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龍と廃嫡皇女のシェアハウス  作者: 三連九
第3章 白嶺の再始動
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第27話 十二袋を作る

 薬草地の葉が、アリアの指よりも長くなっていた。


 昼間は温室の戸を開けたままにしても、苗が冷えない。夕方の鐘が鳴ってからも、山の斜面には明るさが残る。


 春待ち包みの手直しは終わり、布と紐も届いた。若葉の印を逆さに押した札が一枚出たけれど、出荷箱へ入る前にトーマスが見つけた。


 番号のない袋を、箱へ入れる者はもういない。


 白嶺商会という名前も、少しずつ町の口に馴染んでいた。


「商会長、遅れていますよ」


 作業場へ続く道から、ルークスが呼ぶ。


「今、行きます」


 アリアは答え、両手を前へ差し出した。


 隣の石塀に、レクス・ノアが立っている。


 小さな翼が開いた。


「今日は、あそこまで飛ぶ!」


 ノアが作業場の戸口を見つめる。


「前回もそう言って、水桶へ落ちた」


「桶があったから平気だった」


「桶がなければ地面だ」


 石塀を蹴る。


 小さな体が、ふわりと浮いた。


 アリアの胸の高さを進み、少しずつ下がっていく。いつでも抱き止められるように、アリアは両手を伸ばしたまま後を追った。


「もう少しです」


「届く!」


「前を見ろ。袋が――」


 レクスが言い終わる前に、レクス・ノアの体は戸口の空袋へ頭から突っ込んだ。


 袋の山が、ひとつ崩れる。


 中から翼の先だけが出た。


「着いた!」


「着地とは認めない」


 作業場で笑いが起きた。


 アリアは袋を持ち上げ、小さな体を救い出す。


「前より遠くまで飛べました」


「そう!」


「落ちた事実を報酬で覆い隠すな」


 アリアは笑いながら、翼についた糸くずを取った。


 作業場の机では、トーマスが札の番号を読み上げ、縫い手が帳面の同じ番号へ印をつけている。その横には、若葉印の紐と、三つに分けた硬貨袋。


 もう、アリアが一つずつ指を差さなくても仕事は進む。


 その代わり、机の端には帳面が積まれ、壁際には布と空箱が重なり、戸口の内側には来客用の椅子まで置かれていた。


 アリアが窓から顔を出すと、坂の上に黒い屋根が見えた。


 窓の半分を板で塞がれた、大きな建物だった。


「あれは、何ですか?」


「昔の役人館です」


 ルークスが答えた。


「今は危ないので、近づかないでください」


「危ない屋根」


「屋根だけではありませんよ、ノア」


 それ以上は話さず、ルークスが机へ一枚の紙を置いた。


 春待ち包み、十二袋。


 数週間前から、返事を待たせている注文書だった。


* * *


「薬草は、どれくらいありますか?」


 アリアはマルタへ尋ねた。


「十二袋分ならあるよ」


「白嶺で使う分を残しても、ですか?」


「採る場所を広げればね」


「布は十二枚、作れますか?」


 今度は縫い手たちを見る。


「作れます」


 袋の仕上げを多く受け持ってきた女が答えた。


「少し早く始めれば、間に合いますよ」


「乾かす場所は?」


「棚をもう一段使えばいい」


「乾かなかったら、夜まで火を見れば済むさ」


 次々に、できるという返事が返ってくる。


 十二袋は作れる。


 皆の声を聞けば、そう思える。


 けれど、アリアの胸には小さな引っかかりが残った。


 少し早く始める。


 夜まで火を見る。


 採る場所を広げる。


 どれも、紙の上では一行にもならない言葉だった。


「ほかの仕事は、止まりませんか?」


 縫い手が、ほんの少し視線を逸らした。


「繕い物は後へ回せます。湯治のお二人へ貸した寝具も、替えをもう一組縫えば足りますから」


 そう言いながら、布を押さえる。


 指先に、小さな赤い点がいくつもあった。


 前に見た針跡より、新しい。


「夜も縫っていたのですか?」


「夜といっても、少しです」


「どのくらいですか?」


「鐘が二つ鳴るくらいで」


「それは少しではありません」


 アリアが言うと、女は困ったように笑った。


「でも、できますよ。十二袋くらいなら」


 できます。


 その言葉の後ろに、別の言葉が隠れていた。


 眠る時間を減らせば。


 ほかの仕事を待たせれば。


 自分の指に、もう少し針を刺せば。


 アリアは注文書を見た。


 六が十二へ増えただけだ。


 けれど、働く人の夜まで二倍にしてよいはずがない。


「今の作り方では、注文を受けません」


 作業場が静かになった。


「作れないのですか?」


「作れます」


 アリアは答えた。


「でも、次も同じ数を頼まれた時に、また皆さんが夜まで働くことになります」


「次は、もっと慣れますよ」


「その次は、二十四袋かもしれません」


「にじゅうよん!」


 ノアが嬉しそうに声を上げる。


「喜ぶところではない」


 レクスが切り捨てた。


 戸口の向こうで、布の束を抱えたグレーテが足を止めていた。


 数週間前、夫のハインツと湯治に来た老婦人である。


 借り家へ鍋を届けた時、二人が引退するまで大きな商家で働いていたことを、アリアは聞いていた。夫は帳場を預かり、グレーテは店の奥で、品を包む手や住み込みの者たちをまとめていたという。


