第二話 森の奥の足跡
『世界樹の少女と、終わりの魂』
前書き
この物語は、目には見えないものに耳を澄ませながら、自分自身の運命と向き合っていく少女・楓夏の物語です。
森の声。
魂の記憶。
ご先祖様から受け継がれる想い。
そして、まだ誰にも決められていない未来。
私たちは、日々の中で「どうしてこんなことが起きるのだろう」「なぜこの人と出会ったのだろう」と、不思議に思うことがあります。
もしかすると、その出来事には、目には見えない意味があるのかもしれません。
楓夏もまた、森から聞こえる不思議な声をきっかけに、さまざまな魂や未来と出会い、自分が何者なのかを知っていきます。
けれど、この物語で描きたいのは、特別な力を持つ少女の冒険だけではありません。
大切な人を想う気持ち。
失った人への愛。
自分では変えられない過去。
そして、これから先をどう生きるのかという「選択」。
どんなに過去を変えたいと思っても、起きてしまった出来事を消すことはできません。
それでも、その経験を抱えたまま、未来へ進むことはできます。
誰かに決められた運命ではなく、自分自身で選んだ道を歩いていく。
その先に、どんな未来が待っているのか――。
楓夏と一緒に、森の声に耳を澄ませながら、この物語の世界を旅していただけたら嬉しく思います。
あなたの心にも、いつか小さな「声」が届きますように。
そして、その声があなた自身の未来を選ぶための、優しい道しるべになりますように。
第二話 森の奥の足跡
森の中は、牧場よりもずっと静かでした。
風が木々の間を通り抜けるたび、
サワ……サワ……
と、葉っぱが小さな声を立てます。
楓夏は、長靴で雪の残る道をゆっくり歩いていました。
「モモ……」
白い子牛の名前を呼びます。
返事はありません。
けれど、足跡は続いています。
小さな蹄の跡。
その横に、大人の靴跡。
楓夏は立ち止まりました。
「誰かがモモを連れていったのかな……」
すると、すぐそばの低い松の木が、枝を揺らしました。
『ふうか』
「松さん?」
『さっき、キツネがここを通ったよ』
「コンちゃん?」
『そう。でも、急いでいた』
「どこへ行ったの?」
松の木は、森の奥へ枝を向けました。
『あっち』
楓夏は、そちらを見ました。
森の奥には、小さな沢があります。
雪解け水が流れ込むため、春先は水の音が大きくなります。
楓夏は、沢へ向かって歩きました。
しばらくすると、
ピチャ……。
水の音が聞こえてきました。
そして、沢のほとりにキタキツネがいました。
「コンちゃん!」
キツネは振り返りました。
『ふうか、来たの』
「モモは?」
キツネは沢の向こうを見ました。
『あっち』
「いるの?」
『いる。でも……』
「でも?」
キツネは鼻を動かしました。
『怖がってる』
楓夏の胸がドキッとしました。
「モモ、どこ?」
『あの岩の向こう』
楓夏が大きな岩の向こうをのぞくと――。
「モモ!」
白と茶色の小さな体が、木の枝の間に挟まっていました。
「モォ……」
弱々しい声。
「待っててね!」
楓夏は駆け寄ろうとしました。
しかし、
『だめ!』
キツネが鋭く鳴きました。
楓夏は足を止めます。
「どうして?」
キツネは地面を見ました。
そこには、大きな足跡がありました。
人間の靴跡です。
そして、その足跡はモモのところまで続いていました。
でも――戻ってきた足跡はありません。
楓夏は不思議に思いました。
「この人、モモを助けようとしたのかな?」
そのとき、森の木々がざわめきました。
『違う』
『違うよ』
『あの人は、モモをここまで連れてきた』
楓夏は驚きました。
「連れてきた……?」
さらに、沢の水が小さく音を立てました。
『赤いものが落ちた』
「赤いもの?」
楓夏は水の中をのぞき込みました。
透明な水の底に、小さな赤い布が引っかかっています。
手を伸ばして取ってみると、それは赤い毛糸のようなものでした。
「これ……誰の?」
楓夏が握りしめた瞬間。
遠くから、
ブーン……
という音が聞こえてきました。
車です。
楓夏は顔を上げました。
森の木々の隙間から、一瞬だけ赤い車体が見えました。
「赤い車……!」
昨日、オジロワシが教えてくれた言葉と同じです。
楓夏は走り出そうとしました。
しかし、キツネが前に立ちはだかりました。
『ふうか、行っちゃだめ』
「どうして?」
『あの人は、森を怖がっていない』
「え?」
『森の声が聞こえない人は、森を怖がる。でも、あの人は違う』
楓夏は黙りました。
確かに。
普通の人なら、こんな森の奥まで一人で入ってくるでしょうか。
しかも、モモを連れてきたあと、足跡を残したまま消えている。
何かがおかしい。
楓夏は、赤い毛糸をポケットに入れました。
「お父さんに知らせよう」
モモのところへ戻ると、楓夏は大きな声を出しました。
「お父さーん!」
森の向こうから声が返ってきます。
「楓夏ー!」
