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龍と廃嫡皇女のシェアハウス  作者: 三連九
第2章 目覚める町
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第10話 最初の宝

 机の上に広げられた紙には、いくつもの役目が並んでいた。


 元鉱山頭。


 保安頭。


 鍛冶師。


 石工。


 薬師。


 坑道の木組みを直せた人。


 温室を仕切っている人。


 アリアは、その文字をゆっくり目で追った。


 昨日の崩落の音は、まだ耳の奥に残っている。小さな石が落ちる音。大人たちが息をのむ音。レクス・ノアの短い声。


 まだ落ちる。


 あのとき、誰も怪我をしなかった。


 それはよかった。


 でも、よかっただけでは終われない気がする。


「最初は、元鉱山頭の方に会うのですか」


 アリアが尋ねると、ルークスは紙の上に置いていた指を止めた。


「それも大事です。昨日のことを考えるなら、坑道を知る方に会うべきです」


「はい」


「ただ、最初に会うなら、別の方がよいと思います」


 ルークスは、紙の端に小さく丸をつけた。


 温室管理。


「白嶺の胃袋を握っている人です」


「胃袋」


 ノアの声が、すぐに反応した。


「食べもの?」


「ええ。食べものです」


 ルークスは笑った。


「鉱山を動かすにも、人を集めるにも、まず食べるものが要ります。白嶺は寒い土地ですから、畑のことを知っている人は、鉱山頭と同じくらい大事です」


「畑も、宝なのですね」


「畑というより、畑を覚えている人ですね」


 アリアは、紙に書かれた文字をもう一度見た。


 温室管理。


 文字だけだと、少し硬い。


 でも、その人はきっと、白嶺の冬の中で、青い葉を育ててきた人なのだ。


 レクス・ノアは机の端で、温室管理という文字をじっと見ていた。小さな前足が、紙の角を押さえている。


「食料は基盤だ」


 レクスが言った。


「ごはんは大事」


 ノアが言った。


「それは同じ意味ではない」


「でも、同じくらい大事」


 アリアは少し笑った。


「では、その方に会いに行きます」


 ルークスは頷いた。


「マルタ・ホルン。町では、マルタばあさんと呼ばれています」


「マルタさん」


「はい。ただし、少々手強いです」


「手強い」


 アリアは、昨日の桶を思い出した。


「桶より、ですか」


 ルークスは少し考えた。


「桶よりは話します」


「それは、助かります」


「ただし、桶より容赦はないかもしれません」


 アリアは、背筋を伸ばした。


 レクス・ノアの尻尾が、床を一度だけ叩いた。


* * *


 共同温室は、白い湯気の中にあった。


 石造りの低い建物が、ゆるやかな斜面に沿って並んでいる。屋根は雪に押されないように低く、壁の下には細い水路が走っていた。水路からは、ほんのり温かい湯気が上がっている。


