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龍と廃嫡皇女のシェアハウス  作者: 三連九
第3章 白嶺の再始動
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第32話 聞きすぎる客

 屋根付きの作業場に椅子を置いてから、五日が過ぎた。


 低い屋根の下には小さな机が一つ、椅子が三脚。商会の相談も、湯治客の困り事も、まずはそこで聞く。いつしか皆が、仮相談所と呼ぶようになっていた。


 アリアの家まで来た人にも、今では近所の者が「あちらですよ」と教えてくれるようになった。


 宿坊では、食事を頼む札が壁に並んでいる。


 昇る日の札は朝、沈む日の札は夕。椀の絵は人数だ。初めは絵を逆に覚える客もいたが、今朝もハインツが一枚をそっと裏返した。


「こちらは夕食でございますよ」


「おや。日が上っているから、朝かと思った」


「こちらの日は、山へ沈みかけております」


「ほんとだ。ずいぶん細かいな」


「ノア様の力作でございます」


 ハインツが言うと、机の上にいたレクス・ノアが胸を張った。


「ぼくが描いたよ」


「我も手伝った」


「レクスは、丸がゆがんでるって言っただけ」


「大切な指摘だ」


 客が笑う。


 決めただけでは、すぐにはうまくいかない。


 それでも札を間違えた者がいれば、直し方を知る人がいる。前より少しだけ、白嶺は人を迎えることに慣れていた。


 昼前、夏の日差しに白く乾いた坂道を、一人の男が上ってきた。


 濃い灰色の外套を腕に掛け、背には革の荷袋。年は四十ほどだろうか。汗はかいているが、足取りは崩れていない。


 男は作業場の前で立ち止まり、腰へ手を当てた。


「こちらで、滞在の相談ができると聞いたのですが」


「はい。どうぞ、お掛けください」


 アリアは椅子を勧めた。


 男は礼を言って座った。背筋を伸ばしたまま、ゆっくり腰を下ろす。痛む者の動きにも見えるし、長い坂を上った疲れにも見えた。


「コンラート・ベルガーと申します。北の町々を回って布を扱っております」


「湯治でいらしたのですか?」


「ええ。馬車に揺られるのが商売のようなものでしてね。腰がすっかり固くなりました」


 コンラートは困ったように笑った。


 荷袋の口から、巻いた布が二本見えている。片方は丈夫そうな茶色、もう片方は薄い青だった。


「初めていらした方は、宿坊へご案内しています。お食事は、作れる方には共同炊事場を使っていただいて、難しい場合は前の日までに札を——」


「昇る日と、沈む日の札ですね。坂の下で教えていただきました」


 説明を聞いてきたらしい。


「それなら、すぐに分かります」


「絵なら、旅人にも親切だ」


 コンラートの目が、机の上へ移った。


 レクス・ノアが前足で紙の端を押さえている。


「こちらが、噂の小さな龍ですか」


「ぼく、ノア」


「我はレクスだ」


「これは失礼。お二方でしたか」


 驚きはしたが、声を上げたり、むやみに触れようとしたりはしなかった。


 代わりに荷袋から細い紐を一本取り出す。赤と青の糸を撚った、きれいな紐だった。


「布を束ねるだけでは味気ないので、こんなことをして旅の子に見せるのです」


 両手の指へ紐を掛け、二度ひねる。


 赤と青の輪が重なり、小さな鳥になった。


「とり!」


 ノアが身を乗り出す。


「次は、何になると思います?」


「おさかな」


「では、魚にしてみましょう」


 コンラートの指が動くたび、紐の形が変わった。


 ノアは机の端まで進み、翼を半分開いて覗き込む。


 コンラートは笑っている。


 ただ、その目は紐だけを見てはいなかった。


 翼がどこまで開くか。机から落ちそうになった時、どちらの足から踏み出すか。アリアが手を伸ばすと、どれほど近くへ寄るか。


 細かな動きを一つずつ追っているように見えた。


