんだ?」
「そんなの玉藻殿が寝てるからに決まっているだろうがぁ」
紅子の視線は手の届かないヘッドフォンに釘付けのままだった。ぴょんぴょんと跳ねて、どうにか奪い返そうとしている。
そんな彼女を見ながら礼御は溜息をつかずにはいられなかった。
「なんでお前は俺より玉藻に気を使うんだよ?」
赤しゃぐまの紅子にとって、家主が自分の主である。その主がヘッドフォンをつけてゲームをしろと言ってもきかないのに、居候の玉藻には自ずと気を利かしているのである。一周回って、怒る気にもなれない礼御であった。
「む。確かにおぬしはわしの主じゃ。けれどの、全ての命に従うわけではない。当然じゃろ。わしは奴隷ではないのじゃぞ!」
そこで礼御は思い返すのだが、彼の記憶の中に紅子が礼御の命令に従った姿が存在しないのに気がついた。全ての命に従うわけではないどころか、全ての命に従っていないのである。
「じゃあ、紅子はどういった命令なら従ってくれるんだよ?」
奴隷ではないにしろ給仕くらいの従いはほしいものだ、と礼御は呆れる。
「そりゃあ、服を脱げと言われれば脱ぐし、股を開けと言われれば開くし、奉仕しろと言われれば――」
「お前はエロゲのやりすぎだ!」
まったく要求しない命令ばかりに従うと言われても、それほど役に立たないことはない。そもそも赤しゃぐまは家守妖怪のはずだ。加えて高貴な妖怪だとも言う。それなのに今の発言だけ取り上げれば、紅子は礼御の肉奴隷ではないか。他の高貴な妖が泣くぞ、と礼御は思った。
「そんなことしなくていいから、ヘッドフォンをつけるくらいの命令には従ってくれ」
すると紅子は目を見開き、歯を食いしばった。その小さな口から「うぅぅ」と苦しみの音が漏れてくる。
「りょうか、い……じゃ」
「難易度がめちゃくちゃだな、お前」
そう呆れながら礼御は紅子にヘッドフォンを返すのだった。
このとき紅子は礼御の喜びのあまり弁慶を蹴りあげたのだが、それは興奮によるもので決して故意的なものではない、と自分に言い聞かし、うずくまる礼御であった。




