王国編7暗殺
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式典当日の朝、広場はすでに人で埋まっていた。
昨夜の前夜祭の熱が冷めないまま、そこに新たな人波が加わっている。
門前には遠方からの賓客を乗せた馬車が列をなし、色とりどりの旗が朝風に揺れていた。
広場に向かう人の流れは途切れることなく続き、石畳の上に無数の足音が重なっていた。
相も変わらず私に役割はない。
だからこそ兵士としてではなく、一人の住民として催しの外から観察することができる。
私にとって、それがいいことなのか、悪いことなのか、疑問ではあるが、どうすることもできないのなら、やれることをやるだけだ。
式典が本格的に始まったのは昼前だった。
広場は更に賑わいを増し、人で埋め尽くされていた。
騎士、貴族、市民、外国の賓客。
身分も出自も違う人間が同じ場所に立ち、同じ方向を向いている。
普段では有り得ない光景だ。
それだけ前国王は人々から愛され、現女王には期待が寄せられているということか。
完成したばかりの鐘楼が朝の光を浴びて白く輝き、青空の下で厳かに聳え立っていた。
集まった人々の視線が一斉に注がれる中、聖別を終えたばかりの巨大な青銅の鐘が、ゆっくりと縄で吊り上げられていく。
司教の祈りの声が風に乗り、鐘の表面が陽光を捉えて聖なる金色の輝きを纏った。
鐘はまるで重い運命を背負うかのように、ゆっくりと回転しながら鐘楼の最上部へと昇っていく。
聖油の甘い香りが、広場の空気に、微かに混じる。
やがて鐘は吊り下げられ、静かに固定された。
司教が最後に手を置き、祝福の言葉を捧げる。
「汝、主の御名のもとに聖別される。汝の声が神の声とならんことを。悪霊を退け、嵐を鎮め、信徒の心を天へと呼び集めよ」
祝福の完了と同時に、重厚な鎧に身を包んだ上級騎士達が、鐘楼の下へ、人々の波を掻き分けて一筋の線を作る。
群衆は自然と息を呑み、道が開けていく。
その中心に、静謐な気配を纏った一団が姿を現した。
先頭の騎士の肩越しに、深紅の旗がゆるやかに翻る。
中央に立つ女王の姿は、まるで周囲の喧騒から隔絶された別の時を生きているかのようだった。
白いドレスの裾が微かな風に揺れ、黄金の細かな刺繍が光を散らしながら、彼女の動きに合わせて淡く輝く。
背後に控える者たちもまた、揃いの装いの中で一糸乱れぬ調和を保ち、まるで一つの絵画がゆっくりと歩み寄ってくるような光景だった。
人々は思わず後ずさり、ざわめきすらも低く抑えられた。
空気が張りつめ、女王のために存在する空間だけが、静かに、尊く、開かれていた。
私は人垣の後ろに立って、様子を伺っていた。
何かが引っかかった。女王の歩き方だ。
先程までとは打って変わり、あまりにも人間的すぎる動き。
視線が時折下に落ち、足元を気にする素振り。
石畳を確かめるように。あるいは何かを探すように。
警護の騎士たちは気づいていない。群衆も気づいていない。
ただ、私の目だけに何とも言えない気持ち悪さと違和感を植え付ける。
昨夜しゃがんで触れた、あの石畳の傷が頭の中で蘇る。
騎士団から離れ、一人前に出ていた女王の歩みが止まった。
広場の中心。鐘楼から少し離れた場所。
足元を一度だけ見て、その場に立った。
仮設の演壇が組まれ、現在は確認することができないが、あの立ち位置は昨日確かに私が傷を見つけた位置と重なる。
女王が口を開いた。
民への感謝、近隣諸国への謝辞。
ヴェルトランティアという国が十年をかけて積み上げてきたものへの言葉。
一つ一つが歴史を象って紡がれ、確かな重さを持って広場に落ちていく。
集まった人々はそれぞれの想いを胸に、女王の言葉に耳を傾ける。
儀式は終わりへと近づく。
最後に故王への祈りが捧げられ、女王が手を組み、ゆっくりと瞳を閉じた。
それに倣い、人々も祈りを捧げる。
タイミングを見計らって、司祭が鐘を鳴らすロープへと手をかけた。
周囲を見渡す。
女王も、群衆も、警護の騎士さえもが、疑問を感じずに予定通り、当然に式の進行を受け入れている。
当たり前だ。何の問題もないはず。だというのに、変に感じている私のほうがおかしいのだ。
鐘が鳴る。
一年で建てた鐘楼。入れ替わった職人。
一度大きく後ろに振れた鐘は、青銅の喉を震わし、空気そのものを聖なる振動に変え、人の魂を優しく、容赦なく揺さぶる。
鐘が鳴る。
石畳の傷。女王の視線。
鐘は往復し、一打ごとに空気が震え、骨の髄まで染み渡るような、荘厳な振動が続く。
金属の余韻が長く尾を引き、まるで神の声が大地を優しく抱きしめているかのようだった。
本当にそうか?