 扉を開けると、冷たい外の空気が、むわっとした湿り気に押し返された。


 土の匂い。


 湯気の匂い。


 青い葉の匂い。


 白嶺の外はまだ冬の色をしているのに、温室の中だけは、春を小さく閉じ込めたみたいに見えた。


 アリアは思わず息を吸った。


 その足が、すぐに止められた。


「そこ。入るなら靴を替えな」


 鋭い声。


 声の主は、畝の向こうにいた。


 小柄なおばあさんだった。腰は少し曲がっている。けれど、土の上に立つ姿はまっすぐで、灰色の髪を布でくくり、袖を肘までまくっている。


 目が、驚くほど鋭かった。


「姫様だか何だか知らんが、畑に外の泥を持ち込むんじゃないよ」


 ルークスが慌てて頭を下げた。


「マルタさん、こちらが」


「聞いてる。だから何だい。畑は畑だ」


 アリアは足もとを見た。


 自分の靴には、外の雪と泥が少しついている。


「すみません」


 アリアはすぐに頭を下げた。


「替えます」


 マルタは、棚の下を顎で示した。


「そこに木靴がある。大きいのは履くんじゃないよ。転ぶ」


「はい」


 アリアは棚の下から、小さめの木靴を選んだ。


 少し大きい。


 でも、歩けないほどではない。


 レクス・ノアも温室に入ろうとして、入口で止まった。


 マルタの目が、レクス・ノアへ向く。


「そっちの小さいのは、葉を食うのかい」


「食べない」


 レクスが短く答えた。


「匂いは嗅ぐ」


 ノアが続けた。


「嗅ぐだけならいい。踏むな。畝に入るな。鼻を突っ込みすぎるな」


「注文が多い」


 レクスが言った。


「畑だからね」


 マルタは、まったく怯えなかった。


 アリアは、少しだけ目を丸くした。


 白嶺の人たちは、まだレクス・ノアを見ると緊張することが多い。けれど、マルタは龍であることより、畑で何をするかを見ている。


 それが少し、おかしかった。


 そして、少し、かっこよかった。


* * *


 温室の床下には、温泉の湯が細く通されていた。


 マルタは畝の間を歩きながら、手に持った短い棒で、床の石をこつこつ叩いた。


「ここを湯が通る。熱すぎると根が弱る。冷たすぎると芽が止まる。だから朝と夕方に見る」


「温かさを、ですか」


「温かさと、湿り気と、葉の色だよ」


 マルタは立ち止まり、青い葉を一枚、指で持ち上げた。


「葉の先が黒くなったら、湯が強い。葉が黄色くなったら、土が痩せてる。茎が細いなら、水が悪い」


 アリアは一つずつ頷いた。


 頷きながら、覚えきれるか不安になった。


「あの、書いてもよいですか」


「今はだめだ」


「だめ」


「手を動かしてから書きな。先に紙を見ると、土を見なくなる」


 アリアは、持っていた小さな帳面を胸元に戻した。


「はい」


 マルタは、棚の上から小さな木箱を取った。


 中には、白っぽい粉が入っていた。


 粉というより、乾いた薄いかけらを砕いたものに見える。温泉の縁にこびりついた白いものを、削って乾かしたような色だった。


「これは、何ですか」


「湯の縁にたまる白いのを、乾かしたものだ」


「肥料なのですか」


「知らん」


 マルタは即答した。


 アリアは瞬きをした。


「知らないのですか」


「知らんよ。学者じゃないからね」


 マルタは、白い粉を指でほんの少しつまんだ。


「でも、撒かんと育ちが悪い」


 その指が、畝の端へ少しだけ粉を落とす。


「撒きすぎると、根が焼ける」


 今度は、別の畝を棒で指した。そこには、葉の小さい株があった。


「だから、少しだけだ」


「昔から、そうしているのですか」


「昔からこうしてきた」


 マルタは、当然のように言った。


 その言葉は、説明ではなかった。


 でも、温室の中では、説明より強かった。


 アリアは畝を見た。


 湿った土の上に、白い粉がほんの少しだけ乗っている。粉はすぐに見えなくなった。土と混ざって、どこに落ちたのか分からなくなる。


 けれど、マルタの手は迷わなかった。


 どこに、どのくらい。


 何も測っていないようで、全部、分かっている手。


* * *


 レクス・ノアは、白い粉のそばに鼻先を寄せた。