「何かお気づきになったら、教えていただけますか?」


 そう頼んだアリアへ、グレーテは少し考えてから答えた。


「尋ねていただけた時には」


 今、その時が来たらしい。


「お返しに来ました」


 借り家で使っていた包み布らしい。洗って乾かされ、きれいに畳まれている。


 グレーテは布を机へ置くと、縫い手の指を一度見た。


「少し、よろしいですか」


 アリアは頷いた。


「お願いします」


 グレーテは完成した袋を手に取った。


「この袋を作る時、最初から最後まで、同じ方がなさるのですか?」


「その方が、揃いますから」


 縫い手が答える。


「布を測るのも?」


「はい」


「裁つのも、紐を通すのも、印を確かめるのも?」


「全部です」


 グレーテは袋を裏返し、口元の縫い目を指でなぞった。


「一度できることと、続けられることは違いますよ」


 静かな声だった。


「上手な人へ全部頼むから、上手な人から倒れるのです」


 縫い手の顔が強張った。


「ほかの者に任せて、同じ形に揃いますか?」


「最初の形と、最後の確かめを、あなたにお願いしたいのです」


 グレーテは袋を表へ返した。


「まっすぐな線を引くことと、口元を丈夫に縫うことは、同じ難しさではありません。布を測る手まで、難しいところを縫える方の手である必要はないでしょう」


「仕事を分けるのですか?」


 アリアが尋ねた。


「分けられるところがあるか、皆さんで確かめるのです」


 グレーテは微笑んだ。


「あなたにしかできない仕事へ、あなたの手を使うために」


 縫い手は、自分の指を見た。


 すぐには頷かなかった。


 代わりに、机の上の布を一枚取る。


「では、まず測るところからです」


* * *


 最初の一枚は、見事に曲がった。


「線の通りに裁ったぞ」


 トーマスが言う。


「その線が曲がっているんだよ」


 マルタに言われ、肩を落とした。


 布の上へ定規を当てるだけでは、端が少しずつずれる。そこでグレーテが、古い丈夫な布を二枚重ね、完成した袋と同じ形に裁った。


「これを上へ置いて、縁をなぞりましょう」


「型にするのですね」


 アリアが言う。


「はい。最初の形を作るところは、上手な方にお願いします」


 縫い手が型の端を直し、角を少し丸くした。


「ここは尖らせると、縫う時に布が寄るよ」


 次の線は、まっすぐ引けた。


 直線部分は、簡単な繕い物のできる者が縫う。口元の補強と最後の仕上がりは、いつもの縫い手たちが確かめる。


 紐は、一本の見本と長さを揃えて切った。


 それでも一本だけ、指二本分も短い。


「誰ですか、これを切ったのは」


 ルークスが尋ねる。


 紐を切り揃えるあいだ、ずっと机の端から見ていたレクス・ノアへ、皆の目が集まった。


「我々には刃物を使える指がない」


「でも、見てた!」


「目撃者だそうです」


 アリアが言うと、また笑いが起きた。


 若葉の印を押す段になると、ノアが前足を上げた。


「ぼく、できる」


「商品には押させられない」


「一回だけ、試し布へ押してみますか?」


 アリアが尋ねる。


「アリア」


 レクスの声に疑いがある。


「試すだけです」


 印に色をつけ、レクス・ノアの小さな前足で上から押す。


 布をめくる。


 若葉は、斜めになっていた。


「若葉、風にゆらゆら~」


「失敗しただけだ」


「商品には使えません」


 アリアが言うと、小さな翼がしゅんと下がった。


「ですが、わたしたちのものにはできます」


 細く畳んで、レクス・ノアの首へ巻く。


 斜めの若葉が、喉元に収まった。


「ぼくの印」


「不採用品だ」


 そう言うレクスも、外そうとはしなかった。


* * *


 アリアが最初から使ってきた帳面には、注文した袋の数も、使った布と紐も、働いた者の名も、売れた代金も書いてあった。


 一冊を開けば、全部ある。


 アリアには、どこに何を書いたか分かっていた。


 けれど仕事を分けると、帳面を見る者も増えた。布を測った者は残りの布を探し、縫った者は自分の仕事を探し、代金を分ける者は支払いの済んでいない名を探す。


 同じ頁を三人でめくり、別々の行を指で追う。


 アリアは空いたところへ小さな字で書き足そうとしたが、一頁の半分で欄が足りなくなった。


