魔王か植物か 3
――そこは、やわらかな光が降り注ぐ場所だった。
俺は、ゆっくりと体を起こす。さっきまで限界をむかえていたはずの体は妙に軽かった。立ち上がってあたりを見回してみる。ただひたすらに青い空と、遥か彼方まで続く真っ白な地面。その一つの方向がぼんやりと銀色に光って見える。
俺は考える間もなく、そっちに向かって歩き出していた。まるで雲を敷き詰めたかのような地面は、ふかふかのベッドのように反発し、俺の体は跳ねるようにしながら前へと進む。
あまりにも遠くてたどり着かないんじゃないかと心配したが、銀の光は徐々にはっきりと、強くなってきた――と思った瞬間、目の前を覆うほどに大きくなる。
光が収まった後に現れたのは、巨大な細長い石が集まる場所。石は柱のように立っていたり、横向きに転がされていたりしたが、そのうちの一つに白い衣をまとった長い髪の人物が腰かけていた。一歩一歩近づくごとに、子どものようにも、老人のようにも、男のようにも見え、顔がはっきり見える位置まで近づくと、女の姿になった。
初めて会う人なのに、どこか懐かしい気がする。彼女は俺を見ると、穏やかに微笑んだ。長くきらめく銀の髪が、さらりと揺れる。
『わたくしは、イアベスティア』
頭の中に直接語りかけてくるかのような声だった。優しく、聞いているだけで安心し、眠りに誘われるような声。
イアベスティア。それは、予想していた名だった。神界と人間界の橋渡しをする神。――そして、この世とあの世をつなぐ神の名だ。
「そっか……俺、死んだんだな」
『まだ死んでいませんね』
「はい?」
俺の覚悟のつぶやきは即、否定される。
『死にかけてはいますけれど。死にかけ状態なら話し合いやすいので、ちょっと来ていただきました』
そう言ってイアベスティアはにっこりと笑う。
しばらく戸惑っていた俺だったが、その能天気な笑顔を見ていたら段々と腹が立ってきた。
「……あんたが仕組んだことなんだろ、全部」
イアベスティアは夢の神でもある。巫女姫と呼ばれる神殿の預言者に、夢を通じて神託をするといわれているのもこいつだ。あんな『災夢』を見せるなんて芸当が出来るのは、こいつくらいしかいないだろうなと思っていた。
『「災夢」とは、面白い名前をつけましたね』
「っ――あんなのは災害みたいなもんだからな!」
心の声のつもりだったのに反応されて、俺は一瞬言葉を失ったが開き直る。こいつ呼ばわりしたのがバレたってもうどうでもいい。どうせ俺は死ぬんだろうから。
『ですからまだ死んでいませんよ。あんまりぐずぐずしていると時間が無くなってしまいます』
「時間がなくなるって、結局、死ぬってことだろ!」
『冷静になってください。あなたがもし死ぬならば、もっとずっと長くお話できますよ?』
そう言われて、ハッとする。
「まさか俺……生き返れるのか?」
『はい。まだ死んでいないので生き返りはしませんが、回復はするでしょう。あなたには「聖者」がついていますからね』
リルケの顔が浮かぶ。確かに今の彼女の癒しの力は強大だ。俺がどんな状態だったかにもよるだろうが。
『原型はとどめていますから問題ありません』
俺の思考を読んで、イアベスティアがまた余計な情報をくれる。
『爆発が起こった際、あなたがとっさに張った魔法の障壁も、きちんと効果がありました。そのおかげで肉体の損傷も減らせましたから』
「リルケが『聖者』として覚醒したのも、あんたの力なのか?」
『いいえ。そのことも含め、あなたにお話ししたいと思って来ていただいたのです』
それからイアベスティアは語り始めた。
『あなたがたの世界はわたくしたちが見守っています。直接的な干渉はできなくとも、神託や祝福という形でお手伝いをしているのは、ご存じのとおりです』
神々は、大きな災いが訪れたとき、巫女姫などの存在を通して人々に警告を与えたり、勇者となった者たちに必要なアイテムを与えることもあるという。百年前の勇者パーティの一人はトルディスタ出身だったし、その剣は王宮に大切に保管されているはず。
『ええ、正確には九十四年前ですね。剣士ラーゼファです』
――俺の心の声に返事をしないで欲しい。
『ごめんなさいね。わたくしからはあまり区別がつかなくて。そしてその「魔王」の誕生に関しては、わたくしたちが介入できない要素なのです』
「だけど、魔王が誕生したら、神託が出るんだろ?」
『ええ。誕生後には。しかし、誕生の前にそれを防ぐことはできません』
