日本の”祭り”に物申す
初出:令和8年10月14日
大阪の「だんじり祭り」で死者が出た。
大阪府佐野市と泉大津市で秋祭りのだんじりが相次いで横転。あわせて男性2人が死亡、16人が重軽傷を負った。
ヤフー知恵袋では「だんじり祭り」は危険だからやめるべきだとの意見も見つけた。
これに対し、交通事故で毎年死者が出ているのに車で公道を走ることを全面禁止にしないように、伝統ある祭事なので死者が出ても中止してはいけないとの意見も見つけた。
自動車の交通は娯楽の目的で利用することもあるだろうが、これを禁止すると産業全般が滞るだけでなく、生活必需物資やサービスの運搬にも障害がでる。
これに対し、祭りはエンタメだ。伝統的な祭りは神事だと主張する人もいるかもしれないが、憲法上信仰の自由を謳っている以上、特定の宗教を人民に強要すべきではないため、今日の祭りはエンタメと解釈すべきだろう。少なくとも祭りは生活必需サービスではない。
エンタメのために人命が失られるとしたら、こんな馬鹿げた話はない。
1.地元に同調圧力はあるか
小生はこのニュースを知ったとき長野県の御柱祭を思い出した。
御柱祭でもときどき死者が出る。巨木を山の斜面から転がす祭りで人が下敷きになることがあるそうだ。
たまたま知人から聞いたのだが、地元民はどんなに死者が出ても意に介さず、伝統行事なので御柱祭を中止しようとは考えてないとのこと。
小生はこの話を知ったとき、地方の田舎ではまだ日本人が基本的人権の概念を知らなかった江戸時代以前の精神構造が残っているのかと思った。
調べてみると統計的には御柱祭よりだんじり祭りの方が死傷者数は多いとのこと。
だからと言ってだんじり祭りだけ中止にして御柱祭は続行すべきだとは思わない。両方とも中止もしくは対策を検討すべきだ。
おそらく大工方に選ばれた人など、だんじり祭りの参加者には祭りを楽しみにしている人もいるだろう。
だがだんじりを引いている人、だんじりに乗っている人の中には地元の同調圧力で嫌々参加させれらている人もいるのではないか。
今年のだんじり祭りで自分は死なないか、あるいは大怪我をしないか、恐怖におびえながら祭りに参加している人も必ずいると思う。
ネットで調べると、だんじり祭りに強制参加させられるのが嫌で地元から逃げる若者が後を絶たないという。
まただんじり祭りの練習が騒がしいので、ある学校が講義したところ、地元のヤクザが学校に脅迫しに来たとの話もネットで見つけた。
だんじり祭りが組織的な犯行に思えてしまうのは小生だけか。
2.ラスボスの顔を晒せ
ここで提案したいのが、祭りを中止せず続行させようとする勢力のラスボスの正体をつきとめることだ。
だんじり祭りの中止をいくら訴えても、おそらく来年も続行されるだけだろう。ただし死傷者を少なくするための安全対策にこれまでより少しだけ注力するぐらいだろうか。
だんじり祭りを中止させない勢力のボスはおそらく、だんじりを曳いたり、だんじりの上に乗ったりしている直接的な祭りの参加者でなく、祭りを後援する組織のリーダーたちではないだろうか。
祭りの主催者はもとより、地元企業の経営者、市長または市の職員の管理職、地元のヤクザの親分、地元の農家の地主など。
彼らの中に祭りの真のラスボスがいるはずだ。
ラスボスは必ずしも一人でなく、一人から四人ぐらいいるのかもしれない。要するにこの人物たちを排除すれば祭りは中止になる人物が祭りのラスボスの定義だ。
誰がだんじり祭りの真のラスボスか。彼らの顔を晒し、彼らの言い分を発表させるべきだ。
伝統行事だから祭りは続けるべきだというのは表向きの理由で、実際は祭りの経済効果による企業の収益など、彼らの私利私欲が本当に理由だったりするのではないか。
3.まとめとして
ここからは少し飛躍するが、小生は日本は日本人のものだと思っている。
日本は日本人のものであり、移民のものではない。移民はできるだけ排除すべきであり、移民は日本で暮らす以上、自分たちのルールを日本人に押し付けるのでなく、日本人のルールに従うべきだ。
その一方で日本のローカル地域も日本人もので地元民の独占物ではない。
地元でしか通用しないルールを固辞せず、日本全国で通用するルールや価値観を受け入れるべきだ。
青年団の慣習などは地元のローカルルールであって、全国ルールではない。
話は本題からそれるが、伝統的ではない江戸時代以降の祭り、つまり隅田川以外の花火大会、四国以外の地域における阿波踊りには反対であり、同じ祭りでは伝統的な祭りの方が価値があると思う。
ただし伝統的な祭りでも死傷者が出るなら中止すべきだ。あるいは死傷者が出ないように小規模化するなど、祭りをつまらなくしても人命優先の措置を取るべきだと考える。
(つづく)




