王国編2
16
食堂は広かった。
長机がいくつも並び、すでに大勢の兵士や使用人たちが席についている。
給仕が慌ただしく行き来し、焼いたパンと肉の匂いが立ち込めていた。
城の食堂というものを初めて見たが、山での暮らしに比べれば十分すぎるほどだ。
豪華な銀の食器が並ぶ卓もあれば、木皿に黒パンだけが積まれた卓もある。
当然ながら一番貧相で、質素なメニューが雑に置かれている席へと腰を下ろす。
その間にも、視線は感じていた。
露骨に目を逸らす者、隣の者に耳打ちをする者、こちらが見返すと急に食事に集中し始める者。
声は聞こえなかったが、内容は察しがついた。
兵士として認められた以上、もはや気にすることではなかった。
盛られているパンを一つ受け皿に取って千切った。
山で暮らし始めた頃に食べていたものに比べれば、これだけで左腕はすぐに完治しそうな気がする。
咀嚼しながら食堂を見回す。様々な人間がいる。古参兵らしき者、俺と同じ昨日今日入ったばかりの若者、そして身なりから違い、明らかに育ちの良さを醸し出している者たちが、カチャカチャと上品に肉を切り分けて口元に運んでいる。
何れも腑抜けた面だ。ディートリヒを最初に見てしまったせいで基準が高くなってしまったのか、本当に彼らが戦えるのか疑わしく思う。
パンを食べながらそんなことを考えていると、後者の一団と目が合ってしまい、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
あぁ、嫌な予感がする。こういうときはだいたい面倒なことになる。
三人組だった。服装も姿勢も整っている。
騎士階級を与えられた貴族だろうということは、一目でわかった。
三人の内、リーダー格と思われる真ん中の男が、こちらを見下ろして威圧的に問いかける。
「私の名前はヴァルディス。貴様が昨日騒ぎを起こした者か」
よく通る声だ。
食堂のざわめきが、瞬間的に静まり返る。
俺といい勝負の白い肌、戦場より舞踏会の方が似合いそうな体型。いかにも優等生といった出で立ち。
厄介な奴に目をつけられたものだ。
「文句があるならじいさんに言ってくれ」
「じいさん? 志願を断られ、駄々をこねて衛兵の剣を奪い取ったそうだな」
「少し借りただけだ」
目にかかった長い銀髪を顔を振って払いのけながら、端正な顔をしかめる。こちらの反応が気に入らないらしい。
「では、もう一つ聞こう。貴様は近くの街道で貴族の馬車を襲っていた山賊の一人ではないか?」
再び食堂が、しん、と静まり返った。誰かが落とした金属音が空間へ鳴り響く。
あちこちから視線が集まってくるのを、肌で感じる。
まさかこんな形で過去を掘り返されるとは思っても見なかった。
鍛えるためとはいえ、少々不用意すぎたか。
素直に反省せねばならない。
「さぁ? どうだろうな。いたかもしれないし、いなかったかもしれない」
「ほう。どうだ? セドリック。こいつがお前の見た、金色の髪と赤い瞳を持つ山賊か?」
右隣に控えていたセドリックと呼ばれた男が一歩前に進み出て、舐めるように下から上まで観察をはじめる。
「そうです! こいつです! 間違いない、木陰に隠れて見た姿と同じだ!」
「だそうだ。弁解の余地はあるか?」
「仮に元山賊だったとしても、貴族が襲われているところを指をくわえてみていただけのセドリック? よりは役に立つと思うぞ」
千切ったパンに干し肉を乗せて、同時に口へ運びながら答えた。
こいつらはいったい俺をどうしたいというのだろうか。
目撃情報だけで罪人として突き出したいのか?
