王国編8叙任
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またか。
また目覚めてしまった。
石造りの天井。白く塗られた壁。窓から差し込む光が、埃を金色に光らせながら漂っていた。
生きている。
その事実が、じわじわと染み込んでくるように脳を活性化させる。
また生き残ってしまった。
女王に一つ恩を返せたという充足感が確かにあるが、終われればよかったという気持ちが同時に存在していた。
女王の命を救えたのだ。私の命の使い道としては十分すぎる。
それ以上を望む資格が自分にあるとは思えなかった。
だが、まだ生きている。
ならば仕方がない。
生きているからには、続けよう。
まだたった一つ。一つしか返せていないのだから。
幼少期に私へ希望をくれた、アリシア様への恩は、脚一本で返せるほど軽いものではないはずだ。
体を起こそうとして、全身が悲鳴を上げた。
肩、背中、腹。包帯が幾重にも巻かれている。
それでも動けないほどではない。穢れた血でも役に立つものだ。
ベッドの端に手をつき、立ち上がろうとしてバランスが崩れる。
不思議な感覚に戸惑い、足元に目をやると━━
━━━━右脚が存在しなかった。
膝から下には何もない。不自然に短くなった脚の断端が、幾重にも包帯に包まれてシーツの皺を作る。
鐘に挟まれ、自ら切り捨てたとき、そうなることはわかっていた。
ただ、どこかで期待していた。再生すると思っていた。
腕一本程度なら時間はかかっても戻ってくる。
これまでの経験ではそうなるはずだった。
鐘の下の脚は、恐らく粉々に砕かれ、原形を留めていないだろう。
綺麗に切断した腕のときとは状況が違う。
吸血鬼で不老不死などと言っても所詮はハーフ。
少し老いるのが遅く、少し治癒能力が高いだけの半端物だ。
特性に甘え、無茶なことばかり繰り返してきた代償を支払っただけ。
今までが上手く行き過ぎていたのかもしれない。
再生を織り込んだ上での判断だった。
脚一本で女王の命を守れたのだ。選択を間違ったわけじゃない。後悔もしていない。だというのに、一つの現実が重く伸し掛かる。
━━━━女王の傍に立つ日など永遠に訪れない。
英雄として父を上書きする。
そのために騎士になる。騎士になって、女王の側近として仕える。
それが私を生かし続ける原動力だった。
隻腕ならまだしも、片脚の騎士など聞いたことがない。そもそも戦うことさえままならないだろう。
残されたものは死に損ないの体と、空虚だけだった。
ベッドから転げ落ちる。
不慣れな体に無様にも全身を打ち付け、立ち上がれずにもがき続ける。
まるで自分のものではないかのようだ。
体を捩るたびに、冷えた床が体を汚していく。
なんと醜い姿だろうか。
打ちひしがれていてもお構いなしに、軽い音を立てて入口のドアが開かれた。
入ってきたのは師匠、後ろにフィオレが控えている。
床に手をついたまま見上げると、師匠は一瞬だけ表情を変えた。
ほんの僅かだったが、見間違えようがなかった。
「……起き上がれるか」
「この程度、問題ありません」
強がりだった。
二本の脚に慣れきった脳では、一本の脚で起き上がることを良しとしない。
失ったという事実を認識しながら、脳はそれを拒み、未だ存在するという感覚を与え続ける。
フィオレが察してくれたのか、無言で肩を貸してくれた。
ベッドに力なく横たわると、師匠が椅子を引いて腰を下ろした。
「まずは礼を言わせてほしい。アリシア様を失わずに済んだのはお前のおかげだ。心より感謝する」
声はいつもより低く、座ったまま一瞬息を整えて、頭を深く垂れた。
背中を丸めず真っ直ぐに折り曲げ、両手が膝の上で自然に添えられたまま、長い間同じ低い姿勢を保っていた。
「当日は警備から外されていたらしいな。 だというのに、危険を事前に察知する観察力、傷一つ負わせぬ迅速な判断力、そしてそれを可能とする身体能力、どれを取っても見事というほかあるまい」
いつも通り表情の変化は見られないが、今日は少しだけ違った。一語一句の重さが、普段の苛烈さとは別の、噛み締めるような響きを含んでいる。
「同時に謝罪をさせて欲しい。今回の事件は我々が招いた失態だ。結果、お前が脚を失うこととなった。すまなかった」
再び深く、今度は項垂れるように頭を垂れ、首をさらに押し込むようにした。
背中が弓なりに丸まり、指先が白くなるほど拳を握り、言葉にならない後悔がその姿勢の隅々にまで染み渡っていた。
