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「だいたい基礎って言うのなら、まずは火を灯すことから始めるのが本当だろ。何で最初から恰好つけてるんだよ」
「うむ。恰好つけたのは主様じゃ。気をつけい」
この同居妖、口が減らないのである。むっとした礼御は『手袋』をはめた指で、彼女にでこピンをした。不意の攻撃に、紅子は「あぅ」と声を漏らし言う。
「すぐ暴力ふるのじゃな。でぃーぶいじゃぞ、これ!」
「なにがDVだ。お前、ちゃんとした意味を知らないだろ、どうせ」
何か適当にDとVからはじまる単語を組み合わせて、偉そうな顔をするに決まっている。と礼御はにやけた。
「はぁ? しっとるわい。どめすてぃっく・ばいおれんす、じゃろ。常識じゃ」
「ぉ、おう。そうだな」
そういえばこの赤しゃぐまという妖怪以上に人の家庭に身近な妖怪もいなかったな、と礼御は悔いた。
「ちなみにわしは英語でもかけるぞ。主様も当然書けるよの?」
礼御はそこでギクリと身を強張らせた。恐らく書ける。しかし英語は苦手な彼であった。
「もちろんだ」
「じゃあ、書いて見せよ」
そう言って紅子は紙とペンを主に渡し、命令してきたのである。礼御はこれってどうみても主従関係がなりたっていないよな、と思いつつも、引き下がるのは許せず、それに従った。
紙を見つめ、ペンを握ると、礼御はしばし考え込んだ。
いや、単純に発音から綴りを導けばいいだけだ。
そこで礼御はゆっくりと文字を書く。
『Domestic Violence』。
これで正しいはずだ、と微妙な自信を持って礼御はそれを紅子に見せつけた。
「どうだ、あってるだろ?」
すると紅子の表情がにやけるのが礼御にわかった。その後の展開を予想するのが辛い礼御である。
「ぶっぶー! 違いますー」
紅子の表情は実に素晴らしい笑顔であった。主を何だと思っているのか知らないが、指を指して彼女はバカ笑している。
「どめすてぃっくのsの後にはuが必要じゃし、ばいおれんすはlじゃなくて、rじゃ、ばーか!」
ちなみに礼御が書いた英単語の綴りは間違っていない。紅子は礼御が英語に疎いと察した上で、はったりをかましているのである。
「な……。お前な、主に向かってバカとはなんだ!」
しかしそれに気付かない礼御であった。
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのじゃ。主様はわしより、頭の悪いお馬鹿様じゃあ」
紅子はさらに変顔を作り、礼御の馬鹿さ加減を主張した。それに礼御はぐっと握りこぶしを作ったが、それを振り下ろしたのでは自分の完全敗北だと冷静に判断し、どうにか反撃をしようと思考を巡らす。
「最近の大学生は馬鹿なのじゃな。間違っても大学で勉強しているなんてぬかすんじゃないぞ」
何かないのか。
「馬鹿になるために大学に行くとは、世の中間違っておらんか? なぁ、お馬鹿様?」
何か……。
「そんなんじゃから、就職活動が難儀じゃと後々ほざくのじゃ。間抜けめ!」
そして思いついた。彼女を従わせる命令である。
「……わかった。俺は馬鹿だ。認める」
「ほぅ。わかったなら良い。きちんと若者らしく精進――」
「なぁ、紅子」
「……なんじゃ?」
紅子の目にふと入った勝ち誇った青年の顔である。先ほどまでの口調から、紅子は自然な口調へと戻らされた。
「…………」
「……えっと」
ちと、やりすぎたかの、と紅子が体罰を覚悟したところで、彼女の主が口を開く。
「脱げ」
「はっ?」
予期しなかった主の言葉に紅子の頭は疑問で埋め尽くされる。
脱げ……と言ったかの?
「脱げって言ったんだよ。お前は俺が言えば、全裸でもどんなポーズでもとってくれるんだろ?」
「いや……確かにそう言ったが。それはいろいろまずいのではないか?」
「なんだよ、紅子。結局は口だけだったのか?」
その紅子の様子から礼御は確信した。以前全裸で礼御のシャワーに突入した紅子であるが、自ら脱ぐのと命されて脱がされるのでは意味が全く違う。こいつは恥ずかしさのあまり脱がない。と、そんな甘い礼御であった。
「……」
「どうした、嫌なのか?」
すでに勝利目前といった表情の礼御に対し、紅子は困惑し赤面していた。
「別にいいんぞ。恥ずかしがるのは重要な乙女心さ。今からきちんと謝罪する――」
「あ、主様がそんなとこを望んでいるとは……」
「……ん?」
すると紅子は立ち上がった。それでも礼御の視線と彼女の視線の高さに大差はない。紅子はいつも鮮やかな、彼女の名に相応しい紅色の着物を着ているのである。そして着物には当然帯があるわけだ。
「主様……」
なんでこいつはこんな顔をしているんだ。礼御は紅子の表情にいっそ恐怖した。恍惚と言えば良いのだろうか。うっとりとした、けれどどこか緊張している。目を細め、しかし礼御の顔をじっと捉えて離さない視線。
紅子はすっと帯を解いた。そして流れるように赤い着物を身体から落とした。残るは白い肌襦袢。その形を整えている結んだ紐までもほどき始めた紅子。
そこで礼御は自分がいかに浅薄であったかを思い知らされる一言が彼女の口から放たれる。
「人と妖の……禁じられた子。それでもわしは三人欲しいのぉ」
「!? 待て待て、紅子。俺はそんなつもりじゃ――」
白い裾を引っ張れば、もう紅子の全裸が目の前にある状態だった。紅子は目を閉じ、その小さな口を微かにとがらせ、礼御に近寄ってくる。
これはダメだ! と覚悟した礼御は、そして次の行動へと移る。
「すいませんでした!」
土下座である。礼御は頭を床につけ、紅子に謝罪した。土下座という至極有名な行為は、それでも日常的に行われるものではなく、礼御の初土下座は自分を主と呼ぶモノへのものとなった。
「……」
「…………」
頭の上で裾が擦れる音がする。紅子が自ら脱いだ着物を身につけ始めたのだ。
その後しばらく沈黙が続き、礼御にひどい惨めさが蔓延しきった頃である。
「……表を上げよ」
「……ハイ」
その言葉に礼御は素直に従う。思った通り、紅子は普段の姿へと戻っていた。よかった、と礼御は安堵する一方、どうにも彼女の移り変わった表情に悔しさを覚えるのである。
「ま、本当にわしと子作りしたくなったら言ってくれ。わしは快く受け入れるぞ」
「そんなの来ねえよ……」
「そりゃあ、残念じゃ」
と言って、紅子は軽やかに笑った。どこまで本気なのか礼御にはわからない。しかし紅子にとって礼御は命の恩人に他ならず、彼女は礼御が本気で要求すればその命だって差し出すに違いない。それに比べて性交渉がどれだけ難度の低いものかは想像に難くない。
今後間違ってもロリコンにはならないぞ、と一人誓う礼御であった。




