近代日本文学の文豪(=高等遊民)はぶっちゃけニートか
初出:令和8年1月6日
さて、遅ればせながら川端康成「雪国」を本日、読了した。
昔、途中まで読んで挫折した小説だったが、ふとした気まぐれからもう一度読んでみようと思い立った。
川端康成は「伊豆の踊子」、「古都」、「掌の小説」を新潮文庫で読んだ記憶がある。一番面白かった小説は「掌の小説」に収録された「月」という童貞美青年が主人公の異色ショートショートで、「雪国」読了後もこの意見は変わらない。
1.不倫ロマンスの原形
ストーリーの概略はご存じの方も多いと思うので省略するが、要するに妻子ある高等遊民の島村が、冬になると温泉宿に長期滞在して、愛人である芸者の駒子と不倫を楽しむという話だ。
島村の仕事はダンス関係の洋書を翻訳する翻訳家ということだが、どうやら働かなくて生きていける身分のようだ。
小生は渡辺淳一の不倫小説にはまった時期があるが、もしかしたら渡辺は「雪国」をパクって、または”お勉強”して、あるいは影響を受けて「失楽園」や「うたかた」などの作品を書いたのかもしれない。
それほどまでに「雪国」には渡辺淳一の不倫ロマンスの原形を垣間見ることができる。
不倫する男女に極力フォーカスした描写が両者の共通項だ。
「雪国」の場合、不倫する男女の会話、特に女性の台詞のリアリティーがすごい。一方、渡辺の場合は不倫する男性の心理描写がすごい。
2. 高等ニート vs 抵当遊民
さて、本編の主人公、島村は高等遊民である。
高等遊民は親が金持ちで働かなくて生きていける身分だが、近代日本文学にはよく登場する主人公キャラであり、私小説をメインストリームとする日本の純文学界にあっては、それはとりもなおさず作者自身がモデルとなっていることを意味する。
近代日本文学の多くの文豪たちは高等遊民だった。
小生が昔、高等遊民はニートと同じだとSNSに書き込んだところ、文学オタクたちの反論で炎上した。
曰く、高等遊民は高度な学歴と教養があるので学歴も教養もないニートとはちがうとのこと。
ちなみにこの文章を執筆直前、エピソードタイトルをそのままグーグルの検索エンジンにコピペしたら、AIが全く同じ回答を出した。
ただし高等遊民もニートも働かないで生きている点で共通しているが。
そこで提案だがニートを低等遊民と呼ぶか、高等遊民を高等ニートと呼んで両者を一元管理してしまうのはどうか。
学歴や教養のあるなしだけが唯一のちがいなら、二つの概念は一つにまとめられるはずだ。
3.男の方が強い時代 vs 女の方が強い時代
「雪国」に出てくる芸者は今日で言えば、キャバ嬢や風俗嬢だろうか。
「雪国」では男の方が女よりも圧倒的に強い立場にいる。
高等遊民の島村の方が芸者の駒子より財産も社会的地位も高く、島村はいつでも駒子を捨てられる。男が女をだますことはあれ、その逆はない世界だ。
一方、現代ではむしろ女の方が男より強い立場にいることの方が多くないか。
人気キャバ嬢の方が常連の客より収入が高かったり、風俗嬢が世間知らずの客をだまして貢がせたりすることの方が多いだろう。
そもそも高等遊民は全人口の1パーセント未満のエリート階層ではないか。
今日で言う富裕層が高等遊民もしくは文豪の世界だ。
文春砲のユーチューブ番組で、某大企業の若手オーナー社長の不倫写真がネットで出回っていると話題になったことがある。
ハワイの別荘で、裸の金髪の外国人女性を抱いてVサインしているオーナー社長。この女性はもちろん社長の妻ではない。
こうした富裕層限定の不倫ロマンスが、現代の「雪国」に相当するのかもしれない。
(つづく)




