王国編3
17
城外に設置されている訓練場へと訪れていた。
城壁から南へ数百メートル離れた平らな草地が、兵士たちの訓練場だ。
朝霧がまだ低く残る中、土を固めた地面には無数の足跡と馬蹄の跡が刻まれている。
北側には藁を固く束ねた弓の的が等間隔に並び、中心の赤布を射抜いた矢が小さく揺れていた。
隣では、太い麻布を縫い合わせて作った大きな吊り下げ袋が、頑丈な木枠から鎖でぶら下げられていた。
中身はおそらく砂や古い布切れ、藁などだろう。
袋の表面は無数の打撃痕でぼこぼこになり、ところどころが破れて中身がはみ出しかけていた。
新入りの初顔合わせ兼実力測定、というのが今日の名目らしい。
筒状の鉄籠に大量の木剣が挿し込まれ、古参の騎士たちが近くで腕を組んで見物している。
隣ではハンスが落ち着きなく首を回し、ヴァルディスが取り巻きを引き連れてふんぞり返っている。
俺と同じタイミングで志願した兵士達がそれぞれ、思い思いの面持ちで一堂に会していた。
気が重い。訓練が、ではなく、こうした集まりが苦手だ。
人が増えれば増えるほど纏まりは悪くなっていく。
何事もなく無事に終わればいいが、山での経験が集団から俺を遠ざける。
最終的にホーリーナイトも人数が増えていき、その度にトラブルは起こった。
しかし、彼らには打算がなかった。単なる感情の衝突。
力で解決出来る簡単な問題だ。
それと比べると、今俺達に向けられている視線は決して気持ちのいいものではない。
国を守る。ただそれだけではない、くだらないしがらみが渦巻いていることをひしひしと感じていた。
「どうだ? あいつ超強そうだけど倒せそうか?」
「やってみないとわからん。それにここにいるのは共に戦う仲間だろう。値踏みするのはよくないぞ」
「はぇー、大人だなぁ」
先日の食堂での己の態度を棚に上げて優等生を演じる。
ここではこういった存在が好まれるだろうということを理解した。
何事も穏便に済ますに越したことはない。
面倒を避けて好かれるなら、その方が都合がいい。
くだらない話をしていると古参の騎士と思わしき人物が現れ、訓練の詳細を告げた。
籤引きによる新人同士の手合わせだ。
勝ち上がった者同士で戦い続け、最後の一人を決め、新人グループのリーダーとなる。
要するにただの勝ち抜き戦ということだろう。
騎士だろうが、志願兵だろうが、ここでは等しく実力が重視される。
兵士たちの間に波が走った。
手前の純朴そうな兵士が息を詰め、指先を小さく震わせ、喉が鳴る。
斜め後ろでは、傭兵上がりの筋肉質の男が腕を組み、唇の端を歪めて笑った。
誰かが小さく唾を飲み、誰かが肩を回して指を鳴らす。
互いの視線が、ちらり、ちらりと交錯し始めた。
「緊張してないのか?」
「あぁ。肩の力を抜け。別に試合の結果でハンスの価値が決まるわけじゃない」
「そう言われるとなんだか楽になってきたぜ! もし当たったら手加減無しで頼むぞ!」
「そうだな。全力で挑もう」
勇み足で木剣を取りに行くハンスの背中をゆっくりと追いながら、俺は迷っていた。
緊張はしていない。ただ、本当に全力を出してもいいものか悩んでいた。
出世を望むならここで勝ち抜く事が有利に働くだろうが、同時に勝ち抜く事で要らぬ嫉妬を生むことにもなる。
特にヴァルディスには要注意だ。
あいつを下せば更に反感を買うことは想像に難くない。
それに女王の側近になるのが目的であって、本音を言えばまとめ役なんてものは煩わしくてやりたくはなかった。
深くため息をつきながら木剣と籤を引き抜く。
最初の相手は大柄な男だった。
向かい合い、視線が交わると、相手は鼻からふっと息を漏らして笑った。
その笑みは短いが、骨の髄まで見下した、冷たい嘲りを含んでいた。
開始の合図と同時に男が踏み込んでくる。
重心が前がかりで、振りかぶりが大きい。山賊相手に百回は見た動きだった。
横に半歩ずれて懐に入り、木剣の腹で手首を打つ。すると簡単に男の得物が地に落ちた。
同時に腕を組んで見守っていた古参の兵士たちから、嘲りの息が漏れた。
「ふん」「ぷっ」と小さく始まった笑いが、次第に声を上げて連鎖する。
やがて二十人近くが肩を震わせて笑い、訓練場の空気を一気に軽侮の色に染め上げた。
嘲笑は負けた男だけのものではない。
それが俺達二人に向けられたものだと気付いたのは、次の対戦相手と対峙したときだった。
「なんだ? ふざけた構え方しやがって。徒競走でも始めようってのか?」
対峙した男が俺の構えを真似しながらヘラヘラと笑い始める。
そういうことか。
兵士達の視線が足元から、剣の握り方まで、値踏みするように往復していた。
地を這いそうな低い姿勢。逆手に構えた木剣。
確かに背筋を伸ばし、両手で剣を握り、正面へ構えていた先程の男と比べると奇妙な形を取っていた。
俺は正しい剣術を知らない。
昔、父に教えられた構え方とは正反対のものを意図的に好んで使っていた。
草木生い茂る山の中で行う戦闘では、木の枝で進行や視界を防がれず、いつでも駆けられるように低い姿勢を自然と取っていた。
獣を狩る際は、斬るよりも刺すことのほうが多かった。
奴らの体は分厚い毛皮に覆われ、なまくらでいくら斬ったところで傷つきはしない。
そこで編み出したのが逆手持ちだった。逆手なら即座に一点を突き刺せて、力も乗る。
元々は骨ナイフしかまともな武器がなかったときに使っていた戦い方だったが、それがいつしか癖となり基本の形となって根付いてしまった。
これが悪い戦い方とは思わない。
以前の俺なら勝てれば何でもいいと切り捨てていただろうが、今は違う。
自分が全てではない。他人からどう見えるか、意識する必要がある。
とはいえ、一朝一夕になんとかなるものでもないので、取り敢えずはこれで切り抜けるしかない。
次の相手も、その次も、似たようなものだった。
勝ちはした。ただ勝つたびに笑い声が大きくなった。
嘲笑なのか感嘆なのか、サーカスでも観ているつもりか?
