憚る
杜尋雲は「車」を手に取り、前へと滑らせた。
向かいに座る若竹と謝鸞は、息を詰めて盤面を見つめている。
中庭に机を据えての対局だった。もともとは花草でも愛でながら興じるつもりだったのに、あまりに熱中してしまい、結局何一つ鑑賞できていない。
「こう……でしょうか……」若竹は小声で呟きながら、「象」を進めた。
この子は仕事中以外だと、本当に感情が隠せないわね。杜尋雲は微笑ましく彼女を見つめた。
謝鸞は象棋が得意というわけでもなく、ずっと見守っているものの、大した助言はできていない。
杜尋雲は一局終えると、すぐさま次の盤を並べた。できるだけ早くこうした遊芸に慣れておく必要がある。「快復」した暁には、後宮の女たちと付き合わねばならないのだから。
彼女は何気ない素振りを装って駒を動かした。
「そういえば、謝鸞大人」
「は?」謝鸞はまだ勝負の余韻から抜け出せていない様子だった。
「民が田畑を耕して納める租税は、一般にどのくらいかご存じかしら」
「貴人様が、なぜそのようなことを」
「ふとね、宮中のことしか知らぬのは、少々世間と……」杜尋雲の手は盤上で駒を進め続ける。
「貴人様にお答えいたします。十にしてその二を収めます」
杜尋雲の胸に衝撃が走った。二十パーセント!?
杜尋雲は現代では所得税の還付を受けており、本来は累進課税で最終的に約18%を納めることになるところ、還付後はわずか6%の納税で済んでいた。だが何より、彼女は医師という高給取りだった。もし日々の暮らしにも事欠くような労働者層であれば、税率が実質3%にも満たない可能性のほうがずっと高い。
追い剥ぎじゃないの。
だが手元は乱さず、落ち着き払った調子を保つ。
「誰もがそのように?」
「ほかに丁銀がございます」
「それは何かしら」
「十六歳以上の健全な男子のみに課される税にございます。幼子、女子、年寄りからは取り立てませぬ」
人頭税まであるの!? 男手には全員労働を義務付けているようなものじゃない。杜尋雲は動揺を隠すため、盤面へ視線を落とし直した。
若竹は心配そうな顔で彼女を見つめ、もはや盤のことなど頭から消え失せている。
対局が一向に進まないのを見て、謝鸞が口を開いた。
「蕭貴人、丁銀は一律ではございませぬ。土地の痩せた地では銅銭百文ほど、豊かな地であって初めて白銀五両に及びます」
杜尋雲は再び駒を動かし始めた。この世界では白銀一両が銅銭千文ほどだと知っている。つまり発展の度合いによって、下から上まで百から五千文の幅があるわけだ。じっくりと思案を巡らせ、息を整えてから問いかけた。
「もし私が町中で肉入りの麺を一杯食べたいとしたら、近頃の相場では銅銭何文くらいかしら」
謝鸞はわずかに頭を下げた。
「蕭貴人、皇城のあたりは値が張り、四、五十文ほどいたしますが、その他の地なら大半は二十数文も出せばありつけます」
杜尋雲は呆れ果てて目の前が真っ暗になった。近代的な畜産もない時代、肉の具は相当高価なはずだ。そこへ、土地によっては年間五千文にもなる丁銀まで加わる。これはもう、命を寄越せと言っているようなものではないか。
謝鸞は半歩退いて礼をとった。
「蕭貴人、本日はなぜそれほどまでに租税にご興味をお持ちなので」
聞くのが早すぎた? それとも的外れだった?