 レクス・ノアの首が、わずかに引かれる。


「もうよい」


「えー、まだおさかなになってない」


「宿坊へ案内する時間だ」


「そうでした」


 アリアが立ち上がると、コンラートはすぐ紐を外した。


「名残惜しいですが、続きはまた今度に」


「うん。またね」


 ノアは嬉しそうだった。


 レクスは、答えなかった。


* * *


 コンラートは、よく人の話を聞く客だった。


 共同炊事場では、薬草を刻んでいた女へ声を掛けた。


「よい香りですね。山のどの辺りで採れるのです?」


「上の方さ」


「なるほど。日当たりのよい南側ですか、それとも沢沿いで?」


 作業場の前では、荷を運ぶ若者へ尋ねた。


「この包みは、どこへ置けばよいのでしょう。布を濡らさない場所を探しておりまして」


「商会の荷なら、向こうだよ」


「あの倉でしょうか。ずいぶん出入りが多いようだ」


 湯上がりの老人とは、灰の話をしていた。


「こちらでは灰も捨てずに集めるのですな。畑へ入れるので?」


「灰にもいろいろあるからな」


「では、分けて保管を?」


 一つ一つなら、おかしな質問ではない。


 布を扱う者が、湿気を嫌うのは当然だ。旅の商人なら、土地の品や暮らしに興味を持つだろう。


 けれど、聞く相手が変わっても、話の行き先はよく似ていた。


 どこで採れるのか。


 どれだけあるのか。


 どこへ置くのか。


 誰が決めるのか。


 ある夕方、アリアは宿坊の前でコンラートと行き合った。


 彼は坂の上を見ていた。


「あの黒い屋根は、ずいぶん立派ですね」


「旧帝国管理庁舎です。今は使っていません」


「中には、昔の帳面なども残っているのでしょうか」


「まだ調べていません」


「それは惜しい。山の記録があれば、昔の鉱山のことも分かるかもしれませんな」


 コンラートは、ただ景色を眺めているような声で続けた。


「鉱山は、今も人が入るのですか?」


「入りません」


「入口はどちらに?」


 アリアは答えかけ、口を閉じた。


 入らない場所の入口を、なぜ知りたいのだろう。


 そう考えた時には、コンラートの顔に申し訳なさそうな笑みが浮かんでいた。


「失礼。商人は、知らない土地へ来ると何でも尋ねる癖がつきまして」


「コンラートさんは、北のどちらからいらしたのですか?」


「リューデンを通って参りました」


「布は、そこで?」


「ええ。あちらの織物は丈夫ですから」


 答えは滑らかだった。


 アリアには、それが正しいのか分からない。


 その夜、ハインツとグレーテが仮相談場所へ来た。


「リューデンの丈夫な織物、とおっしゃいましたか」


 ハインツが確かめる。


「はい。何かおかしいのですか?」


「かの町でよく扱われるのは、薄手の染め布でございます。丈夫な織物がないわけではございませんが、布商人が最初に挙げる品ではないでしょう」


「あたしには、川沿いの市を回ってきたと言っていたよ」


 グレーテが指を折った。


「でも、あの市の荷揚げ場を知らなかった。昔とは変わったのかもしれないし、別の道を来たのかもしれないけどね」


「嘘でしょうか」


「さあ」


 グレーテはすぐに首を横へ振った。


「商人だって、扱わない品はある。町へ寄ったからって、隅々まで知っているとは限らないよ」


「ただ、尋ねることに比べて、ご自分のお話は曖昧でございます」


 ハインツも、断定はしなかった。


 そこへ、レクス・ノアが窓から入ってきた。


「あの男は、ノアを見ている」


「いっしょに遊んだだけだよ」


「紐ではなく、おまえがどう動くかを見ていた」


「でも、やさしかったよ」


 ノアの声が小さくなる。


 嘘をついている声ではない。


 コンラートが紐で鳥を作った時、ノアは本当に楽しかったのだ。


 親切だったことと、聞きすぎること。


 どちらか一方を消せば、簡単になる。


