狐の嫁入り2
狐を助けようとしたら、狐が女の子になってキスされた。
「……自分のことだけど、何を言っているのか分からないな」
「なんじゃ、急に冷静になりおって。つまらんのう、もっと慌てふためけ」
「こんな状況だと、かえって冷静になるんだよ」
狐(多分?)は僕の上に跨ったまま、僕の態度が気に入らないのか、不満そうに頬を膨らませている。不満だと言うなら、子供にマウントポジションを取られている僕の方が不満である。油断していたとはいえ、一生の不覚だ。
果たしてコイツは何者なのだろうか。改めて彼女を見る。狐の耳と尻尾が生えている以外は、驚くほど人間に近い。つい先ほどまでは裸だったはずだが、白地に深紅の椿が散らされた着物を着こなしている。
「お前はやっぱりその……妖怪、なのか」
悩んだ末に、僕は恐る恐る狐に尋ねた。
狐から人間に変身。作り物とは思えないケモ耳と尻尾。ただのマジックやドッキリでは説明がつかない域だ。
「妖怪、そう呼ばれていた頃もあったのう。近頃の専門家どもは『怪異』と呼んでおるらしいが」
どこか他人事のような口ぶりだった。人間の都合で付けられた呼び名など、本人にとっては取るに足らないことなのかもしれない。
『怪異』。自分で見なかったらまず信じなかっただろうが、こうもまざまざと見せつけられてしまっては信じるしかない。不思議で、不自然な世界に足を突っ込んだ気分だった。
「まさか生きているうちに出会うとは思わなかったよ」
「死んだからといって会えるものでもないぞ。ラッキーじゃのう」
狐が誇らしげな顔でそう言ってくる。生きたケモ耳と尻尾を生やした幼女に会えたのはラッキーだったが、その正体が妖怪、もとい怪異だと聞かされると素直には喜べない。とにかく、今は狐の情報を集める必要がありそうだ。
「それで、お前はなんでこんな所で倒れてたんだ? 今は随分元気そうだけど」
「最近、専門家に追われておっての。なんとか撒くことには成功したんじゃが……力尽きてここで倒れてしまったのじゃ」
専門家に追われて、か。……ん?もしかして狐と戯れている僕も、傍から見たら危険人物だったりするのか?狐に襲われている一般人だと解釈されると良いけど……。跨られているし。
どちらにせよ、今の状況が心配になってきた。
「こうして婚姻の儀を結ぶ相手が見つかったから良かったものの、下手をすれば妾は死んでいたかもしれんな」
「ちょっと待った。僕はそんなの結んだ覚えはないぞ?」
婚姻の儀って、結婚ってことだよな……。怪異と結婚したなんて知られた日にはどうなってしまうのだろうか。怪異諸共皆殺し、とかだったらたまったものじゃない。
「しかし旦那様。先ほどの接吻で、すでに婚姻の契りを結んでおるぞ」
「旦那様って呼ぶな!……婚姻の契りって、そんな同意なしで結べるものなのか?いくらなんでも無法すぎると思うんだけど」
どうにかして婚姻関係を解消しなければならない。必死にその糸口を探ろうとするが、少女はそんな僕の様子を見て愉快そうに笑う。
「旦那様は確かに言ったはずじゃぞ。妾を助けようとした時に『なんとしてでも助ける』と」
「あの時はパニック状態だったし、まさか結婚させられるとは思わないだろ」
「まあ良いではないか。こんな可愛い美少女と結婚できる機会なんて滅多にない幸運じゃぞ」
「幸運って……」
……ふむ。幼いけれど整った顔立ちに艶やかな黒髪。可愛らしい見た目とは似つかない色っぽい雰囲気。狐と同じ形の耳と尻尾も素晴らしい。
思わず生唾を飲み込む。いけない。結構な幸運な気がしてきてしまった。我ながら単純な男である。
しかし幼女相手に欲情するのは冗談にしても、幼女相手に駄々をこねるのも馬鹿らしくなってしまった。
「分かったよ。結婚のことは、とりあえずいい。だから一旦、僕の体の上から降りてくれ。そろそろ体が痺れてきた」
「弱っちい旦那様じゃのう〜。ほれ、これで大丈夫か?」
体にかかっていた重さがなくなり、地面から立ち上がって体をゆっくりと伸ばす。
初めて並んだことで、少女との身長差が分かる。僕の身長から計算して、大体140センチくらいか。並ぶとさらに犯罪的だな……。
「そうじゃ、もうこれは必要ないの」
そう言って狐が手を払うと、先ほどまでの大雨が嘘だったかのように空が晴れ渡った。いや、さっきも晴れてはいたんだけど。雨が降らなくなった、と言うべきか。景色は同じでも、開放感が段違いだ。
「雨もお前の仕業だったのか……」
なんだか誘い込み漁に引っかかった魚みたいな気持ちだった。
「別に妾もやりたかった訳ではないんじゃがの。旦那様、天気雨を知っておるか?」
「流石に知ってるよ。雨だけど晴れ、みたいな天気だろ」
「では、その別名を知っておるか?」
知らなかった。答えが分からず口を噤んでいると、狐は答えを教えてくれた。
「狐の嫁入りじゃ」
「狐の嫁入り?」
「狐が人間に嫁入り行列を見せないために、偽物の雨を降らせていると考えられたんじゃ」
天気雨を見たくらいで狐の嫁入りとは大袈裟だが、科学が発展していない当時は、そういう考え方が主流だったのだろう。
「いかにも昔の人たちが考えそうなことだな」
「しかし旦那様、今となってはそれも嘘ではないのじゃ」
「マジで……?」
昔の説話が、現代の科学より真相に近かったとは……。えも言われぬ敗北感がある。
「正確に言うと順序が逆じゃがな。狐が雨を降らせたのを目撃したのではなく、そういう噂ができたから狐は雨を降らせるようになったのじゃ」
「卵が先か鶏が先か、みたいなことか」
「この場合は鶏が先じゃがの」
根も葉も卵もなかったはずの場所に、噂話という鶏が怪異という卵を産んだのか。あるいは、人間という鶏が。
「つまり、じゃ」と少女は続ける。
「噂や逸話、そういう作り話と人の想いが混じった存在。それが『怪異』じゃ」
人間が思い描いた夢物語。それが人の想いで現実になるなんて、怪異というのはロマンチックだな、とその時の僕はそんなことを考えていた。
「——旦那様ッ!!」
油断していたのだろう。狐との話に夢中になり、辺りへの警戒を疎かにしてしまった。だが、警戒していたとしても、この事態は僕には防ぎようがなかった。
——思いもしなかったのだ。まさか現代社会で銃を撃たれることになるなんて。