杜尋雲はじっと彼女の顔を見つめた。謝鸞は芯の通った人物だと見込んでいるが、ただ顔立ちが凛々しくて好みのタイプだから見誤っている可能性も捨てきれない。
――ええい、一か八か賭けてみよう。
「謝大人、私を殺そうとした者は、暮らしに不満を抱いていたのではないかと考えただけよ」
謝鸞は唇を引き結んだ。
彼女が一向に口を開かないので、杜尋雲はさらに駒を一手進めようとした。
「娘娘、平民に、そのような天に通ずる力はございませぬ」
杜尋雲は内心ぎくりとした。なぜ急に「娘娘」と呼び始めたのだろう。下男や下女がそう呼ぶのは、嬪への昇格を見越して主子を喜ばせるためだ。だが彼女は女官であり、言葉遣いには厳格なはずなのに。
「では、謝大人はどうお考えなの」
「娘娘の父君も兄君も、朝廷の要職を担う重臣にございます……」
言葉はそこで途切れ、続きは語られなかった。
杜尋雲は象棋を指し進めた。どうやら考えることは皆同じらしい。
武将である蕭雁行は勢力を急速に伸ばしており、軍中には兵士のみならず輜重を担う民夫も大勢抱えている。資金力だけでなく、彼に命を捧げる腹心も揃っているはずだ。
もし蕭雁行が純粋に国へ忠誠を尽くしているのだとしても、蕭雁綾が後宮で着実に地歩を固めることは、彼が安心して軍を率いる支えとなり、士気を鼓舞することにも繋がる。
杜尋雲は駒を動かしながら、つくづく慎重に生きねばならないと痛感した。もし政変など起きれば、命はない。ましてや蕭雁行自身の腹の内すら、まだ掴めていないのだ。
「謝鸞大人」
「は」
「前、慎刑司で見聞きしたこと。どなたかに話されたかしら」
「娘娘、取り調べの内容は、一切口外いたしませぬ」
杜尋雲のこの探りは非常に危険な賭けだった。身近な者が信用できなければ、慎刑司へ足を運んだ後、貴妃娘娘や皇后から直ちに呼び出しを食らうはずだと考えていたが、今のところ何の動きもない。それに太医から「心病」と診断されて以来、通り一遍の見舞いに訪れる貴人も答応も一人としていなかった。答応は自分より身分が低いのだから、普通に考えれば挨拶くらい寄越すはずだ。おそらく誰もが不穏な気配を察知しているのだろう。
あるいは蕭雁綾という娘が後宮で孤立しており、皆が彼女の死を願っている可能性もある。彼女が死に、事件の始末が不味ければ、蕭雁行が朝廷に不信感を抱いて距離を置き、結果として自分の実家がのし上がれるかもしれないのだから。
杜尋雲は眉間を揉んだ。
目を開けると、若竹が案じるような瞳で自分を見つめていた。
定刻となり謝鸞が立ち去ってから、杜尋雲はようやく静かに口を開いた。
「若竹」
若竹は盤面を片付けながら返事をした。
「奴婢にお言いつけを」
「ここに、私の『友人』と呼べるような人はいるかしら」
若竹は手を止めた。
「主子、王貴人様と容貴人様とは、大変仲睦まじくしていらっしゃいました」
「そうなの……なら、どうして顔を見せに来ないのかしら」
「あの方々は関妃娘娘の偏殿にお住まいでございます。私どもの正殿は姜貴妃娘娘の宮。主子は目下ご静養中ですので、許可が得られなければ行き来が叶いませぬ」
えっ……彼女たちの上役は、私の上役より……一階級下? 杜尋雲は少々混乱した。後宮で派閥を作らせないための策なのだろうか。
杜尋雲は声を潜めて言った。
「若竹、手が空いた時にでも、人物相関図を描いてちょうだい」
「奴婢、承知いたしました」若竹は一礼しながら、仰せとあれば今すぐ描くべきで、手が空いた時などと言われる筋合いのものではないのだが、と心の中で思った。
「んんーっ……運動しなきゃ!!!」杜尋雲は拳をぎゅっと握り締め、勢いよく立ち上がった。