 けれど、アリアには消せなかった。


* * *


「追い返した方がいい」


 翌朝、仮相談場所へ集まった住民の一人が言った。


「何か盗まれてからじゃ遅いだろう」


「盗んだところを見たのかい?」


 マルタが聞く。


「見てないが、聞き回ってる」


「なら、もう何も話さなければいい」


 別の者が腕を組んだ。


「客に聞かれても、全部知らないと言うんだ」


「湯の場所も、炊事場の使い方もですか?」


 アリアが尋ねると、その者は詰まった。


「それは、教えないと困る」


「薬草の使い方は?」


「売ってる物なら、教えてもいいんじゃないか」


「どこで採れるかは?」


「それは……どうだろうな」


 皆の答えが少しずつ違う。


 何を聞かれたら黙るのか、誰も同じには決めていなかった。


 ルークスが机へ手を置く。


「コンラートだけを追い出しても、次の者が来ます」


 夏の山道は乾いている。


 湯の話を聞いた客も、包みの話を聞いた商人も、これから増えるだろう。


「では、全員を追い返すのか?」


「それでは、湯治場ではなくなります」


 アリアは膝の上で手を組んだ。


 人が来るのは嬉しかった。


 白嶺の湯で痛みが和らぎ、帰る時の顔が少し明るくなる。それを見ていると、この土地にあったものが、誰かを助けられたのだと思える。


 けれど、誰でも家へ入れてはいけないと、前の話し合いで決めたばかりだ。


 場所にも、話にも、きっと同じ境がいる。


「わたしが、もう一度お話ししてみます」


「一人では行くな」


 レクスがすぐに言う。


「ここへ来ていただきます。皆さんの見えるところです」


 コンラートは、呼ばれるとすぐに現れた。


「何か不都合がございましたか?」


「白嶺で、困っていることはありませんか?」


 問い詰められると思っていたのか、コンラートの眉がわずかに上がった。


「いいえ。湯もよく、皆さんにも親切にしていただいております」


「お食事は?」


「札を一度、間違えました。ハインツ殿に直していただきましたよ」


「あれ、コンラートさんだったのですか」


「沈む日を、朝焼けだと思いまして」


 アリアは思わず笑った。


 コンラートも笑う。


 笑った後で、彼は机の端へ置かれた紙を見た。


「こちらでは、客の名を帳面へ残しておられるのですか?」


「まだ、皆さんのお名前を聞いているだけです」


「どこから来たかや、誰の紹介かまでは?」


「そこまでは聞いていません」


「それでは、商人が増えた時に苦労なさるでしょうな。荷の出所も、滞在の日数も分かりません」


 助言にも聞こえる。


 自分が何を尋ねられるのか、先に知ろうとしているようにも聞こえた。


 アリアは紙を見下ろした。


「コンラートさんは、いつまで滞在するご予定ですか?」


「腰の具合を見て、あと五日ほど」


「その後は、どちらへ?」


「北へ戻るつもりです」


「リューデンへですか?」


 一拍だけ、間があった。


「ええ。まずは、そちらへ」


 間があったから、嘘だとは決められない。


 けれど、何を答えてよいか迷っているのは、コンラートも同じなのかもしれなかった。


「ありがとうございます」


 アリアは頭を下げた。


「今日のお話は、それだけです」


「承知しました。では、湯へ戻っても?」


「はい。お時間をいただいて、ありがとうございました」


 コンラートは立ち上がり、腰を確かめるように背を伸ばした。


「一つだけ、私からも伺ってよろしいですかな」


「はい」


「滞在の終わりを尋ねられたのは、今日が初めてでした。これからは、皆に尋ねることになるのでしょうか」


 責める声ではなかった。


 決まりを知りたい旅人の、もっともな問いに聞こえた。


「まだ、決まっていません」


 そう答えてから、アリアは気づいた。


