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古代に転生、後宮争いなんてお断り! ——女帝として天下に君臨する  作者: 予也木


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20/21

下級女官

 夏楊(か・よう)?

 この名前、わざわざ金を出して買ったものだっていうの?

 縁起でも担いだつもりかしら。

 まあ、あたしが払った金じゃないからいいけど。

 女は入宮の合格証を手に取ったが、すぐに放り出した。どこの誰が手に入れた資格なのかは知らないが、とにかく今のあたしは「夏楊」というわけだ。

 この書類と一緒に、ぶ厚い本が三冊も届いていた。宮中の掟とやらだろう。適当にペラペラとめくってみたが、まったく金稼ぎってのは割に合わないことばかりだと嘆息せざるを得ない。

 ……まあいいわ、プロとしての誇りくらいは持っておかないとね。

 彼女は気の進まぬまま京城の旅籠の腰掛けに座り、読書を始めた。およそ勉学に励むような環境ではなかったが、今の段階ではどうしようもない。

 ……

 ……

 再び目を開けた時には、太陽が高く昇り、人の影も踏めないほど短くなっていた。

 大きなヤマとはいえ、こういう事前準備はまったく性に合わない。

 顎に手をやると、たらりと垂れた涎に触れた。

 飛ばし読みで済ませちゃおうかしら……どうせ、たった七日間の辛抱なんだし。

 ……

 彼女は宮門の前で、身につけていた私物をすべて差し出した。今の彼女のなりは、田舎から都へ出てきたばかりの娘そのもので、荷物もろくにない。

「夏楊」

 年配の嬤嬤が名を呼んだ。

 夏楊が視線を向けると、その女は眉間に深い皺を寄せており、いかにも底意地が悪そうだった。後宮の奥深くに一生留まる道を選んだような連中は、どいつもこいつもどこかしら頭のネジが外れているに違いない。だが、彼女は何も言わず、大人しく列の後ろについて歩いた。

 ひどく地味な着物が支給された。

 基本的な作法と、礼の仕方を教わる。

 それで準備完了となった。

 彼女は朱塗りの壁にそっと触れてみた。皇宮に入るのは初めてだが、見るものすべてが物珍しい。

 新入りたちは幾つかの班に分けられ、古株の宮女たちに連れられて宮中へと進んでいく。

 一人の太監が、小さな木札を配り歩いていた。

「これより貴様らは、蕭嬪(しょうひん)娘娘にお仕えする宮女となる。承華宮(しょうかきゅう)にて務めを果たすように」

 夏楊は木札を受け取り、視線を落とした。

 ――「承華宮・粗使」

 裏返してみたが、背番号も何もない。粗使、つまりは下働きの雑用係だ。最初からどんな身分を金で買ったのかは承知していたので、落胆などは微塵もなかった。ただ、この札はつくりの細工が妙に凝っており、木肌には雲の文様まで彫り込まれている。皇宮ともなれば、最下等の宮女が身につける小道具ですら、みすぼらしいものは許されないのだろう。

 前方では太監が甲高い声を張り上げ続けている。

「遅れずについてまいれ! キョロキョロと余所見をするでない! ここは下界とは違うのだ。一足でも歩みを違えれば、恥をかくのは貴様一人にとどまらぬぞ!」

 夏楊は列に従って奥へと進んだ。宮道はどこまでも長く、足元の青煉瓦は磨き抜かれて光を放ち、両脇に聳え立つ赤い壁は天に向かって高く真っ直ぐに伸びている。見上げれば、空は細く切り取られた一本の線にすぎない。頭をよぎるのは、あの三冊の掟本を半分ほど飛ばし読みした程度で、果たして事足りるだろうかという懸念だけだった。


 太監は彼女たちを承華宮の後院へと案内すると、石段の上に立ち、手元の帳面を広げて割り振りを始めた。

「庭を掃く者二名、回廊の柱を拭く者二名! 残りは西偏殿の鉢植えを後院の壁際まで運べ。運び終えたら炭蔵から炭を運ぶのだ。隅々まで清め清掃せよ、娘娘の新たなお道具入りが、間もなく到着するゆえな!」

 虹児(こうじ)という名の宮女が植木鉢を退かしながら、夏楊を気遣うように声をかけてきた。

「後でお道具が届いたら、娘娘の側仕えの宮女様たちが並べ方を教えてくださるからね。言われた通りにしていれば大丈夫よ。このお花も、もしかしたらまた元に戻すことになるかもしれないけれど」

「うん、わかった」

 夏楊は愛想よく微笑みながら、心の中で派手に白目を剥いた。

(あっちへやったりこっちへやったり、何がしたいわけ?)