いつもは大きく見える体が、とても小さく視界に映る。
こんなにも覇気のない姿を見せられて、いったい誰が糾弾出来るというのだろうか。
「頭を上げてください。結果は私の未熟さゆえ。それよりもあの後どうなったのですか?」
「それについては私から話すよ」
後ろに控えていたフィオレが、神妙な面持ちで前に出ると、気絶した後の顛末を詳細に説明してくれた。
広場は混沌に飲まれ、仕切り直しとはいかなかったらしい。
予定していた催しは全て中止され、女王の安全を確保。
その後なにかあるかと警戒を続けたものの、何事も起こらずに事件は終息していった。
女王の無事と引き換えに、近隣諸国の要人達を危険に晒すという、ヴェルトランティアの信頼を大きく揺るがす結果となった。
「それで、あんなに速く動けたってことは元々何か感じてたんでしょ?」
「ちょっとした違和感だけだ。確証があったわけではない」
前日に気付いた違和感について、包み隠さず全て伝える。
一年という短い期間での建築、見慣れない職人、石畳の傷、女王の不自然な視線。
どれをとっても些細なことだ。なので走り出した時点で何が起こるかわかっていたわけじゃない。
ただの勘。焦燥感に苛まれ突発的に動いただけで何もなければそれでよかった。
「なるほどね……でも、やっぱりそうか」
「どうした?」
フィオレに代わって師匠が話を整理し始める。
「あれは事故ではないということだ。恐らく事故に見せかけ、意図的に引き起こされた暗殺」
鐘の接合部への細工跡。建設期間中に潜入した工作員。式典後に調査を進めたが、関わった職人の何人かは偽名で、既に行方をくらましている。
直前に女王と接触し、立ち位置を指示した貴族を知る者はいない。
どこの誰が、何の目的で仕掛けたかは現時点で不明。
規模の大きさから個人的な犯行ではないことが分かってはいるものの、手掛かりとなる証拠は少なく、真相が明らかになる望みは薄い。
比較的近隣諸国と友好な関係を築いてきた女王なのだ。
ヴェルトランティアを貶めて得をする国が怪しいだろう。
「まぁ、わからないことはひとまず置いといて〜、それよりも」
「?」
彼女の顔から、真剣で張りつめた表情がするりと剥がれ落ち、しきりに師匠のほうへと目線が流れる。
瞳が悪戯っぽく細められ、唇の端がゆっくりと吊り上がる。
いたずらな笑みが一気に広がり、まるで秘密の遊びを思いついた子どものように、楽しげな輝きを帯びて顔全体を明るく染め上げた。
いつも通りに戻った師匠も、どこか心ここにあらずと言った様子だ。
女王の暗殺未遂の直後だというのに何があったというのか。
「ラインハルト。お前の騎士としての叙任式が執り行われることが決定した」
目を見開いたまま相手の唇の動きを追う。言葉の意味が頭の中で溶けていくような感覚に襲われ、感情は行き先を失う。
理解が出来なかった。片脚を失った人間が騎士?
馬鹿げている。まともに一人で立ち上がれもしない騎士など、どこを探しても存在しない。
「片脚を失ったことで反対意見もあったが、私が全て叩き潰してやった。女王陛下の強い推薦もある。喜べ。ようやくお前の力は認められた」
「ですが、私は」
師匠は静かに続けた。
「違う。お前が示したのは類稀なる忠誠心だ。己の身を犠牲にしてでも主を守る、高潔な精神が騎士として相応しいと判断された」
フィオレのいつもの悪戯な笑みが、ふっと静かに引いていく。
代わりに、深い瞳の奥から溢れるような優しさがゆっくりと広がり、私をそっと包み込むように唇の端が柔らかく弧を描いた。
「おめでとう、ラインハルト」
師匠も珍しく口の端を上げて、「よくやった」という重みが乗った手のひらを左肩に当てる。
二人の言葉が、胸に響いた。
あぁ、嬉しいという感情だったか、これは。
久しく味わうことのなかった感覚に戸惑いながらも、すんなりと心の奥底に言葉は沈んでいく。
それは本当だった。
それでも騎士という肩書きにはもはや何の興味もなかった。
騎士という称号はもらえる。しかし、それは名誉として与えられるものだ。
片脚の騎士が剣を振るうことはない。戦場に立つことはない。表に出ることはない。
彼女と共に影として暗躍する毎日は充実しているだろうが、決して父を上書きすることはできない。
あまりにも強い光に影は掻き消える。
私が欲しかったのは肩書きではない。ありとあらゆる脅威から女王を守り続ける事実であり、英雄ライオネルを超える輝き。
二人の称賛を受けながら、私にこれから、という言葉が存在しないことをひしひしと感じていた。