こちらは至って真面目にやっているのだが、見世物にしないでもらいたいところだ。
最後の相手は案の定というべきだろうか、ヴァルディスだった。
俺を公然と叩きのめす大義名分が出来た事が余程嬉しいのか、ハイテンションで取り巻きに前の試合の感想を語っている。
ちなみにハンスは二回戦で負けてしまった。
落ち込んでいるかと思って声をかけようとしたが、杞憂だった。
負けてなお、相手の強さを饒舌に語る姿は戦士の鑑だ。
木剣を握り直し、ヴァルディスと対峙する。
驚くことに奴だけは俺の不自然な構え方を見ても笑うことはなかった。
品定めするような、いやらしく傲慢な視線は相変わらずだが。
「貴様の実力を見せてもらおう」
構えを見た瞬間に理解した。重心の置き方、呼吸の間合い、足の角度。これまでの相手とは別物だ。
いけ好かない態度は全てここから来ている。どこから打ち込んでも瞬時に返されるイメージしか湧かない。
開始の合図。
ヴァルディスの剣は速かった。初撃を弾き、二撃目を躱し、三撃目で初めて後退した。
型のある剣というのはこういうことか、と妙に冷静に思った。読もうとしても次の手が複数見える。
今までの相手には一切なかった感覚だった。
次々と繰り出される、予想を上回る太刀筋に思わず膝をつく。
面倒事を避けるためには、そこで止まるべきだったかもしれない。
だが、もう止まれない。慣れない剣技に戸惑いはしたものの、体力も気力も十分に残っている。
己の成長を促すであろう未知を前に、わざと負けるなどという選択肢はない。
膝をついた姿勢のまま俺はヴァルディスの踏み込みを待った。
最後の一手だけは読めていた。読めなかった今までとは違う。プライドの高い奴の考えそうなことだ。
勝利を確信した相手には必ず手を抜く、とどめは単純に右手での振り下ろし。
「所詮野良犬だな」
もちろん予想は的中。嘲りと共に予備動作へと入る。
右手が振り上げられた瞬間、後ろへと大きく跳ねて距離を取る。
仕留めた、と思っていた獲物が動き出した事で、目を丸くしているのがよくわかる。
行き場を失った力が空を斬り、大きな隙を見せる。
隙がないのであれば隙を作り出せばいい。
全力で剣を投擲。
慌てて刃を返し、弾き返そうとして、木剣同士がぶつかり合う、その寸前。
投擲した剣の柄を掴み取り、勢いを殺して軌道を逸らす。
衝突するはずだった木剣は再び空を斬り、代わりにヴァルディスの無防備な喉元へと、切っ先を突き付けた。
困惑の混じった笑いが起きた。
余裕を見せた相手に負けたヴァルディスへのものか、騙し討ちのような戦法で勝ちを拾いにいった、俺に向けられたものなのか。
ヴァルディスの顔がいつもより赤くなっていた。
膝をついた相手に、大勢の前で、逆転された。それが何を意味するか、本人が一番よくわかっているはずだった。
唖然としたままの彼を尻目に、木剣を元に戻し、古参騎士へ伝える。
「勝負はヴァルディスの勝ちだ」
男は眉をわずかに寄せ、目を細めて次の言葉を待っている。
「俺は正々堂々と戦う相手の油断を誘い、騙し討ちをした。彼が貴族だということを差し引いても、まとめ役には彼が相応しい。です」
これが俺の導き出した妥協点だ。
勝っても地獄、負けても地獄、であるならば、勝ちだけは拾いに、結果を譲るという形。
実際卑怯な勝ち方をしたのは事実だ。
そうでなければもっと苦戦していただろう。あるいは負けていたかもしれない。
反省せねば。これほどまでに基礎というものが恐ろしいとは思いもしなかった。
力も速さも上回っていながら決めきる事が出来ない。
ヴァルディスは何も言わなかった。
まとめ役の座を渡された事への礼もなく、怒りをぶつけてくる様子もない。
ただ、俺を見ていた。
視線に何が宿っているのか、俺には知る由もなかった。