 まあいい、たった七日間の我慢だ。

 もっとも、この内壁はさほど高くもない。自分の身の軽さなら、何か足場になるものさえ見つければ、飛び越えて逃げることくらい造作もない。ただ外壁の高さは途方もないから、外からの手引きがなければ、衛兵を一人二人斬り殺してすり替わるしかないだろう。

 そんな物騒な妄想を膨らませているうちに、いつの間にか植木鉢を全部運び終えてしまっていた。

「夏楊! あなた、力持ちなのね!」

「え? そうかな?」

「そうよ、すごいわ、えへへ」

 虹児の額にはうっすらと汗が滲んでいた。彼女は自分の袖口で、夏楊の額の汗をぽんぽんと優しく拭ってくれた。

 夏楊はこんな扱いを受けることなど滅多になかったため、反射的に身を躱しかけたが、ぐっと拳を握りしめて普通の娘らしく耐えた。

「虹児!」

 少し離れたところから呼びかける声がした。

「聴蘭! 素梅!」

「よかった! また一緒になれたのね!」

 三人の娘たちが手を取り合い、その瞳を歓喜で輝かせた。

 虹児は声をひそめた。

「今度のご主人は、どんなお方?」

「とってもいいお方よ」

 虹児は胸を撫で下ろし、深いため息を漏らした。

「よかったぁ……」

「あ、そうだ。この子は夏楊よ」

 虹児は夏楊の腕を取り、二人の前へ引き寄せた。

「新入りさん?」

「うん」

「大丈夫、すぐに慣れるわよ」

 聴蘭が柔らかく微笑みかけた。

「さあ、早く手を動かして片付けちゃいましょう。後で積もる話をしましょ」

 素梅が手を打ち鳴らした。

「うん!」


 横のくぐり戸から、蕭雁綾の調度品が運び込まれてきた。荷を担いだ太監たちが休む間もなく立ち働いている。

 夏楊は進み出て、紫檀でできた小机を一つ抱え上げた。

 彼女は虹児の後に続いて正殿を回り込み、回廊に沿って東へと歩いた。

 道中、彼女はようやくこの皇宮の構造をじっくりと観察する機会を得た。

 宮中の建物は、想像していたよりも遥かに整然と区画されている。高い壁が無数の宮苑を隔て、宮門と宮門の間は長いつづら道で結ばれている。正殿は決まって北を背に南を向き、その両脇に偏殿、耳房、廂房が連なり、背後には中庭が抱え込まれている。宮女や太監たちが行き交っているが、役目のない場所で立ち止まっている者はほとんどいない。

 巨大な屋敷のように見えて、実態は無数の壁で仕切られた巨大な蜘蛛の巣のようだった。

 夏楊は歩きながら、曲がり角の数を密かに数えた。

 左手に宮門、右手に月亮門、前方には太監が二名見張りに立っている。

 もし何か事が起きた場合、ここから外へ脱出するには、少なくとも三つの門を突破しなければならない。

 彼女は心の中で舌打ちした。

(めんどくさいこと)

 もっとも、宮中にはやたらと人が多い。

 着物を抱えて回廊を行き交う宮女、食材を積んだ荷車を押して急ぎ足で通り過ぎる太監、銅の盥(たらい)を手にうつむいて小走りに駆けていく若い宮女たち。人が多いということは、それだけ監視の目が多いということでもある。だが同時に、いつ頭を垂れ、いつ角を曲がるべきかさえ心得ていれば、容易に人混みへ紛れ込めるということでもあった。

 彼女はすぐに結論を出した。

(ここから逃げ出すのは思ったより骨が折れそうだけど、身を隠すだけなら想像よりずっと楽そうだわ)


「夏楊、早く!」

 前方から虹児の声が飛んできた。

「今行く!」

 夏楊は肩の上の小机を持ち直した。

 その時、前方からふわりと料理のいい匂いが漂ってきた。

 彼女の足がわずかに止まる。

(食事かしら?)

