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王国編1

15


 石壁の狭い窓から差し込む淡い朝光が、瞼の裏を柔らかく照らした。

 山の中とも、貧民街とも違う目覚めだ。

 重いまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。

 薄目にぼんやりとした輪郭だけが見え、次第に部屋の形が浮かび上がってきた。

 天井を見上げながら、ゆっくりと鼻から息を吸い込む。

 重厚な石の天井。石畳の冷たさも、血の匂いもなく、代わりに薬草の匂いがする。

 療養所かなにかだろうか? なぜこんなところにいるんだ?


 目覚めの曖昧な記憶を呼び覚ますかのように、左腕の鈍い痛みが脳を活性化させる。

 次の瞬間、昨日のことが一気に押し寄せてきた。

 冷たい石畳。魔術の嵐。決死の覚悟。

 左腕はしっかりとあるべき場所へと戻っていた。

 恐る恐る動かしてみれば、指先から肩まで伸びる神経へと、感触が伝わり生を実感する。

 思惑は成功した。どうやら腕一本の切断であれば繋がるらしい。

 そんなことよりも、兵士として認められたのか、という点だ。

 目覚めて腕も元通りになった。それではお帰りください。ということでは、元も子もない。 

 

 部屋の中をそわそわと動き回っていると扉が開いた。

 漆黒のローブが先に視界に入り、敷居をくぐる形で入ってくる姿は、外で対峙したときより一層大きく見える。

 

「寝ていろ。まだ安静にしていなければならん」

「もう回復した。おかげさまで左腕もこの通り――」

「お前が思っている以上にダメージは大きい。たかが模擬戦に命を賭けおって。馬鹿者め」


 首根っこを掴まれ、軽く持ち上げられ、ベッドにひょいと放り込まれる。

 乱暴な仕草のくせに、どこか不器用な気遣いが感じられた。

 ディートリヒは椅子を引き寄せ、ベッドの傍らにどっしりと腰を下ろした。

 じっとこちらを見つめる碧い瞳に、ただの叱責とは異なる雰囲気が浮かぶ。

 

「今までもあんな無茶な戦い方をしてきたのか?」

「さすがに腕を斬り落とされたのは初めてだ。でも、あれぐらいしないと、誰も納得しなかっただろ?」


 左手をひらひらと振っておどけてみせる。

 ディートリヒは呆れた様子で眉間に皺を寄せた。

 こっちだって最初からそうするつもりはなかった。

 状況がそうさせたのだ。誰が好き好んで治るかもわからない分の悪い賭けをするか。

  

「いいか、ラインハルト。今後そのような手は極力使うな」


 『今後』という言葉に安堵して、再びベッドから起き上がろうとする体を無理矢理沈められる。


「俺は使えるものはなんでも使う。女王に危機が迫れば命だって差し出す」

「どこかで聞いたようなことを……」


 碧い瞳が遠くを見るような、ここではないどこかを探し、小さく呟く。

 

「極力、と言っただろう。お前の高い治癒能力はこの国にとって有用だ。代償を払わずに済む力は珍しい。大切にしろ」 

「なら、どうしろっていうんだよ……」

「あの程度、能力に頼らずとも切り抜けられる技術を身に着けろと言っている」


 あの程度だと? 散々暴れ回っておいてよく言う。

 力量の差は感じていた。有象無象の山賊共とは一線を画すことが、今回の戦闘でよく身に沁みた。

 形になってきたと思った剣技も、洗練された熟練の戦士の前では赤子も同然だ。


「お前は私の監督下において、兵士として認められた。監督を任された以上、私は徹底的にお前を鍛え上げる。礼儀作法、教養、立ち居振る舞い。女王の傍に相応しい人間を目指すのだろう? 覚悟しておくことだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、肩にのしかかっていた重りが音を立てて落ちた。

 やっとだ。ようやくここまでこれた。

 俺は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 女王の傍に相応しい人間。その言葉が、頭の中で反響した。

 達成の余韻が心地よく全身を包む。だが、甘い余韻に浸っている暇などなかった。

 全身を巡る血が、再び高く、激しく鳴り始めた。

 

「あぁ、よろしく頼むよ。じいさん」

「……まずは言葉遣いからだな」 


 岩と見紛う程の大きな握り拳を作り、目の前へと見せ付けてくる。

 勘弁してくれ。また夢の中に逆戻りするのはごめんだ。


「……よろしくお願いします。じいさ……師匠」

「ふん。及第点といったところか」


 ディートリヒの口元が、わずかに動いた。

 確かめる前に彼は立ち上がり、扉へと向かった。


「もうじき朝食が始まる時間だ。それまでは大人しくしていろ。食堂は廊下を真っ直ぐ行った先にある」


 言い捨てるように告げて、大きな背中が扉の向こうに消えていった。

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