王国編6暗殺
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城下町はいつもより活気に溢れ、浮き足立っていた。
いつもの重厚な空気を脱ぎ捨て、軽やかなざわめきに満ちている。
夕陽が石造りの建物に赤く差し込む中、大工たちは急いで舞台を組み立て、道の端では老婆が花輪を編み、若者たちは歌を口ずさみながら酒樽を転がす。
足音も話し声も、すべてが跳ねるようで、町の人々は日々の苦労を忘れたかのように目を輝かせていた。
住民たちの熱が、城壁の内側をゆっくりと、しかし確実に満たしていく。
故王が命を落とし、十年となる節目に合わせて行われる追悼と新たなる女王の祝福を兼ねた式典が初めて催される。
前例のないものだが、最も人が集まる日になるだろうということは想像に難くない。
前夜祭から二日間、式典のために長らく建設されていた鐘楼周辺の広場は開放され、遠方からの賓客と民衆が入り混じる。
ヴァルディスが擁する一団は私を除き警護や、式典の準備に当たるそうだが、私だけ役割が与えられることはなかった。
彼が考えそうなことだ。
言いたいことは山ほどあったが、それらを全部、奥歯で噛み潰して飲み込んだ。
すべて自分で蒔いた種だ。
それでも開催まで後二日となった今日、自分に出来ることはないかと城下へ出ていた。
フィオレの任務に同行するうちに染みついた習慣だ。
人が集まる場所では変化を探しながら行動する。
目的がなくとも、観察することをやめはしない。
鐘楼周辺は昼前から職人や、それを手伝う兵士、作業員で溢れていた。
追悼式典の主役として鳴らすものだと、近くにいた市民が話している。
老人達は昔を懐かしみ、若者達が平和を謳歌する。
式典の開催に伴い、一年程前から徐々に形造られていき、ようやく完成間近に見える。
「帝国との大戦から十七年。ようやく堂々と旗を掲げて祝えるようになったんだなぁ」
「時の流れとは早いものだ……」
「戦なんてもんとは一生無縁でありたいぜ」
「そこはアリシア様が上手くやってくれてるから大丈夫だろ」
足場の上では見慣れない職人たちが鐘の取り付け部分を調整していた。
先週まで作業を担当していた者とは違い、見慣れない顔だった。
細部の仕上げには専門の職人を呼ぶことも珍しくないと聞く。
「お疲れ様です」と声をかけると、近くにいた作業員が汗を拭きながら顔を上げた。
目が合うと、一瞬視線が止まる。
しかしすぐに表情が解け、気さくな笑みに変わった。
「いやあ、最初の話と全然違う規模になっちまって。現場は大変ですよ」
大規模な催しなど記憶にはないもので、人々の楽しげな雰囲気にこちらまで飲まれてしまいそうになる。
忙しくも充実している。私にとっても嫌いではない空気感だった。
夜になっても広場の賑わいは続いた。
立ち並ぶ色鮮やかな露店、楽師、酔客。
明かりが連なり、昼間とは別の種類の騒がしさがあった。
本番で鐘を吊り上げるだけとなった、鐘楼近くを再び流していた。
特に理由はない。なんとなく懐かしくなってしまったのだ。
かつて、母と手を繋いで歩き、馬で父と通った広場。
石を投げられ、血を流し、女王と出会ったこの場所に立派な鐘楼が建設されていた。
過去の記憶だけを置き去りに、世界は変わっていく。
しゃがんで石畳に指先で触れる。石畳は相変わらず冷たいが、祭の熱気に当てられた今の私には、丁度心地が良かった。
しゃがんだまま、ふと辺りを見渡していると小さな傷のような印が石畳に刻まれていることに気付いた。
「おいおい。いくら暇だからと言って地べたで寝るのは良くないな」
「これはこれは、ヴァルディス卿。警備で忙しいでしょうにどういったご要件で?」
「ふん。見回りの最中にたまたま通りがかっただけだ」
「そうでしたか。こちらは特に異常がないようです」
彼はわざとらしく顔を背けかけ、しかしすぐにこちらを振り返って嘲るような笑みを浮かべた。
笑ってはいるが、目は全く笑っていない。
むしろ、存在そのものを穢らわしいものとして見下ろす、冷たい嫌悪が満ちていた。
「貴様を外したのは足を引っ張ると思ったからだ。余計なことはせずに大人しく宿舎で寝ていろ。半端物の山賊め」
それだけを言い残すと、いつもの取り巻き二人を連れて、悠々と歩き始めた。
