王国編9叙任
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ハンスによると私は一週間眠り続けていたらしい。
積もる話もあるとのことで、半ば強引に食堂へと引っ張られてきた。
杖を借り、いつもの道が数倍の距離になったかのような感覚を覚えながら、なんとか目的地へと辿り着く。
「ハルトも遂に騎士様かよぉ〜。まぁ、あれだけのことをやったんだ。当然だけどさぁ……。なんか遠くなったみたいで少し寂しいぜ」
悲嘆に暮れた表情のまま、鷲掴みにした黒パンを次々とほおばる。
頬がもぐもぐと動き、喉仏が忙しなく上下する様子は、発した内容とはまるで釣り合わない。
本当に寂しがっているのか、それとも空腹だけが本音なのか、判断がつかなかった。
「騎士と言っても飾りみたいなものだ。まだどうなるかは分からないが、恐らく以前より暇になるだろう」
「本当か? それなら騎士になるのも悪くはない、ような?」
心情を知ってか知らずか、ハンスは一緒に居られる時間が長くなると言って素直に喜んでいる。
一見すると無神経とも見える、前向きな能天気さに救われる。
深く考えずとも、なるようにしかならないのだ。
彼に倣ってパンを口に放り込む。大怪我をした後の食事は、やはりいつもより体に沁みる。
数日分の遅れを取り戻すかのように、咀嚼を繰り返して栄養に変換していく。
「それにしても物騒だよなぁ。アリシア様が狙われるなんて。最近はホーリーナイトとかいうダサい名前の義賊も出てきてるし、いったいどうなってんだろうな」
ホーリーナイトに思わず反応しながらも平静を装い、豆と玉ねぎの浮かんだスープを飲み干す。
悪徳貴族から略奪をする賊にも関わらず、聖なる騎士という皮肉が頭に浮かんだときには衝撃が走ったが、そんなにダサいか? ホーリーナイト。
「いったいどんな手を使った? 卑怯者め」
ハンスと他愛のない雑談をしていると、ヴァルディスがいつもの二人を引き連れて現れた。
またこいつか。深いため息をついて視線だけで返事をする。
機嫌の悪さを微塵も隠そうともせずに、表情を歪ませては早々に罵倒を捲し立て始めた。
「本来は我々がお救いするはずだった手柄を横取りしたのだ、貴様は。大人しくしていろと言う言葉を聞いていなかったのか?」
セドリックとベルントと呼ばれていた取り巻き二人も同調して、同じことを繰り返している。
「お言葉ですが、ヴァルディス卿の配置ではどんなに急いだとしても間に合わなかったでしょう。比較的近くから見ていた私でもこの有様でして」
視線を追った後、バランスの悪い足元を見て彼は鼻で笑う。
「片脚を失ってまで主を守った忠臣。おぉ! なんという美談だろうな! ……それで? 杖がなければまともに歩けもしない者が騎士だと? 笑わせないでくれ」
「おいっ!」
隣で黙々と食事を進めていたハンスが、珍しく声を荒げて身を乗り出している。
今にも掴み掛かりそうな彼を右手で軽く制して宥める。
気持ちはありがたいが、今回ばかりはヴァルディスが正しい。
私自身、何をするべきなのか全く見当がついていない。
「……そうですね。その通りです。ですが、これは私の意思ではなく上の方々が決めたこと。私は期待を裏切らないように、私に出来ることを全うするだけです」
「……その耳障りな喋り方をやめろ。山賊崩れめ。失くなった足と共に騎士ごっこはもう終わりだ。貴様と私が同じ身分などあり得ないのだよ」
こいつは人に説教をするわりに、自分自身が話を聞くということをしない。
一歩、踏み込んできた。威圧ではなく、余裕の表れなのだろう。
すぐにでも手が届く距離が、お前など怖くないという意思表示だった。
「それにしても知のディートリヒも耄碌したものだ。片脚のないものを騎士だと? 所詮は英雄ライオネルの影。裏でコソコソと謀略でも練っていればいいものを、ライオネルがいなくなり勘違いしたか?」
「ヴァルディス卿。それ以上は」
私が宥めようとお構いなしに、彼の舌は熱を増して回り続ける。
机の上についた両手が大きな音を立てて食卓を揺らす。
「そういえば最近貴様の回りをうろちょろしているハーフエルフの女。あれは何だ? 貴様お気に入りの娼婦か?」
良いことを思いついたと言わんばかりに、私に顔を近づけわずかに前傾みになった。
先ほどまでの余裕ある距離感ではなく、獲物に顔を近づける獣のような、下品な前のめりだった。
「そうだ! お前は顔だけはいいからな。自分に近付く体のいい女を使って爺に取り入った! 違うか? 女の使い道などそれぐらいしかないだろう」
「ハーフエルフなどという卑しい半端者に色ボケ爺! 極めつけは山賊崩れの騎士殿と来た! お似合いの三人組だ!」
ヴァルディスの声が、遠くなっていった。
言葉の意味が届かなくなったのではない。
逆だった。
一言一句、妙に鮮明に聞こえていた。
それでも何かが、内側でぷつりと切れた。
気づいたときには、机に手をついていた。ヴァルディスと同じように。
顔が近い。だから、そのまま掴んだ。
襟でも髪でも、手に触れたものを。そして机に、叩きつけた。
広い食堂に大きな音が響き渡る。自分でも思っていたより。
静まり返った食堂の中で、ヴァルディスだけが机に突っ伏していた。手の震えに、少し遅れて気づいた。
「騎士ごっこはもうやめだ。望み通りにしてやる。どうせ俺の目的は果たせないしな」
すっきりとして妙に冴え渡る頭は、自分の発した言葉を引き金に理性を置き去りにする。
止める気が起きなかった。
机から引き剥がして、床に落とした。ヴァルディスが何か喚いた。ずっと前から聞き飽きていた声だった。
「今の俺でもお前を殺すことぐらいは簡単に出来る」
拳を落とした。また落とした。
何度も何度も何度も何度も。
狙ってなどいなかった。ただ、積み上がっていたものが、重力に従って落ちていくような感覚だった。
怒りとも呼べない、もっと重いものだ。
痛みはなかった。自分の手の痛みも、相手の呻きも、食堂がざわめく気配も、全てが薄かった。世界がひどく遠いのに、拳だけが確かに形を作る。
気がつけば誰かに腕を掴まれ、羽交い締めにされていた。
「悪いな。ハンス」
もう会うことはないだろうと予感して詫びる。
その場にいた複数人に捕らえられ、動かなくなったヴァルディスと食堂を後にした。




