幼少期3
3
城下町の我が家は、今日も穏やかな午後の光に包まれていた。
僕は今日も今日とて、汗が滴る額を拭うことも忘れて夢中になっていた。
父がいない間も決して訓練は怠らない。男同士の約束だからだ。
時折、野菜を刻んでいる母と窓ごしに目が合って微笑みに手を振って返す。
父を見送ってから三日目の午後。
玄関の扉が、誰かに蹴り飛ばされるように激しく叩かれた。
僕は剣を振る手を止め、顔を上げた。
そこには黒い外套を纏った男が、荒い息を吐きながら立っている。
先日、僕を馬に乗せて家まで送り届けてくれた父の配下だ。
しかしその顔は血の気を失い、額には汗がびっしょりと浮かんでいた。馬の姿はどこにもない。
扉を叩く音に反応して、母が手を拭きながら慌てて扉を開いた。
「ライオネル団長のご家族に……! 急ぎお伝えせねばならぬ報せが……!」
母は訝しげに小さく頷くと、使者は声を潜めてまくし立てるようにこう告げた。
「団長が……ライオネル騎士団長が国王陛下を討ったとのこと……!」
何のことだ?
理解ができない。頭がまわらない。思考が追い付かない。
音として言葉が耳に入ってくるにも関わらず、言葉の意味を脳が理解することはない。
この人は何を言っているんだ。冗談を言うな。父さんがそんなことをするはずがない。
「宰相殿から内密にと……城内は今、大混乱です。冗談などでは……ありません。俺にも……何が起きているのか、もう……」
母の手から布巾がするりと滑り落ちた。
次の瞬間、母の膝が、がくりと折れ、その場へと崩れ落ちそうになる。
僕は咄嗟に駆け寄り、細い体を抱き留めた。
触れた肩は、まるで氷のように冷たかった。
「私は王より団長を慕っていました。だからこそ、いち早く……。情報を漏らした私も、どうなるかもはやわかりません。御家族にも……危害が及ぶやもしれません。どうか、お気をつけて……」
そう言い残すと、彼は踵を返し、よろめくように去っていった。
「……母さん?」
今にも倒れそうな母の体を支えながら、僕は呼びかけた。
母は弱々しい笑みを浮かべ、僕を抱き締めてくれる。
だが、いつもより小さく感じる体は、小刻みに震えていた。
「大丈夫……大丈夫よ。きっと、何かの……大きな間違いよ。お父さんが、そんなことするわけ……ないもの……」
母の声は、僕にかけられているようで、そうではない。
まるで自分自身を安心させるため、言い聞かせるように口にした言葉だった。
◇◇◇◇◇
報告を受けてから数日が経ち、僕達は城下町の端にある貧民街へと身を潜めていた。
誤報だったとしてもどんな影響があるかわからない。万が一に備えてその日の内に荷物をまとめ、僅かな財産を手に夜に紛れて我が家を後にしたのだ。
どうやら父の影響はここまで及んでいるらしい。英雄、そう呼ばれる前から父は貧民街へと食料を運んだり、何かと厄介な出来事に首を突っ込んでは解決に導いていたそうだ。
そのおかげか事情をぼかして話すと、貧民街をまとめている人物から少しの金銭と引き換えに、しばらくのあいだ空き家を借りる事ができた。
父のせいでこのような状態に陥り、父のおかげで事はスムーズに運ぶ。なんとも複雑な心境だ。
母は報告を微塵も信じてはいなかった。
当初は突然の報告に戸惑いはしていたものの、持ち前の明るさと父への信頼が勝り、今は冷静さを取り戻している。
いつもの母に戻ってくれてよかった、という気持ちと、無理をしていないだろうか? という気持ちが半々。
事実、心労のせいなのか少しやつれて見える。
「きっと誤解よね。すぐに事情を聞いたあの人が来てくれるわ。その時には報せをくれた配下の人にたーっぷりとおしおきをしてもらいましょ」
そう言って笑う母の笑顔を見ているとチクリと心が痛む。
なぜだろうか?僕にはまだ答えがわからなかった。
そんな僕達の気持ちとは裏腹に、貧民街での生活はそう悪くはないものだった。
持ってきていた財産を金に換えると、しばらく生活に困らない額になったらしい。
金銭面での安心感に加えて、元々大して贅沢な暮らしをしていたわけでもないので、すぐにここでの生活に馴染んでしまった。
部屋の隙間から入ってくる風はちょっぴり寒くて、時折遊びに来たネズミが母のことを驚かせたりもするけど、そんなときは騎士として僕が退治してやるのだ。
父が戻ってくるまでの初任務を立派に務め上げよう。