「横へ書けば入ります」


「次の注文もですか?」


 ルークスに尋ねられ、アリアの手が止まる。


「紙を継ぎ足す?」


「帳面が蛇のようになるぞ」


 窓の外にいたハインツが、声を立てずに笑った。


 今日は杖を壁へ立てかけ、借り家の前を数歩だけ歩いてきたらしい。作業場へ入る時には、また杖を持っていた。


「ハインツさんなら、どうなさいますか?」


 アリアから尋ねると、老人は机へ近づいた。


「今の帳面が間違っているわけではありません」


「では、このままでも?」


「十二袋までは」


 前にも聞いたような言い方だった。


「二十四袋になったら?」


「誰へ返す金で、何に使ってよい金で、まだ払っていない仕事がどれか。アリア様が全部覚えておられる間は間違いません」


「覚えられなくなったら、間違えます」


「ですから、忘れても間違えない形にします」


 ハインツは三つの硬貨袋を指した。ただし、触れはしない。


「金を三つに分けたのなら、帳面も分けてはいかがでしょう」


 売れた品と戻った金を書く帳面。


 誰が何をして、誰へ返すかを書く帳面。


 皆のために残した金と、使い道を書く帳面。


「三つ」


 ノアが言った。


「きらきらと同じ」


「用途が同じだからな」


 新しい帳面が二冊、棚から出された。


 けれど、どの順に何を書くかは、ハインツが決めなかった。


「作業の名前は、短い方が見やすいです」


 縫い手が言う。


「布を測るのと裁つのは、同じ印でいいんじゃないか」


「別だよ。あんたの曲がった線を忘れたのかい」


 マルタに言われ、トーマスが口を閉じた。


 字が苦手な者にも分かるように、布、針、紐、葉、棚の小さな印を使う。名前の横へ、仕事の印をつける。


 アリアが書くのではなく、実際に作業した者が一つずつ選んだ。


「これなら、忘れても分かります」


「忘れることを恐れなくてよい帳面は、長く使えます」


 ハインツはそう言って、杖を取り直した。


* * *


 薬草地は、初夏の匂いで満ちていた。


 冬には地面へ張りついていた葉が、今はアリアの足首を隠すほど伸びている。ところどころに、小さな花芽が立っていた。


「この辺りだけで、十二袋分は採れます」


 採取を担当する男が、斜面の先を示した。


「あちらまで行けば、もっと早い」


「今年はね」


 マルタが言った。


 男が振り返る。


「来年は、そこに何が生えるんだい」


 マルタは一つの株を指した。


 外側の葉は大きい。中央には、これから伸びる若い葉が重なっている。


「根ごと抜けば、早い。大きい葉を全部取っても、今年は足りる。花を咲かせる場所まで刈れば、もっと売れる」


「でも、来年は減るのですね」


「来年だけじゃないよ。白嶺で熱を出した者に使う分もなくなる」


 アリアは、注文書を開いた。


 十二という数は変わらない。


 けれど、薬草地を見た後では、その周りに別の数が見えた。


 白嶺で薬にする分。


 根を残す株。


 花を咲かせる株。


 種を落とす場所。


「売れるだけ採るのではなく、また生えるだけ採ります」


「そういうことだね」


 マルタが頷いた。


 アリアは採取担当者たちと、四つだけ決めた。


 白嶺で薬として使う分を、先に残す。


 根ごと抜かない。


 同じ場所から続けて採りすぎない。


 花と種を残す区画へ入らない。


 立派な地図はない。


 薬草地を三つに分けた簡単な絵へ、採った場所の番号をつけることにした。


「売れるだけではなく、また生えるだけ」


 アリアは、忘れないように口にした。


「来年も商売するならね」


 マルタの声に、花芽が小さく揺れた。


* * *


 十二袋を作るのに、五日かかった。


 朝、採取担当が番号札を持って薬草地へ向かう。


 戻った葉を選り分け、乾燥棚へ並べる。


 型に沿って布へ線を引き、裁ち、直線を縫い、口元を補強する。


 紐を通し、若葉の印をつけ、番号を読み上げる。


 四日目に雨が降った。


 薬草の乾きが遅れ、予定していた箱詰めに間に合わなくなる。


「夜まで火を見れば、明日の朝には」


 乾燥担当が言った。


 アリアは首を振る。


「出す日を、一日遅らせます」


「注文の日に遅れます」


「濡れたものを入れるより、一日遅れる理由を書きます」