「近い」


 レクスが言った。


「はい?」


 アリアが振り返る。


 レクス・ノアは、白い粉を見ていた。次に土を見る。さらに、畝に並んだ青い葉を見る。


 小さな鼻先が、葉の間に入った。


「きらきらしてる」


 ノアの声が弾んだ。


「こら。鼻を突っ込みすぎるなと言ったろ」


 マルタの声が飛ぶ。


 レクス・ノアの小さな体が、すっと後ろへ下がった。


「命令が速い」


「畑では遅い方が悪い」


 ノアが小さく笑った。


 アリアはしゃがみ、レクス・ノアと同じ高さから畝を見てみた。


 けれど、アリアには何も見えなかった。


 土は土で、葉は葉に見えた。


「何が見えるのですか」


「魔素だ」


 レクスは短く答えた。


 アリアの胸が、少しだけ緊張した。


 魔素。


 閉鎖坑道の近くで、レクスが口にした言葉。


「岩とは違う」


 レクス・ノアは、白い粉の落ちたあたりに前足を置きかけて、マルタを見る。


「踏まなければいい」


 マルタが言った。


 小さな前足は、畝の外に戻った。


「これは、土に薄く残っている」


 レクスが言う。


「湯から来ている」


「何の話だい」


 マルタが眉をひそめた。


「魔素」


「それはさっき聞いた」


「これが、土の魔素を留めている」


 レクス・ノアは、白い粉を見た。


 少し間があった。


「たぶん」


 マルタは腕を組んだ。


「たぶん、で畑は作れんよ」


「だから、あなたが作っている」


 レクスの返事は、いつもどおり短かった。


 マルタは、少しだけ目を細めた。


 怒ったのかと思って、アリアは肩に力を入れた。


 けれど、マルタは怒らなかった。


「続けな」


「多すぎると、強すぎる」


 レクス・ノアの尻尾が、ゆっくり動く。


「根が負ける」


 マルタは、先ほど指した小さな株を見た。


「……根が焼ける、ってのは、そういうことかい」


「たぶん」


「また、たぶんか」


「見える。だが、理由は知らない」


 マルタはしばらく黙っていた。


 温室の中で、湯気が上がる。


 葉の先から水滴が落ち、土に小さな丸を作った。


「見えるだけ、ましだね」


 マルタはそう言って、白い粉の箱を閉じた。


「あたしらは、見えないままやってきた」


 その言葉は、温室の土の匂いに混ざった。


 アリアは、ゆっくり息を吸った。


 マルタは魔素を知らない。


 でも、知っていた。


 少しだけ撒くこと。


 撒きすぎてはいけないこと。


 湯が強すぎると、葉の先が黒くなること。


 水が悪いと、茎が細くなること。


 名前は知らない。


 けれど、白嶺で生きるためのやり方を、ずっと守ってきた。


* * *


 アリアは、土の上で膝をついた。


 木靴の先が、畝に触れないように気をつける。


「マルタさん」


「何だい」


「教えてください」


 マルタの手が止まった。


「白嶺で、どうやって食べ物を育ててきたのか」


 温室の奥で、働いていた住民たちがちらりとこちらを見る。


 ルークスは何も言わなかった。


 レクス・ノアも黙っている。


 アリアは、もう一度頭を下げた。


「わたしが、ここで生きるために必要です」


「姫様が、土をいじるのかい」


「はい」


「手が荒れるよ」


 アリアは、自分の手を見た。


 水を運んで赤くなった指。


 薪で小さく傷ついた手のひら。


 まだ、白嶺の人たちの手とは全然違う。


「もう、少し荒れました」


 マルタは、アリアの手をじっと見た。


「その程度で荒れたと言うのかい」


「はい。言いました」


 マルタの口元が、ほんの少しだけ動いた。


 笑ったのかどうかは、分からない。


「それに」


 アリアは言葉を探した。


 大きな言葉にしたくなかった。


 でも、伝えたかった。


「いつか、誰かがお腹をすかせたときに、役に立つかもしれません」


 マルタは何も言わなかった。


 アリアは続けた。


「だから、知りたいです」


 温室の中に、湯気の音だけが残った。


 マルタは、白い粉の箱を棚へ戻した。


「明日の朝」


