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古代に転生、後宮争いなんてお断り! ——女帝として天下に君臨する  作者: 予也木


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武官の娘

 杜尋雲が目を覚ました時、三人の宮女はすでに珠簾(たまのれん)の外で控えていた。

 ああ、この身体は五時頃になると自然と起きるのか……。

 昨夜は若竹を抱いて眠りにつき、ここが紛れもない現実なのだとさらに確信を深めていた。その体温も、息遣いも、脈拍も、幻覚などではあり得ない。


「主子、本日は未の刻(ひつじのこく)に女官がお見えになります」


 それって何時だっけ。

 杜尋雲が呆気にとられたような顔をしていたせいだろう。

 若竹は着替えを手伝いながら、小声で囁いた。「八番目の文字にございます」

「あー」杜尋雲は合点がいった。一刻(いっとき)は二時間だから、2×8-1=15時前ということか。

「主子、嬪に昇格なされば、寝室に西洋の時計が下賜されますよ」

「マジで!?」

 若竹は微笑みながら頷いた。

 この宮女は実に機転が利く、すでに二十四時間制の概念があるとはと、杜尋雲は感心した。十二支の時刻に慣れるのは骨が折れそうだと思っていたが、これなら時計が普及するのを待てばいいだけだ。

 ところで、朝は何をして過ごせばいいのだろう。

 杜尋雲が窓の外を覗こうとした途端、若竹が先回りして口を開いた。

「主子、今はここから出てはなりません。外は危険すぎます」

「じゃあ、中庭は?」

 この側宮には、目測で三百平米を超える庭が付いていた。寝所は狭いものの、中庭は古木が一本植わっているほど広々としている。

 若竹は賛成も反対もせず、ただ身を寄せて杜尋雲の背後に付き従った。

 降り注ぐ日差しが肌に温かい。

 部屋の前に立つ護衛は彼女たちを一瞥しただけで、何も言わなかった。

「主子、庭の外にも護衛が二名おりますゆえ、ここならば安全です」若竹と素梅、聴蘭は、まるでひよこの群れのように小股で杜尋雲の後をついてくる。

 杜尋雲が左へ二歩進めば、彼女たちも左へ二歩。急に立ち止まれば、彼女たちもピタリと止まる。右へ早足になれば、彼女たちも右へ加速する。


 ふふん。

 杜尋雲は背筋をぐっと伸ばすと、突然駆け出した。護衛が息を呑む音が聞こえたが、知ったことではない。木の根元の石を踏み台にして飛び上がり、塀に向かって思い切り蹴りを放った。

「主子ーーっ!!!」後ろの宮女たちは大パニックに陥った。

 杜尋雲は壁を蹴って着地すると、肩を震わせて可笑しそうに笑った。そして大股で庭をぐるぐると走り始めた。

 宮女たちは口元を押さえたまま、言葉も出ない。

 走れば走るほど杜尋雲の興奮は高まった。これは武官の娘、蕭雁綾(しょうがんりょう)の身体なのだ。十代の若さゆえ、現代社会でデスクワークに蝕まれた首や腰の痛みなど微塵もない。何度も何度も走り込み、ボクサーのように左右の拳を交互に突き出してみる。衣服と空気が擦れ合い、鋭い風切り音が鳴った。


 これで三周目。

 疲れなど全く感じない。

 口の中に血の味が広がることもない。

「ははははっ! 最高すぎる!」立ち止まり、何度も素早くスクワットを繰り返しても目眩すら起きず、呼吸は至って平穏だった。春の気候のせいか、飛び跳ねるたびに花の香りが鼻腔をくすぐる。杜尋雲はふと、現代の食習慣のままではいけないと思い至った。手術室もなく、抗生物質やホルモン剤も手に入らないこの世界で生き延びるには、この身体の頑丈さを維持しなければならない。