 オスカーへの紙には、雨で乾燥が遅れたことと、新しい出発日だけを書いた。


 誰かの夜を削ったことは、書かずに済んだ。


 六日目の朝。


 作業場の机へ、十二袋が並んだ。


 一列には収まらず、六つずつ二列。


「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう、じゅういち、じゅうに」


 ノアが数える。


「もう一回!」


「なぜだ」


「十二、好き」


「数え直すと同じ袋を二度数える。やめろ」


 レクスの忠告は遅かった。


「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん!」


「増えた」


 アリアが笑う。


「増えていない」


 帳面の番号と、一袋ずつ照らし合わせる。


 十二袋。


 前の倍。


 けれど、縫い手の指に新しい針傷は増えていない。


 乾燥棚の前で夜を明かした者もいない。


 薬草地には、花をつける株が残っている。


「これなら、次も作れますか?」


 アリアは縫い手へ尋ねた。


 女はすぐに答えなかった。


 布を測った者、裁った者、直線を縫った者、紐を揃えた者、薬草を採った者、乾かした者を見る。


 一人ずつが頷く。


「はい。この作り方なら」


 作業・支払帳へ、それぞれの仕事の印をつけた。


 袋を作った人は、一人ではない。


 薬草を包みにした人も、一人ではない。


 だから、戻る代金も、実際に働いた手へ分ける。


「私の取り分が減ったわけじゃないんですね」


 仕上げを担当した縫い手が、帳面を見て言った。


「はい。していない仕事の分が、した方へ戻るだけです」


「前は、全部していたから、全部受け取った」


「今回は、教えた分と、難しいところと、最後に確かめた分です」


 女は自分の欄を見つめ、ゆっくり頷いた。


「次は、もう一人、仕上げを覚えられるかもしれません」


 グレーテは何も言わず、嬉しそうに布の端を畳んだ。


* * *


 その夜、ハインツ夫妻の借り家には、豆と干し肉を煮た匂いが満ちていた。


 グレーテが鍋を洗う間、ハインツは便箋を一枚広げる。


 湯へ通ううち、杖なしで歩ける距離が少し伸びたこと。


 持ち込んだ食料と、白嶺で買った豆で、グレーテが久しぶりに昔の煮込みを作ったこと。


 町では今日、皆で作った十二の包みが机へ並び、ずいぶん賑やかだったこと。


 最後に、もうしばらく夫婦で滞在したいと書いた。


「湯は、まだ効きそうですか」


 グレーテが尋ねる。


「急いで治ったら、せっかくの煮込みを食べ損ねる」


「明日も同じですよ」


「なら、明日も治らないことにしよう」


 便箋は、湯治場から届く、ごく普通の近況の顔をして折り畳まれた。


* * *


 翌朝、十二袋を入れた箱が荷車へ積まれた。


 前回より大きな箱だった。


 作業場には、夜業明けで眠る者はいない。


 棚には三つの帳面。


 薬草地には花。


 レクス・ノアの首には、斜めの若葉印。


「十二袋できた!」


「我々の印は一つも採用されなかったがな」


「商品ではありませんから」


「ぼくのは?」


「ノアのです」


 ノアは満足そうに胸を張った。


 その時、坂の下からオスカーの馬車が上ってきた。


「間に合いましたか」


 荷車の箱を見て、オスカーが笑う。


「一日遅れました」


「理由は読みました。先方も了承しています」


 アリアは息をついた。


 オスカーは、もう一通の書面を差し出した。


「こちらは、今回の十二袋とは別の申し出です」


 これから白嶺商会で扱い、白嶺が外へ売ってよいと決めた薬草商品――春待ち包みを、今後まとめて買い取りたいと書かれている。


 提示された値は、これまでより明らかに高かった。


「高いほうが、いい注文?」


 ノアが尋ねた。


 近くにいたハインツが、差出人の商会名を見る。


 ほんの一瞬だけ、その目が止まった。


「値段だけなら、よい注文に見えますな」


「値段だけなら?」


 アリアが聞き返す。


 ハインツは答える前に、もう一度、商会名を確かめた。


 十二袋を作る方法は決まった。


 次に決めなければならないのは、誰へ売るのかだった。


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