よくもまぁ、初めて会った人間にそこまで執着できるものだ。
食堂のざわめきが戻ってきた。
何れも視線は我々へと向けられている。
言いたい事があるのであれば、この男のように直接言いに来ればいいものを。
ヴァルディスが何か言いかけた、その時だった。
突然、背中にどんっと衝撃が走った。
「よっ!」
肩が軽く震えるほどの勢いだったが、痛みではなく、軽い痺れだけが残った。
突然、仲間の誰かが実力行使に出たのかと身構える。
上等だ。全員叩きのめしてやる。
「昨日の有名人じゃねえか! 無事に認められたみたいだな」
意気込んでいた心中とは裏腹に、朗らかな声が食堂に響いた。
振り返ると、まるで長年の友人にあったかのような笑顔をこちらに向ける男が立っていた。
警戒心の欠片もない、真っ直ぐな目をしている。
貴族達の整った身なりを見た後だと、妙に気の抜けた男だった。
「隣、いいか? 昨日の試合、熱かったな! 腕を犠牲にするなんて覚悟決まりすぎだろ! しかも腕くっついてるし不死身かよ! どうなってんだ」
断る間もなく隣に腰を下ろし、矢継ぎ早に喋りながら当然のように食事を始める。
貴族たちのように敵意はなさそうだが、これはこれで厄介そうな奴だ。
「お前、名前は? 俺はハンス。お前と同じ新入生ってわけだ」
「……ラインハルトだ」
「ラインハルト! いい名前だな」
貴族の三人組が、何か言う機会を失い、立ち尽くしているのが見えた。
「……おい。今は私が話している最中なのだが?」
「おっと! こりゃ失礼。続きをどうぞ」
軽薄な軽いノリが、貴族達のプライドを傷つけたのか、ヴァルディスの顔が赤く染まっていく。
怒りの矛先はハンスにも向けられ、苛立ちを隠さない声が徐々に大きくなる。
「貴様。ハンスと言ったな。隣の男は吸血種という噂だ。あまり近付かないほうがいい」
「は? なんで?」
彼の手がぴたりと止まり、口を半開きにしたまま相手の顔を見つめてしまう。
理解が追いついていないのか、ただ瞬きを繰り返すばかりだった。
「吸血種と言っただろう。その証拠に見ろ。妖しく光る赤い瞳が怖くないのか?」
「吸血種ってあれだろ? 高い身体能力と再生能力を持つってやつ。そりゃラインハルトが敵なら怖いけどよ。でも味方だろ? ってかそういうことか! だから腕が治ってんのな! すげぇ」
なるほどと、勝手に納得した様子で、豪快に干し肉を噛みちぎり食事を再開させている。
忙しない奴だ。しかし、今は空気の読めない彼に救われた。
「もういい。ただ、これだけは言っておく。私たちはお前のような存在を絶対に認めない」
吐き捨てるように言い残し、ヴァルディスたちは踵を返していった。
憤る背中を見送りながら、隣のハンスが何事もなかったかのように口いっぱいにパンを頬張る。
彼の乱入で助けられた。
あのままでは延々と糾弾され続け、また騒ぎになるところだった。
そうなってしまっては、ディートリヒになんと言われるか分かったものじゃない。
「おい、なんか邪魔しちまったか?」
状況が把握できず、思わず周囲をキョロキョロと見回しながら気まずそうな顔を浮かべる。
「いや、構わない。むしろ助かった」
「助かった? なんかよくわからんけどよかったぜ。ところでヴァンパイアってことは血とか飲むのかよ? ちょっとだけ、ちょっとだけなら……」
寝癖のようにあちこち跳ねた、茶色の短く切られた頭をこちらに寄せて、ひそひそと小声で呟き首元を差し出す。
その様は主人の様子を伺う子犬のようだった。
「いらん。俺はハーフだから人間の血を飲む習慣がない。そんなものよりこのパンのほうが数倍うまい」
食堂のざわめきが、また少し変わった。
先ほどまでの不穏な空気が薄れ、誰かがくすりと笑う声が聞こえた。
遠巻きに見ていた兵士の一人と目が合った。
男は気まずそうに視線を逸らしたが、先程までとは違って尖ってはいなかった。
ハンスは何も気にせず、肉を頬張りながら続けた。
「お前、飯食うの遅いな。またあとでな」
なるほど。こういう人間もいるのか。
山賊共を束ねるより、こういう連中と付き合う方がよっぽど難しそうだ。
薄暗く感じていた食堂が、食べ終わるころには広く明るく見えた気がした。