「よしっ! よしっ!」杜尋雲は拳を握り締め、腕の筋肉を確かめるように触れては、笑みをこぼした。

 ……

 ……

「主子……」若竹は綺麗に平らげられた皿を見つめ、「ようやく……食欲がお戻りになったのですね!」と声を震わせた。

「え?」杜尋雲としては普段の倍以上食べた自覚があったのだが、これこそが彼女の本来の食事量だったらしい。

 昼食後、少し休むと杜尋雲はまたじっとしていられなくなり、庭を走り始めた。聴蘭と素梅は声を上げることもできず、不安げに若竹の袖を引っ張るばかり。

 若竹は落ち着いた様子で佇み、蕭雁綾がぴょんぴょんと飛び跳ね、女官の訪れる時間になるまで無邪気に騒ぎ立てるのを静かに見守っていた。

「主子、女官のお目通りの時刻にございます」塀の傍にいた若竹が頭を下げて知らせた。

「おっ! はーい!」杜尋雲は高々と手を挙げて返事をした。

 護衛は度肝を抜かれ、鎧をガシャリと鳴らした。

 蕭雁綾の身体は、人目も憚らず伸び伸びとストレッチを始めた。


 謝鸞が庭の門をくぐると、目に入ったのは大股で腰を左右に振っている蕭貴人の姿だった。

「……」

「あ、来たんだ~」貴人が小走りで駆け寄ってくる様に、謝鸞は思わず息を呑んだ。

「あ~、昨日の本は大体読み終わったよ~。よく見たらあなたの服、漢服なんだね、なんか不思議!」

 謝鸞は言い知れぬ違和感を覚えた。漢人が漢服を着ていて、何が不思議だというのか。彼女はこの貴人の奇妙な振る舞いに耐えつつ、両手を重ねて頭を下げた。「蕭貴人様、読書の進みが大変お早いのですね。記憶の回復も極めて順調なご様子で」

 ――あ、早すぎたか。杜尋雲は心の中で苦笑した。句読点こそないものの、宮中の書物は恐ろしく上質で印刷も鮮明、目も疲れず紙質も滑らかでページがめくりやすかったため、蕭雁綾本来の読書速度をうっかり超えてしまっていたのだ。

「コホン。女官同志……あー違った、謝鸞様」杜尋雲も同じように拝礼を返した。「ちょっと外の行宮を見て回りたいんだけど。記憶を取り戻すのにも役立つと思うし。付き合ってくれない?」

 謝鸞はここで初めて、目を細めて蕭貴人をまじまじと見つめた。

 以前の彼女とは、まるで別人のようだった。


 杜尋雲も建前上はここから出られないことくらい承知していた。すべては「安全」のためとされているが、それは自分を守るためではなく、高位の妃嬪たちが深宮に厄介事を持ち込まれるのを恐れているからに過ぎない。下々の場所へ行く分には問題ないはずだ。宮中の実務を取り仕切るこの女官なら、相応の権限を持っているに違いない。

 一方の謝鸞は、目の前の人物をただじっと見つめ、なかなか口を開かなかった。

「謝大人、もしこれで記憶が戻ったら、あなたの恩は絶対に忘れないから」

「して、蕭貴人はどちらへ行かれたいので?」

「慎刑司(しんけいし)」

 周囲にいた護衛たちは思わず動揺し、柄を握る手に力を込めた。

「慎刑司は宮中の司法を司る禁足地。許可なく立ち入ることは叶いません」謝鸞は眉をひそめ、その表情を一気に厳しくした。

「うん、でも一昨日のあの護衛……今どうしてるか気になってね。見舞いに行けば、事件の真相解明にも役立つと思うんだ」

「蕭貴人、あの者はすでに宮刑に処され、今は慎刑司の側房にて療養中でございます」


 ちょ、仕事早すぎでしょあんたたち! 杜尋雲は危うく怒鳴り散らしそうになった。落ち着け、冷静になるんだ。この時代の仕組みを確かめる絶好の機会じゃないか。

「あの日、大阿哥が彼を私付きの奴才にしてくださったの。私の部下になったんだから、見舞いに行くくらい構わないでしょ?」

「宮刑を受けたばかりの太監のお姿を貴人様にお見せしては、私までもが罰を受けかねません」謝鸞は片膝をつき、平伏した。

「どうしてそうなるの?」

「宮刑を施された太監は、二日間は寝台に縛り付けられ、起き上がることも許されませぬ。そのような場へ赴かれましては、貴人様のお目を汚すことになります」

「二日なら、もうすぐ経つじゃない。そろそろ起き上がれる頃でしょ」

「それは……」

「何なの? 処刑された太監と普通の太監で、何が違うっていうの?」杜尋雲は思い切って踏み込んだ質問をした。作法を教える本にそんなことは書かれていなかったし、女官である以上、彼女の問いに答える義務があるはずだ。