やがて、お父さんとおじいちゃんがやってきました。
「モモ!」
お父さんが駆け寄ります。
慎重に枝をどけると、モモを助け出しました。
「よかった……」
楓夏はモモの首を抱きしめます。
「怖かったね」
「モォ……」
モモが楓夏の頬を舐めました。
お父さんは、地面に残った足跡を見つめています。
「これは……人の靴跡だな」
「うん」
「楓夏、何か見つけたのか?」
楓夏はポケットの中の赤い毛糸を握りました。
少し迷いましたが、それをお父さんに見せました。
「沢に落ちてたの」
お父さんの顔色が変わりました。
「これは……」
「知ってるの?」
「ああ」
お父さんは赤い毛糸をじっと見つめました。
「この毛糸、昨日牧場に来ていた人が着ていた帽子についていたものに似ている」
「昨日、誰か来たの?」
「……一人、見慣れない男の人が来ていた」
楓夏は、お父さんを見上げました。
「どんな人?」
お父さんは少し考えてから答えました。
「赤い帽子をかぶっていた」
楓夏の胸が高鳴りました。
赤い車。
赤い毛糸。
赤い帽子。
そして、森へ続く足跡。
すべてがつながっているように思えました。
そのとき、森の奥から一羽の小鳥が飛んできました。
枝に止まり、楓夏を見つめています。
『ふうか』
「なあに?」
『まだ、終わってないよ』
楓夏は小鳥を見上げました。
『あの人が探しているものは、子牛じゃない』
「……え?」
楓夏は息をのみました。
『あの人は、森の中に何かを隠した』
風が吹きました。
森の木々が一斉に揺れます。
そして――。
遠くの森の奥から、
カーン……。
金属を叩くような音が、一度だけ響きました。
楓夏は音のした方向を見つめました。
「……何の音?」
誰も答えません。
けれど、楓夏には聞こえていました。
木々の声が、震えています。
『ふうか』
『森から出て』
『あれは、人間が置いていったもの』
楓夏は、モモを抱きしめました。
事件は、まだ始まったばかりでした。
後書き
『世界樹の少女と、終わりの魂』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話。
長い旅となった楓夏の物語も、ここで一つの区切りを迎えました。
最初は、森から聞こえる不思議な声に戸惑っていた少女が、たくさんの人や魂、そしてさまざまな未来と出会いながら、自分自身の運命と向き合っていきました。
物語の中では、失われた未来や、選ばれなかった未来も登場しました。
けれど、どの未来も決して無意味なものではありません。
私たちの人生にも、「あのとき別の道を選んでいたら」と思う瞬間があるかもしれません。
過去に戻ってやり直すことはできなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができます。
楓夏が最後にたどり着いた、
「未来は誰かに決めてもらうものではない」
という答えは、この物語を通して伝えたかった大切なテーマでもあります。
そして、目には見えない魂や森の声を描きながら、もう一つ大切にしたかったのは、「つながり」というものです。
大切な人との思い出。
亡くなった人から受け取った愛。
家族の絆。
言葉にできなかった想い。
それらは、姿が見えなくなっても、心の中から簡単に消えるものではありません。
もしかすると、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、夢の中で出会う大切な人の姿も、心の奥に残った記憶や想いが、私たちに何かを伝えているのかもしれません。
楓夏は、森の声を聞くことで、たくさんの魂と出会いました。
そして最後には、自分自身の声にも耳を澄ませることができるようになりました。
物語は終わりました。
けれど、楓夏たちの未来は、ここからも続いていきます。
悠真がどんな人生を歩むのか。
結花がどんな大人になるのか。
凪人と楓夏がどんな日々を重ねていくのか。
それは、誰にも決められていません。
だからこそ、未来には無限の可能性があります。
この物語を読んでくださったあなたの未来も同じです。
もし今、迷っていることがあるなら、焦らなくても大丈夫です。
立ち止まってもいい。
遠回りしてもいい。
時には、最初から選び直してもいい。
あなたがあなたらしく歩いていく限り、その一歩一歩が、あなただけの未来になっていきます。
最後まで楓夏たちと一緒に旅をしてくださった皆さまへ。
心からの感謝を込めて。
そして、いつかどこかの森で風が木々を揺らしたとき――。
ほんの少しだけ耳を澄ませてみてください。
もしかしたら、楓夏の声が聞こえるかもしれません。
「大丈夫。
未来は、これから自分で選んでいけるよ」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
全100話――完結。