若竹はこの数日、蕭貴人がやたらと体を鍛えることに執着しているのを不審に思っていたが、顔色が良いのを見るにつけ、案外快復に奇効があるのかもしれないと考え直した。ただ、この鍛錬法とやらは、太監たちの目には報告すべき奇行の類にしか映らない。
気が狂ったと見なされれば、この先もしばらくは朝の挨拶に行かずに済むかもしれない。若竹はそう思い、のんびりできるならそれも悪くないと感じていた。
「報――ッ!」一人の太監が駆け込んできて、蕭雁綾のランニングを遮った。
杜尋雲は速度を落とし、ゆっくりと円を描いて歩く。
地に跪いた太監には、蕭貴人が一体何をしているのかさっぱり理解できなかった。
「何事?」
「蕭貴人に申し上げます、急ぎの家書にございます」
「は?」杜尋雲は驚きのあまり、ウォーミングアップも半端なまま駆け寄った。太監の手には確かに一束の紙があり、すでに開封された形跡のある手紙だった。
この世界は男尊女卑で、妃嬪など皇帝の付属物にすぎない。宮廷の重地にあっては、まともな文のやり取りなど不可能だと思い込んでいた。どうやら現皇帝の管理方針を甘く見ていたらしい。
彼女は太監が差し出した書状を受け取った。蕭雁綾の兄、蕭雁行からのものだ。太監を下がらせ、若竹を連れて部屋へ戻る。
広げるなり、紙面を埋め尽くす温かな気遣いの言葉が飛び込んできた。
――嘘でしょ、この子、家ですごく大切にされてる。杜尋雲は歓喜というより、むしろ衝撃を受けた。蕭雁綾は溢れんばかりの愛情に包まれて育ったのだ。想像していた封建的な家父長制の家庭像とは、まるで違っていた。
もしそうなら、事態はまるで変わってくる。杜尋雲は背筋に冷や汗を覚えた。
当初の想定では、後宮の女など皇権が朝廷を相互に牽制するための象徴的な駒にすぎないと思っていた。貴族の娘を宮中へ召し上げるのは、血統の統制のため。昇格も降格も一族と一蓮托生。
まるで看板だ。
書物やドラマで、姫が遠方へ嫁いで苦労したり妃が見限られたりするのを恐れるのは、看板が失われるのを恐れているのであって、肉親を失うのを悲しんでいるわけではない。男たちが恐れるのは面目を失い、体裁を損なうことであり、重んじるのは一族の栄光だ。後宮の女性の境遇は家の名誉と分かち難く結びついている。だがこの家書に溢れる情愛はあまりにも真に迫っており、思い描いていた固定観念とはかけ離れていた。
――蕭雁綾は、皇権のもとに差し出された人質身代わりなのだ。
こうなると、単なる離間策や政変の企てどころの話ではない。
皇室そのものが、あえて蕭雁綾に手を下した可能性すらあるのだ。
何しろ、彼女は蕭雁行が何よりも溺愛する妹なのだから。
蕭雁行が最も大切にしている急所に刃を突きつけるに等しい。彼を牽制するだけでなく、最愛の妹が一体誰の掌の上にあるのかを思い知らせ、何をすべきで何をすべきでないかを叩き込むことができる。
この朝廷も、皇宮のすべてが、敵であるかもしれないのだ。
杜尋雲は震えながら手紙に目を落としていたが、まだ数枚残っていることに気づいた。めくってみると、なんと大阿哥のことばかりが書き連ねてある。
「ちょい待ち!」彼女は思わず現代人のノリで突っ込みを入れた。
「蕭雁行と大阿哥って、そんなに親しいの?」彼女は声を潜めて若竹に尋ねた。
若竹は頷いた。
「蕭大人と大阿哥様は共に剣の腕を磨かれた仲で、同じ師匠についておられました」
うわあ。
蕭雁綾は、タイムスリップしてきた初日に見せられた、あの大阿哥の世にも恐ろしい形相を思い出した。
親友の妹が刺客に狙われたからこそ、目の前でしくじった侍衛を即座に死罪に処したというわけか!
「めっちゃゲイじゃん!」
「げい?」
「ゲイ!」




