サバイバル2
10
山の奥、草木を寄せ集めて作った簡素な寝床に木漏れ日が差し込む。
時折吹く風が木々を揺らし、まるで過去の記憶を囁くようだ。
空気はひんやりとしていて、土と緑の甘い香りが鼻をくすぐる。
体を起こすと、雑に剥いだ獣の皮の柔らかな感触が手のひらに残り、遠くで小鳥のさえずりが優しく響いた。
悪くない目覚めだ。全身にまとわりつく獣じみた血の臭いを除けば。
斧とナイフを腰に下げ、足早に山を下りていく。
山の木々が次第にまばらになり、足元の落ち葉が柔らかく沈む。
耳に微かな水の流れる音が届いた。進むにつれてはっきりとしたせせらぎへと変わっていく。
当初は何をするべきなのか、それすら分からなかったが、本能に従い必要なことをこなしていくことで体は勝手に環境へ順応していった。
川の澄んだ水を手に取り、顔についた汚れを洗い流す。
昔と比べれば随分と顔つきも変わってしまった。
幼い頃の丸い頰と大きな目は見る影もない。
髪は艶をなくしてくすみ、脂肪は削ぎ落とされ、赤い瞳は鋭く、父を思い出させる。
くだらない感傷だと、口内を濯いだ水と共に唾棄する。
水浴びをしていると、川のせせらぎに混じり、別の音が聞こえてきた。
小さな、小鳥のさえずりと聞き違えてしまいそうな、嗚咽の声。
風の合間を縫うように、途切れ途切れに聞こえてくる。
川から上がり、耳を澄ます。
子供の泣き声だ。しかも、怯えと恐怖が入り混じった必死のもの。
音のする方へゆっくりと近づいていく。
木々の隙間から、街道に近い開けた場所が見えた。
荷馬車が一台停まり、数人の男たちが荒々しく手を伸ばしている。
荷台から半分身を乗り出した子供が、必死に地面へ逃げ出そうとしていた。
細い腕。小さな体躯。穢れを知らない瞳に浮かぶ涙。
「暴れるんじゃねえ! クソガキ!」
男の一人が怒鳴り、子供の足首を掴んで引きずり戻した。
荒い笑い声と馬のいななきが、川のせせらぎに重なる。
奴隷商か、山賊か。何れにせよ、俺には関わりのないことだ。
興味本位で覗いてみたがよくある光景じゃないか。
強い者が弱い者を狩る。自然の摂理だ。
泣いて不平を訴えるだけでは何も変わらない。
みっともない姿は守られることが当然だと主張しているようで虫唾が走る。
「パパのところへ帰るっ!」
暴れていた子供とは違う、別の少女が共鳴して声をあげる。
ままならないことへの不満でも、癇癪でも、懇願でもない。
堂々とした態度、触発され、そう決めたと言わんばかりの明確な意思。
少女の一言によって、荷馬車に渦巻いていた、なすがままの悲観的な空気が変わり始める。
各々が、ばらばらに。
一つの目的によって大きな一塊となって男達へ反撃を開始する。
しかし、甘くはなかった。
一際大きな男の拳から繰り出される、鈍く重い骨の軋む音が反撃を一撃で鎮める。
恐怖のあまり泣くことすらも忘れた、子供達を沈黙が支配する。
「あんまり調子に乗るんじゃねえぞ……」
あぁ、面倒だ……。
どうでもいいと捨て置くはずだった。
目的以外のくだらない感情は、ゴミと一緒に置いてきたはずだった。
そうするはずだったのに、なぜ俺は馬車の前に立ち塞がっている?
「なぁ、お前らなにしてんだ?」
御者に向かって問いかける。
男の数は全部で四人。馬車の両サイドを二人が護衛し、子供達と一緒に乗っている大男が一人、目の前の御者で一人。
胡散臭そうな眼差しで御者が上から下へと、舐めるように確認する。
何の獣かわからない皮。ボロ切れのような服。水浴びをした直後とはいえ、汚れきった汚い姿。
さながら乞食といった風貌で、目の前に現れた怪しい人物に怪訝な表情を隠せずにいるようだ。
「なんだぁ? 同業者ってわけでもなさそうだなぁ。見せもんじゃねぇぞ、さっさと消えな」
心底鬱陶しそうな顔でしっしっと追い払う仕草。
わかったよ。すぐに終わらせるから少し待っていろ。
「おい。お前の赤い瞳……。吸血種だな?」
「だからなんだ? 石でも投げるか?」
荷台から降りてきた大男が俺の目の色に気付く。
ほかの奴らの様子をみるに、こいつがリーダーで間違いなさそうだ。
挑発をしながら気を引き、ゆっくりと腰の斧に手をやる。
「お前みたいな奴は珍しいから高く売れんだよ。おい! 縄持ってこい!」
言いおわるや否や、伸びてくる大男の太い腕を掻い潜り、全体重を乗せた肩からの体当たりを鳩尾に抉りこむ。
固い粘土にぶつかったような感触。
以前、熊に試したときはこちらが吹き飛ばされたことを考えると人間はとても脆い。
勢いよく顎下を目掛けて、跳躍し、頭突きで撃ち抜く。
遅い。ここまでされてまだ何の反撃も返ってこない。
慢心か、驕りか。まぁ、どちらでも構わない。
終わりだ。
怯みきってふらふらと左右に揺れ、みっともなく手を振り乱す姿を見下す。
打ち上がった跳躍の勢いをそのままに、男の脳天を斧で叩き割った。
こんなものか。デカい割には大したことがない。
これなら熊のほうがよっぽど厄介だ。
斧は深々と突き立ち、土埃を巻き上げながら肉塊となった巨躯を晒す。
大男を足蹴に、腰に差していた飾り気のない、幅広の刀身をした直剣を奪い取る。
ただの気まぐれで人助けをしてみたものの、とんだ戦利品を手に入れてしまった。良い行いは返ってくるということか。
剣を握るのは久々だ。斧よりも手に馴染み、しっくりとくる。
「子供達を親元へ帰してやれ。身寄りのいない者は教会へ連れて行け」
早速手に入れた剣を有効活用して、御者に突き付けてやる。
男達は目の前で起こった出来事に理解が追い付いていないようで、驚愕の表情を浮かばせてざわめき立っている。
「急げっ!」
「は、はいぃっ!!」
大きな声で現実に引き戻すと、ようやく慌てた様子で来た道を引き返していく。
奴らが本当に俺の言うことを素直に聞くかはわからないがそれでいい。
やることはやった。後のことなんて知ったことか。
『ありがとう』
手を振る子供達を尻目に、山を登り始めていく足取りはいつもより少しだけ軽かった。