「貴人、どちらも同じ太監にございます」

「へえ? なら何で見ちゃいけないの?」

「宮刑を受けた者は『升宝(しょうほう)』をしておらず、心境にも屈折したものが生じます。命の峠を越えて初めて、務めを果たせるかどうかが分かるのです」

 何のことだ? 杜尋雲はわけが分からなくなった。「『升宝』って何?」

 その場の全員が凍りついた。

 杜尋雲も伊達に二十代を生きてきたわけではない。彼らがしらを切っていることくらいお見通しだ。彼女は手を軽く上げ、近くにいた太監を手招きした。「あんた、説明して。『升宝』って何?」

「貴人様……」彼は恐れおののいて膝をついた。

「早く言いなさいよ」

「身体髪膚、これ父母に受く、と申し増して……あのモノは……」太監は消え入りそうな声で続けた。「切り落とした後、処理を施して梁(はり)の上に吊るし上げるのでございます。後日、買い戻して共に埋葬できるようにと……」

 どういうこと? 杜尋雲は自分の耳を疑った。防腐処理して天井に吊るす!? つまり宮刑って、五体不満足で死ぬってこと!?

「買い戻すの!? で、あんたは買ったわけ!?」杜尋雲は思わず裏返った声を出してしまった。

「貴人様、あれには銀五十両もかかりますゆえ、出世でもせぬ限り、私めのような下っ端にはとても買い戻せませぬ」

「あんたの今の給料、いくらなの?」

「月銀二両と、米二斗(と)にございます」

 うわ、働いた分全部毟り取られるシステムじゃん。杜尋雲は頭が痛くなってきた。我慢できなくなり、現代にいた頃のように片足に重心を乗せてだらしなく立ち尽くした。

 謝鸞の鋭い視線が突き刺さる。

 彼女は慌てて背筋を正した。米一斗って大桶一杯分くらいだろうか。これ以上聞いたら馬鹿だと思われるからやめておこう。

「じゃあ、その升宝とやらをしてないからって、どうして見ちゃいけないの? 刺激に耐え切れぬとでも案じているのか?私を襲うとでも?」

 平伏していた太監は、困ったように苦笑いしながら答えた。「滅相もございません……襲いかかるような体力など残っていないかと。ただ、あのような凄惨な光景をご覧になっては、貴人様のお心が乱れてしまわれるのではないかと案じているのです」

 杜尋雲は心の中で舌打ちした。現代でどんな修羅場を見てきたと思っているのだ。

「知ったこっちゃないわ。事件全体に私が関わってる以上、様子を見に行ったって罰は当たらないでしょ。ましてや刺客を目撃した重要参考人なんだから」

 謝鸞は即答できなかった。あの侍衛なら、大阿哥や妃嬪たちがすでに取り調べを終えており、本来貴人が出向く必要などない。しかし、目の前にいる貴人は以前の気品とはかけ離れていた。蕭雁綾は武官の娘とはいえ幼少から厳しく躾けられており、作法も完璧で、入宮時の礼の所作も手本を一度見せただけで合格したほどだった。だが今日の蕭貴人と来たら、立ち姿もだらしなく、言葉遣いも下品極まりない。まるで市井の粗野な女のようだ。真っ向から咎めるのも角が立つ。いっそ遠目から見せてやり、大人しく学ばせる方が得策かもしれない。

 彼女は咳払いを一つした。「……貴人様がどうしてもと仰るならば、私から慎刑司へ申請を出してまいります」

「行ってきて! 早く早く、急いで!」杜尋雲は空模様を見上げ、もたもたしていたら夕飯に間に合わなくなるとばかりに、謝鸞を追い立てるように手を振って退出を促した。

 謝鸞はそれを見て深く息を吸い込むと、その場を辞した。

 話がまとまると、杜尋雲は内心で狂喜乱舞し、背後の宮女や太監たちに向かって親指をグッと立ててみせた。

 若竹は心の中でため息をつきつつも、同じように親指を立てた。周りの者たちもそれを見て、おずおずと親指を突き出すしかなかった。

「そうそう! めでたしめでたし!」

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