「はい」


「夜明け前に来な」


 アリアは顔を上げた。


「夜明け前」


「畑は、朝が早い。寝坊したら教えん」


「はい。来ます」


「返事だけはいいね」


 マルタはそっぽを向いた。


「木靴はそこに戻すんだよ。泥を落としてからだ」


「はい」


 アリアは立ち上がりかけて、少しよろけた。


 長くしゃがんでいた足が、しびれていた。


 レクス・ノアの尻尾が、そっとアリアの足首に触れる。


「転倒注意」


 レクスが言った。


「アリア、足がふわふわ」


 ノアの声は、少し楽しそうだった。


「ふわふわではありません」


 アリアは小さく抗議した。


 マルタが、背中を向けたまま言う。


「明日はもっとしびれるよ」


 アリアは、少しだけ不安になった。


 でも、その不安は嫌ではなかった。


* * *


 温室を出ると、外の空気が顔に冷たかった。


 さっきまで湿った土の匂いに包まれていたせいか、白嶺の風がいつもより澄んで感じられる。


 ルークスは温室を振り返った。


「驚きました」


「何がですか」


「マルタさんが、人にものを教えると約束したことです」


「教えるのは、嫌いなのですか」


「嫌いというより、できない人に時間を使うのが嫌いなんです」


 アリアは少し考えた。


「わたしは、できますか」


 ルークスは笑った。


「今のところ、分かりません」


「正直です」


「商人向きの家で育ちましたので」


 レクス・ノアは、温泉の湯気が上がる水路を見ていた。


 小さな体が、石の上でぴたりと止まっている。


「湯は、山から来ている」


 レクスが言った。


 アリアも、湯気の向こうにある山を見た。


 白い稜線。


 黒い岩肌。


 その下に、閉ざされた坑道がある。


「土も、石も、湯も、同じところを通っている」


「閉鎖坑道と、関係があるのですか」


 レクス・ノアは、山から視線を外さなかった。


「ある」


 少し間。


「たぶん」


 アリアは、たぶん、という言葉を嫌だとは思わなかった。


 分からないことを、分かるふりにしない言葉。


 ルークスが腕を組む。


「温室から坑道につながるとは、思っていませんでした」


「白嶺は、ひとつ」


 ノアが言った。


「山も、湯も、土も、ごはんも」


「ごはんが入りましたね」


「大事」


 レクスが、ほんの少しだけ尾を動かした。


「否定はしない」


 アリアは笑った。


 そのとき、レクス・ノアが不意にアリアの腕の中で身じろぎした。


「下ろせ」


「はい?」


「自分で行く」


 アリアは慌てて、道脇の低い丘の上に小さな体を下ろした。温室のまわりは石とぬかるみが多く、さっきからレクス・ノアを抱えて歩いていたのだ。


 ノアは、少し名残惜しそうに声を弾ませた。


「肩の上、景色が高くて好き」


「移動を他者に依存するのは不便だ」


 レクス・ノアはそう言って、小さな翼を広げた。


 アリアが止めるより早く、小さな体が丘の縁から跳んだ。


 一瞬。


 本当に、一瞬だけ。


 レクス・ノアの体は、落ちずに空気の上へ乗った。


 翼が風を受け、白い湯気の上をすべる。


「飛んでいます!」


 アリアの声が裏返った。


「わあ!」


 ノアが笑った。


 次の瞬間、レクス・ノアの体はまっすぐ進みすぎた。


 曲がらない。


 止まらない。


 道端の若い木に、ぽすん、と突っ込んだ。


 枝に積もっていた雪が、ばさりと落ちる。


「レクス・ノア!」


 アリアは駆け寄った。


 雪の中から、小さな角と鼻先が出た。レクス・ノアは怪我をした様子はなかったが、全身に白い粉雪をかぶっている。


「……飛べぬ」


 レクスが低く言った。


「飛んでたよ。木まで」


 ノアの声は、少し笑っていた。


「あれは移動ではない。衝突だ」


「衝突も、ちょっと飛んでた」


「分類が雑だ」


 アリアは雪を払ってやりながら、胸を押さえた。


「もう、急に飛ばないでください。びっくりします」


「次は止まる」


「次も急にしないでください」


 レクス・ノアは答えなかった。


 けれど、その目はもう一度、空と湯気と山のあいだを見ていた。