 コンラートにだけ帰る日を尋ねたのは、皆が彼を怪しいと思ったからだ。次の知らない客が来れば、またその人を見て、聞くかどうかを決めることになる。


 それでは、誰に何を尋ねるのか、いつまでも決まらない。


「これから、皆さんと考えます」


「先に分かっていれば、旅人も答えを用意できます」


 コンラートは穏やかに一礼し、仮相談所を出ていった。


 見送りながら、アリアは机の紙を引き寄せた。


 知らない方を追い返すか、何でも話すか。


 その二つを、相手の顔を見るたびに選ばなくてもよい方法が、きっと必要だった。


* * *


 来訪者のための紙は、最初から作り直すことになった。


「名前はいるね」


 グレーテが言う。


「何をしに来たかもだ。湯へ入りたい者と、商売の者じゃ、案内する場所が違う」


「どこで寝るかも分かった方がよい」


 ルークスが続けた。


「具合が悪くなった時、探せないと困ります」


「いつまでいるか」


 ハインツが四つ目を書いた。


 名前。


 来た用事。


 泊まる場所。


 帰る予定の日。


 紙には、四つだけが並んだ。


「どこの町から来たかは?」


 住民の一人が尋ねる。


「書けるなら、余白でよいでしょう」


 アリアは答えた。


「紹介してくれた方のお名前も、必要な時に伺います。たくさん聞きすぎて、湯へ来た方を戸口で疲れさせたくありません」


「あの男は、たくさん聞くけどね」


 マルタの一言に、何人かが苦笑した。


「こっちが何を話すかも決めよう」


 グレーテが、別の紙を出す。


「長いのは覚えられないよ。三つまでだね」


「みじかいのがいい」


 ノアも頷いた。


 最初の一つは、すぐに決まった。


 白嶺での暮らし方と、今売っている品のことは話してよい。


「湯の場所も、食事札も、包みの使い方もですね」


「そうだね。教えなきゃ、また炊事場を煙だらけにされるよ」


 二つ目は、少し迷った。


「薬草の採れる場所は?」


「話さない」


「包みがいくつあるかは?」


「それも、話さない」


「アリアがどこから来たかは?」


 レクスの声が低くなる。


「話す必要はない」


 場所、量、帳面、人の昔。


 細かなことを聞かれたら、自分だけで答えず、この相談場所へ案内する。


 三つ目は、前より簡単だった。


 作業場、荷を置く場所、鉱山、誰かの家へは、案内なしで入らない。


「あの黒い屋根の館もだ」


 ルークスが付け足す。


「あそこは、案内があってもまだ入りません」


「うん。あぶないかもしれないもんね」


 ノアが紙を覗き込んだ。


「これ、コンラートに見せるの?」


「皆さんにお伝えします」


「あの人だけじゃなくて?」


「はい。コンラートさんが帰った後に来る方にも、その次の方にもです」


 怪しいから、話さない。


 好きだから、何でも話す。


 それでは、相手が変わるたびに境も動いてしまう。


「同じにするのか」


 レクスが言った。


「はい。知らない方でも、同じようにお迎えできるようにします」


「我は、知っている者でも勝手に家へ入れたくない」


「それも同じです」


 アリアは笑った。


「わたしたちの家は、来訪者受付の外です」


* * *


 新しい紙は、宿坊の入口と仮相談場所へ置かれた。


 滞在中の客にも、名前と帰る予定の日だけ、改めて書いてもらう。


 字の難しい者は、話を聞いた人が代わりに書いた。


 コンラートも、嫌な顔はしなかった。


「コンラート・ベルガー。湯治と、旅の休息。宿坊。五日後に出立予定」


 一つずつ確かめ、自分の手で書く。


「これでよろしいですかな?」


「はい。ありがとうございます」


「出立が延びた時は?」


「分かった時に、教えてください」


「簡単で助かります」


 彼は筆記具を置き、ノアへ赤と青の紐を見せた。


「魚の続きはいかがです?」


「やる!」


 ノアが駆け寄る。


