第六十五話 もう一人の九人目
前書き
この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。
森の声。
魂の記憶。
ご先祖様から受け継がれる想い。
そして、まだ誰にも決められていない未来。
私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。
もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。
楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。
けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。
大切な人を想う気持ち。
失った人への愛。
自分では変えられない過去。
そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。
どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。
それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。
誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。
その先に、どんな未来が待っているのか――。
楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。
あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。
そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。
第六十五話 もう一人の九人目
「本当の九人目は、私だ」
美雪の口から出た声は、美雪自身のものではありませんでした。
低く、冷たい声。
楓夏たちは一斉に身構えます。
「美雪ちゃん……?」
楓夏が近づくと、美雪は苦しそうに胸を押さえました。
「来ないで!」
突然、美雪の身体から黒い光が噴き出します。
「きゃっ!」
楓夏は後ろへ倒れました。
凪がすぐに手を差し出します。
「大丈夫?」
「うん……」
楓夏が立ち上がると、美雪の背後に巨大な影が浮かび上がっていました。
それは――。
人の形をした、黒い少女。
長い髪。
赤い目。
そして胸には、九つの紋章。
『私は、ずっと待っていた』
黒い少女が言いました。
『九人目の席が空くのを』
雪乃が震えます。
「あなたは……誰?」
『名前はない』
「名前がない?」
『私には、名前をつけてもらえなかった』
黒い少女は楓夏を見ました。
『だから、あなたが名前をつけて』
楓夏は首を振ります。
「あなたは美雪ちゃんじゃない」
『違う』
「じゃあ、誰?」
黒い少女は笑いました。
『私は――』
九つの紋章が赤く光ります。
『忘れられた九人目』
***
楓夏の頭に、突然知らない記憶が流れ込みました。
大昔。
まだ守り手が生まれる前。
北海道の大地には、たった一人の少女がいました。
少女は森で暮らし、動物たちと話していました。
海とも。
風とも。
木々とも。
その力は、楓夏とよく似ています。
「この子……」
楓夏が呟きます。
「私と同じ力を持ってる」
雪乃が答えました。
「そう」
「誰なの?」
「昔の守り手候補」
映像の中で、少女は七人の子どもたちに出会いました。
八人目の澪が加わる前のことです。
少女は仲間になりたかった。
けれど――。
少女の力は強すぎました。
木々の声を聞くだけでなく、命そのものの声を聞くことができたのです。
その力を恐れた人々は――。
「この子を、仲間から外したの?」
楓夏が尋ねます。
雪乃は頷きました。
「そして……」
少女の記憶が黒く染まります。
「存在そのものを忘れられた」
黒い少女が言いました。
『私は、誰にも覚えてもらえなかった』
『だから、私は一人で待った』
『いつか、私を思い出してくれる日を』
楓夏は悲しくなりました。
「……寂しかったんだね」
『そう』
「だから黒い影になったの?」
『違う』
少女の目から、黒い涙が落ちます。
『黒い影が私を利用した』
『私は、ただ覚えてほしかっただけ』
楓夏は黙って少女を見つめました。
「じゃあ……」
楓夏は一歩前へ進みます。
「あなたの名前をつける」
黒い少女が驚きます。
『……私に?』
「うん」
『どんな名前?』
楓夏は少し考えました。
「結」
『結……?』
「命と命を結ぶから」
結の表情が変わりました。
初めて、笑顔が浮かびます。
『私にも……名前があるの?』
「うん」
『忘れない?』
「忘れない」
『本当に?』
「絶対に」
すると――。
結の身体から黒い霧が少しずつ消えていきます。
けれど。
美雪の身体から、さらに大きな黒い光が噴き出しました。
「きゃあっ!」
美雪が倒れます。
「美雪ちゃん!」
楓夏が駆け寄ります。
結が叫びました。
『逃げて!』
「え?」
『私だけじゃない!』
大地が震えました。
山が唸ります。
空が暗くなります。
そして――。
遠くの美瑛の方向から、巨大な黒い柱が立ち上がりました。
『あそこにいる』
結が言いました。
『本当の黒い影が』
***
楓夏たちは美雪を連れて、美瑛へ向かいました。
道中、森の木々が次々と倒れていました。
動物たちは逃げています。
空には鳥の姿もありません。
「森が苦しんでる」
楓夏が木に触れます。
『急いで』
『もうすぐ、森が眠ってしまう』
楓夏は胸が痛くなりました。
「絶対に助ける」
やがて、美瑛の丘が見えてきました。
いつもなら美しいはずの大地が、黒い霧に覆われています。
その中央に――。
一人の男が立っていました。
黒い服。
白い髪。
そして、楓夏たちを見て笑っています。
「やっと来たか」
凪が息をのみました。
「あなたは……」
男は答えません。
代わりに、楓夏の母の声がしました。
『楓夏……逃げて』
「お母さん?」
男の身体から、母の姿が浮かび上がります。
「お母さん!」
楓夏が駆け出そうとします。
しかし凪が止めました。
「待って!」
男が笑います。
「その女は、もう私の中にいる」
「……!」
「だが、まだ完全には同化していない」
楓夏が睨みます。
「お母さんを返して!」
「ならば――」
男が手を広げました。
黒い霧が大地を覆います。
「九人全員の力をよこせ」
結が震えました。
『あいつは……』
美雪も苦しそうに起き上がります。
「……黒い影の本体」
男が笑います。
「そうだ」
そして男は楓夏を見つめました。
「だが、一つだけ教えてやろう」
「何?」
「お前の母親が、この世界に戻ってきた理由」
楓夏の胸が高鳴ります。
「それは――」
男が指を楓夏へ向けます。
「お前を産むためではない」
「……え?」
「お前を――」
黒い霧が母の姿を包みます。
「私の器にするためだ」
楓夏の身体から、突然、黒い紋章が浮かび上がりました。
「いや……!」
凪が叫びます。
「楓夏!」
楓夏の胸の九つの紋章が、次々と黒く染まっていきます。
結が叫びました。
『楓夏! その紋章を消して!』
「どうやって!」
『無理!』
結の顔が青ざめます。
『それは――』
そして、結は震える声で言いました。
『楓夏が生まれたときから、ずっと仕込まれていた紋章だから』
楓夏は凍りつきました。
「……生まれたときから?」
男が笑います。
「そう」
「お前が五歳になる今日まで――」
黒い霧が空を覆います。
「私はずっと、お前の中で眠っていた」
楓夏の瞳が、一瞬だけ黒く光りました。
「……私の中に……?」
男は静かに笑いました。
「ようやく目覚めたな」
――第六十六話へ続く。
後書き
『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話。
長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。
最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。
物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。
けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。
私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。
過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。
楓夏が最後にたどり着いた、
「未来は誰かに決めてもらうものではない」
という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。
そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。
大切な人との思い出。
亡くなった人から受け取った愛。
家族の絆。
言葉にできなかった想い。
それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。
もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。
楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。
そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。
物語は終わりました。
けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。
悠真がどんな人生を歩むのか。
結花がどんな大人になるのか。
凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。
それは、誰にも決められていません。
だからこそ、未来には無限の可能性があります。
この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。
もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。
立ち止まってもいい。
遠回りしてもいい。
時には、最初から選び直してもいい。
あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。
最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。
心からの感謝を込めて。
そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。
ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。
もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。
「大丈夫。
未来は、これから自分で選んでいけるよ」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話――完結。