 白嶺は、ひとつ。


 その言葉は、まだきちんとは分からない。


 けれど、温室の青い葉と、温泉の湯気と、昨日崩れた坑道の石が、別々ではないのだとしたら。


 白嶺を知るには、ひとりの話だけでは足りない。


 マルタの畑。


 元鉱山頭の坑道。


 山を知る人。


 水を知る人。


 みんな、少しずつ白嶺を持っている。


 アリアは、胸の中でそのことを大事にしまった。


* * *


 夜、仮住まいの机には、また紙が広がった。


 今度は、役目の名ではない。


 アリアが今日見たもの、聞いたもの、言われたこと。


 温泉の熱。


 床下を通す。


 湯気で冷気を避ける。


 湧水は薄めて使う。


 山土。


 腐葉土。


 白い沈殿物。


 少しだけ撒く。


 撒きすぎると、根が傷む。


 レクスの言葉。


 魔素。


 岩とは違う。


 土に薄く残る。


 湯から来る。


 アリアは、書いた文字をじっと見た。


 自分には、魔素は見えない。


 白い粉を見ても、ただの粉に見える。


 青い葉を見ても、青い葉にしか見えない。


 けれど、マルタはそれを何十年も扱ってきた。


 見えないものを、見えないまま。


 名前を知らないまま。


 間違えたら根が傷むことを知って、少しだけ撒いてきた。


「白嶺の人たちは、知らないまま知っていたのですね」


 アリアが呟くと、ルークスが頷いた。


「昔からそうしてきた、というやつです」


「それは、すごいことです」


「帝都では、たぶん記録にも残らない知識です」


 アリアは、紙にもう一行を書き足した。


 昔からこうしてきた。


 その横に、小さく丸をつける。


 レクス・ノアは暖炉の近くで丸くなっていた。小さな体は眠そうなのに、目だけはまだ開いている。


「おばあちゃん、こわいけど好き」


 ノアが言った。


「怖いのですか」


「ちょっと」


「好きなのですか」


「うん」


 レクスが静かに言った。


「宝だ」


 アリアは紙から顔を上げた。


「マルタさんが、ですか」


「人も、手順も、記憶も」


 それ以上、レクスは言わなかった。


 でも、アリアには少し分かった気がした。


 宝は、金や石だけではない。


 人の中にあるもの。


 手が覚えていること。


 昔から続いてきたこと。


 それを受け取らなければ、白嶺は本当には動き出さない。


 アリアは、紙の端をそっと押さえた。


「明日、寝坊しないようにします」


「起こす」


 レクスが言った。


「ぼくも起こす」


 ノアが言った。


「優しくお願いします」


「努力する」


「ぼくは、たぶん優しい」


 アリアは少し不安になった。


 けれど、その不安も、温かかった。


* * *


 翌朝、空はまだ薄暗かった。


 白嶺の町は、眠っているようで、完全には眠っていない。どこかで温泉の湯が流れ、遠くで山羊が小さく鳴いた。空の端だけが、ほんの少し白くなっている。


 アリアは目をこすりながら、共同温室の前に立った。


 起こし方は、優しくなかった。


 レクスは短く「時間だ」と言い、ノアは耳元で「朝だよ」と三回言った。三回目は、少し歌のようだった。


 温室の扉を開けると、マルタはもう中にいた。


 鍬を持っている。


 眠そうな顔など、少しもしていない。


「遅い」


 アリアは慌てて頭を下げた。


「すみません」


「謝る前に手を出しな」


「手」


 マルタは棚から、少し古い手袋を投げてよこした。


 アリアは両手で受け止めた。


 手袋は大きくて、指先が余った。


「今日は見るだけではない。まず土を触りな」


 アリアは手袋をはめた。


 マルタが畝の端を示す。


「畑は、見るもんじゃない」


 湯気が、二人の間を白く通った。


「触るもんだ」


 アリアは、畝のそばにしゃがんだ。


 手袋越しに、土へ指を入れる。


 思っていたより、温かかった。


 白嶺の宝探しは、最初の師匠を得て始まった。


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