 蕭嬪娘娘は、おそらくあの前方にいるはずだ。

 彼女は何食わぬ顔を装って後を追った。

 どうせ荷物を運ぶだけだ。

 承華宮へ越してきたばかりのこの主人が、一体何を口にしているのか、ついでに拝んでやろうじゃないか。

 そう考えていると、視界の端に何人かの人影が映った。

 太監たちがお盆を捧げ持っている。夏楊は歩みを緩めることなく、その瞳だけを横へと走らせた。

 料理の皿が、一枚、また一枚と部屋の中へ運び込まれていく。

 寝宮の扉の脇には、一人の太監が直立していた。

 最初の一皿が届く。

 彼はそれを一口、味見した。

 少しの間をおいてから、中へ運ぶよう合図を出す。

 二皿目。

 やはり同じように味見をする。

 三皿目。

 ……

 依然として、同じ手順が繰り返される。

 夏楊の瞳の奥がわずかに揺れた。

(その場の気まぐれじゃない)

(毒見の作法ね)

 しかも、極めて厳格に運用されている。

 彼女はその太監を長く凝視することはせず、視界の端で二、三の細部を確認するにとどめ、すぐに視線を正面へと戻した。

(面白いじゃない)

 この皇宮の中で即効性の毒を盛るなど、およそ不可能に近い芸当だ。

「夏楊! 夏楊!」

 虹児が押し殺した鋭い声で呼んだ。

「はーい、行きますよー」


 ……

 ……


(やってらんないわよ、クソッタレ! いくらなんでも仕事が多すぎるでしょ! 荷物を運ばされた挙句に埃払いまでさせられて! 埃なんてどこにあんのよ!)

 夏楊は我知らず夜更けまでこき使われていた。

「休もう、ひと休みしよ」

 虹児が彼女を一番端にある耳房へと案内してくれた。敷地内には幾つもの部屋があり、そのうち二つは大部屋の雑魚寝部屋になっていた。残りは厠と水浴びの場だ。

「なんだか、人が少ないみたいだけど?」

「若竹姉さんと聴蘭姉さんは、寝室の隣の控室にいらっしゃるのよ」

 素梅が得意げに口を挟んだ。

「あなたたちも出世すれば、あそこへ当直に回してもらえるわよ。あっちの寝台はすごく寝心地がいいんだから。私と聴蘭は五日ごとの交代制だけど、若竹姉さんは毎日あそこに詰めてるの」

「へぇ、そうなの」

 夏楊は生返事を返しながらも、まったく人が多すぎると辟易していた。彼女は声の調子を変えて探りを入れた。

「じゃあ、太監たちはどこに寝泊まりしてるの?」

「身の回りの世話をする太監は反対側の控室よ。残りの人たちはみんな集団部屋があるの」

「なるほどね」

 この皇宮の構造も、飲み込めないほど複雑怪奇というわけではないらしい。

「二人でゆっくり話してて。あたし、ちょっと厠に行ってくる」

 素梅と虹児の楽しげな笑い声が、すぐに背後で響き始めた。小走りの足音は、あっという間に遠ざかって聞こえなくなる。


 夏楊は誰もが疲れ果てている隙を見計らい、人目のない物陰を選んでひらりと壁の上に這い上がった。予想通りの感触だ。

 彼女は四方を見渡した。幾重にも重なり合う皇宮の甍(いらか)は、高所から見下ろすと息を呑むほど壮麗だった。至る所の片隅に、微かな蝋燭の灯火が揺らめいている。

 夜の帳が降りる中、一人の若い太監が唐突に聴蘭を呼び出し、主殿の寝室の扉へと足早に滑り込んでいくのが見えた。

 彼女は壁の上を音もなく移動し、身軽に飛び降りると、主殿へと続く道を手繰り寄せた。

 そして窓の下へと低く身を潜めた。

「……」

「……上官天相にございます……」

 男が名乗りを上げていた。

 夏楊は息を呑み、さらに耳を澄ませた。

 部屋の中の二人は、白熱した議論を交わしている。

 壁の根元に蹲る彼女の背筋に、冷や汗がどっと吹き出した。


(あのクソジジイめ)

(あたしをこの宮の中で野垂れ死にさせる気配りだったわけね)


 彼女は顔を上げ、四角く切り取られた夜空の格子を見つめた。

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