「ここでやれ」


 レクスが言った。


「倉の陰へ連れていくな」


「もちろん。皆さんに見ていただいた方が、私も緊張しません」


 コンラートは椅子へ腰を下ろした。


 紐が鳥になり、魚になり、最後には小さな橋になった。


 ノアは何度もやり方を教わり、前足ではうまくできず、とうとう紐へ絡まった。


「とれない」


「動くな。余計に締まる」


「お助けしましょうか?」


「我が外す」


「レクスもおてて同じだよ」


「では、アリア」


「はいはい」


 アリアが結び目をほどくと、周りから笑いが起きた。


 コンラートも笑っていた。


 その日の午後、彼は荷を運ぶ若者へ話しかけた。


「白嶺の品を少し見せていただきたいのですが、包みはあの倉に?」


「売ってる物なら、受付の方にあるよ」


「倉の中で、布に合う品を探したいのです」


「詳しいことは、あっちで聞いてくれ」


 若者は仮相談場所を指した。


 声を潜めもしない。疑う顔もしない。


 決めた通りに案内しただけだった。


 コンラートは指された先を見る。


 ほんの少し、笑顔が止まった。


 だが、すぐに頷く。


「承知しました」


 それ以上、倉のことは尋ねなかった。


 アリアは離れた場所から、その様子を見ていた。


 何も分かったわけではない。


 コンラートが本当に腰を休めに来た布商人なのか。別の目的があるのか。まだ、どちらとも言えない。


 けれど、若者は嘘をつかなかった。


 コンラートを怒鳴りつけることも、知っていることを全部話すこともしなかった。


 境が一つ、働いた。


* * *


 夕食の後、アリアはレクス・ノアと坂道を歩いた。


 夏の夕方は長い。日は山の端へ触れているのに、空にはまだ青さが残っている。軒先の洗濯物はすっかり乾き、共同炊事場からは鍋を洗う音が聞こえた。


「ねえ、アリア」


 ノアが呼ぶ。


「はい」


「コンラート、わるい人?」


 アリアは足を緩めた。


 少し前なら、すぐに答えを探したかもしれない。


 皆を安心させられる答えを。


 けれど、ない答えをあるように言うことはできない。


「分かりません」


「やさしいよ」


「はい」


「聞きすぎる」


 レクスが言う。


「それも、はい」


「どっち?」


「どちらも、です」


 アリアは、小さな体を抱き上げた。


「知らない方でも、湯へ来たら休んでいただきたいです。でも、知らないまま、どこへでも入っていただくことはできません」


「きょうかい?」


「境です」


「おうちの戸みたいなものだ」


 レクスが言った。


「閉じていれば、誰も入れない。開ければ、入れる」


「ずっと閉めるの?」


「必要な時に、アリアが開ける」


「わたしだけではありません」


 アリアは訂正した。


「皆さんで決めて、開けます」


「我は、アリアの家の戸なら我が決める」


「三人で決めましょう」


「ぼくも?」


「もちろんです」


 ノアは嬉しそうに翼を鳴らした。


 坂の上には、黒い屋根が見えていた。


 旧帝国管理庁舎。


 帳面を置き、人の話を聞ける場所が必要になるほど、白嶺へ来る人は増えている。


 あの建物が使えれば、仮相談場所の低い屋根に頭をぶつける者も、雨の日に荷を抱えて立つ者も減るだろう。


 けれど、便利そうだからと戸を開けることはできない。


「明日、ルークスさんにお願いしましょう」


「館を開けるのか?」


「いいえ」


 アリアは黒い屋根を見上げた。


「まず、どこまで近づいてよいのか。誰なら安全を確かめられるのか。それを相談します」


 安全を確かめる人と、入ってよい場所が決まるまで、館の戸は閉じたままにする。


 忘れるためではない。いつか皆で開けるために、今は境を残しておくのだ。


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