その歩き方はゆったりとしていて、まるで自分が世界の主であるかのような傲慢さがある。
一方で、足の運びには苛立ちが混じり、時折強く地面を蹴る音が響いた。
去っていく後ろ姿は、嫌悪と軽蔑を背負ったまま、冷たい空気を残して遠ざかっていった。
ヴァルディスも絶好調なようで何よりだ。
もちろん大人しくするつもりなど毛頭ない。
そもそも空き時間は全て訓練に費やして来ていたので、「大人しくしろ」と言われても気持ちが悪くて仕方がない。
とはいえ、この雰囲気の中、一人で剣を振る気にもなれないので、行く当てもなく街の巡回を再開する。
何か普段と様子が違うことはないか、目を光らせていると、ハンスの顔を人混みの中に見つけた。
松明の光の下、持ち場の一角に立ちながら、それでも首を伸ばして露店の方を気にしている。
いかにもハンスらしい。
「持ち場を離れるなよ」
「わかってるって! でもあの揚げ菓子の匂い、気になりすぎるだろ!」
小声で抗議しながらも足は動かさない。一応仕事はしているらしい。
「交代のタイミングで奢ってやるから、しっかりと仕事に集中してくれ」
「本当かよ! 約束だぞ!」
握手を求めてくる手を軽くいなして、その場を離れる。
ハンスの「ちゃんと覚えておけよ!」という声が後ろから追いかけてきた。
ヴァルディスにハンス。
二人と出会ったのは偶然だったが、どうせなら知り合いを探してみるのも悪くはない。
人混みの中を流しながら、見知った顔を探す。
すると、見覚えのある栗色の茶髪が、町娘の装いで屋台の品を眺めていた。
完全に溶け込んでいる。思えば先程通ったときにも後ろ姿を見かけた。
意識して探さなければ、まず気付かないであろう自然さに息を呑む。
私の演技力では声をかければ任務の邪魔になるだろう。
気付かぬふりで通り過ぎようとしたとき、フィオレがこちらに気づいた。
露店の品から僅かに目を離し、ちらりと視線を交わす。
柔らかい笑顔を見せ、片目だけが閉じられた。
次の瞬間には露店を横切る人混みの中に消えていた。
彼女が消えた方向に、貴族らしき人物の姿があった。
もしかすると、あの貴族のことを探っているのかもしれない。
広場の端まで来たとき、人垣の隙間から酒を煽る一団が目に入った。
それ自体は特段取り上げることではないだろう。
惜しむらくはその中にもフィオレと同様、街の中に違和感なく、溶け込んでいる男がいた。
下手をすればフィオレと同等に、あまりにも自然過ぎる振る舞いで紛れ込んでいる。
「……」
気配を消して近づくと、ヴォルグが振り返りもせずに言った。
「まぁ、なんだ……その、これは市場調査ってやつだな」
「見ましたよ」
「頼む」
豪快な男が珍しく小声になっている。
集団の一人が「騎士様のお連れさんかい」と笑顔で、なみなみと注がれた杯を差し出してきた。
私は不運にも仕事を与えられていない。断る理由もなく、一息に飲み干す。
感嘆の声が上がり、テーブルに杯をゆっくりと戻す。
「おい、おいおい! ハルト! お前飲めないんじゃなかったか!? 無理すんなよ!」
「? 嗜まない、とは言いましたが、飲めないとは言っていません。酒は思考も剣も鈍らせる。なので普段は飲まないだけで、今日は特別です」
再び注がれた酒も飲み干し、あっという間に空にする。
それに、この程度のアルコールであればいくら飲んでも酔うことはないだろう。
「やるじゃねぇか。飲めないどころかクソ強ぇ……」
ヴォルグは息を長く吐き、肩の力がわずかに抜けたような……そんな気配がした。
私はそんなにも心配されていたのだろうか。
妙に落ち着いた、満足げな空気が集団に漂っているのがわかった。
「よく出来た造りだぜ」
ヴォルグが遠くの鐘楼を見つめながら呟いた。
杯を口に運び、釣られるように、視線の先を追う。
「しかし随分急いで仕上げたもんだ。一年でここまで漕ぎ着けるなんてよ」
篝火に照らされた石造りの塔が、夜空に黒く切り取られて立っていた。
炎の揺らめきが塔の表面を柔らかく舐め、影と光がゆっくりと交じり合う。
私は何も言わず、ただ幻想的な光景を胸の内に収めていた。
十年という歳月が紡いだ一つの景色が、今ここに在る。
それだけで、胸の奥が静かに、深く波打つ。
夜風が私の髪をそっと撫で、遠い音楽の調べと共に過ぎていった。