違う。何かがおかしい。
これは警笛だ。
鐘が鳴り響く度に私の鼓動は早く脈打ち、焦燥感を煽り立てる。
まずい。このままでは駄目だ。
何が、ではない。直感でそう感じる。
全てが終わってしまう。
人垣を押しのけて走り出す。警護の騎士が声を上げた。群衆がざわめく。
━━━━その時だった。
ミシリ。
大きく女王の側に振れた鐘が、嫌な鈍い音と共に宙を舞った。
一足で壇上に登り、未だ祈りを続ける女王を抱きかかえて地面を蹴る。
轟音。
仮設の演壇は圧倒的な質量に圧し潰され、地面が大きく揺れる。
石と金属が叩きつけられる音が連続して、広場の空気が一瞬で塵と粉末に変わり、視界を白く染め上げる。
音が鳴り止んだ末、場を支配するのは静寂。
鼓膜が破れて何も聞こえなくなったのかと思えるほどの静寂。
粉塵が白く舞う中、音は瞬間的に世界から消え去る。
静寂を裂いたのは、誰かの悲鳴だった。
一つが二つになり、二つが十になり、広場全体が混沌の渦となる。
体が熱い。
右半身には何かが乗っている。
立ち上がろうとして、全身に激痛が走った。
肩からは血が流れ、背中にも、脚にも、地に縫い留める重さを感じる。
慌てて抱きかかえた女王を見た。
腕の中には確かな重み。白い礼装に塵がついている。
それだけだ。傷はない。
状況が理解できていないのか、整った顔は呆気に取られて目を丸くしている。
右脚が動かない。
膝から下が、落下した鐘の縁に挟まれていた。
抜けきれずに潰されたか。
全身にのしかかる重さを押しのけ、役立たずとなった肉塊を剣で切り捨てる。
「まだ何かあるかもしれん!!! 出口を塞ぎ、周囲を警戒しろッ!!」
剣を杖代わりに立ち上がり、残った力で周囲に警戒を促す。
粉塵の中に人影が見えた。警護の騎士たちが駆けつけてくる。
その輪に加わろうと歩き出すも、上手くバランスを取ることが出来ず、正面から倒れ込んだ。
駄目だ。血を流し過ぎた。立っていることすら難しい。
次第に視界は赤く染まり始め、輪郭だけを残して滲んでいく。
「クソっ……」
意識が朦朧とする中、何度立ち上がろうと試みても、天を仰ぐだけだった。
立ち上がれたとして、どの道片脚を失った私は足手まといになるだけだろう。
最後まで守り切ることが出来なかったという事実が、全身に広がる痛みとなって、未熟な己を責め立てる。
それでも傷一つなかった女王の姿を思い出し、自らの判断が正しかったことを確信する。
後はヴァルディスやハンス達が上手くやってくれるはずだ。
何度も味わった感覚。自分自身が遠ざかっていく冷たい境界の中に、どこか懐かしい暖かさを感じた。
「アリシア様……ようやく一つ…………お返しすることができました……」
喧騒と騒乱が別の世界の出来事のように、一滴の思い出が頬を濡らして私を深い微睡みへと誘った。