その言い方には、引っかかるものがあった。
「もしかして、魔王が誕生するかどうかも事前にわかる?」
『ええ』
イアベスティアはゆっくりとうなずいた。
『その現象を、仮に「魔王の種」と呼ぶとしましょう。「魔王の種」は一定のサイクルで地上に降り立ちます』
「それが、魔王になる?」
『そうです。「魔王の種」は地上の様々なものに憑依します。人だけではなく動物や植物、無機物が選ばれることもあるのです。九十八年前に誕生した「凶牙の魔王」は、元々小さなネズミでした』
「ネズミ? 魔王が?」
『ええ。でも必ずそうなるわけではありません。もしそのネズミが、魔王となる条件を満たさなかったのであれば。あるいは魔王となる前に生を終えたのであれば、「凶牙の魔王」が生まれることはなかったでしょう』
そんな話は初めて聞くことだった。ヘルセンさんですら仕組みはよくわからないって言ってたし。
『そしてあなたもご存じのように、『魔王』が誕生する際には、必ず対となる『勇者』と呼ばれる者たちが誕生、あるいは覚醒するようになっています。しかし、今回は大きな問題が起こってしまいました』
「大きな問題?」
『「勇者」となるはずの者たちに、「魔王の種」が憑依してしまったのです』
俺は、あのおぞましい異形の姿を思い出す。
「じゃあ、レイジーが勇者になるはずだったってことなのか?」
『いいえ』
「じゃあ、誰が――」
『あなたたちですよ。イード』
俺は言葉を出せなかった。
『あなたたちは、のちに「勇者」と呼ばれるようになる才能を秘めています。その強い意志と潜在能力が「魔王の種」によって歪められると、驚くべき速さで破滅へと突き進んでしまうのです』
今まで見てきた数々の『災夢』が俺の中でぐるぐると回る。だからあんな良くわからんきっかけで、世界が破滅しちゃうっていうのか?
――ん? 勇者? 俺たちが?
『ええ』
「俺もってこと?」
『あなたもですね』
「またまたー。こんなときに変な冗談をー」
『わたくしが今、冗談を言う意味ってあります?』
いや、まあそうなんだけど。さすがに素直に受け取れないっていうか。
まあ、リルケはすでに『聖者』、クリスとアスガルもあんな猛スピードで強くなってたし、理解できないこともないんだが。
「……じゃあなんで、俺だけがみんなと違うんだ?」
次に湧いてきたのは別の疑問だ。『災夢』には俺が世界を滅ぼそうとする光景は出てこない。そもそも、『災夢』なんてものを見せられているのも、俺だけのはずだ。
『心当たりはありませんか? あなたがたのパーティ名は、どうやって決まったのでしょうか?』
俺は、六年前のことを思い出す。その夜は、みんなで沢山の星が流れるのを見て――。
「そういや、俺は用を足したくなって、少しあの場所を離れたんだ」
それから戻ると、三人とも目をキラキラと輝かせていた。
『イード、お星さまが降ってきたの!』
『すごかったんだぜ! 君も見なかった?』
『イード、ざんねん!』
そうだ。あいつらはそんなことを言っていた。今まですっかり忘れてたが。あれ以降、あいつらがその話題を口にしたこともなかった。
「それが……『魔王の種』」
『ええ。本来であれば魔王が発生してからでないと、わたくしたちは力を貸せません。しかし今回はそうも言っていられませんでした。ですから、あなたに訴えかけたのです』
「でもそんな大ごとなら、俺なんかより巫女姫にお告げをするとか、それこそヘルセンさんやグレーズさんみたいな人に頼むとか……」
『言ったでしょう? 本来は介入できないのです。今回はあくまでも秘密裏に進めた特例にすぎません』
それを聞いて、俺が仲間たちにこのことを話そうとしたときに見せられた光景を思い出した。
『これは禁忌なのです。神々の直接介入が発覚すると「魔王の種」は即座に発芽します。より強力な力となって。神話にも残っているでしょう? 世界の半分が失われたと。あなたがたの世界はいまよりずっと広かったのですよ』
「え。あれ、事実なのか……」
だから伝承に残る勇者の物語はそうなっていたんだ。いつも神々が手を貸してくれるのは、魔王が世界に現れ、世界を蝕み始めた後。
それにしても、俺の責任、重すぎないか? ずっとがむしゃらにやってきたものの、今さら怖くなってきたんだが。
『本当に、あなたには重荷を背負わせてしまいましたね。あなたは十分に役目を果たしてくれましたし、今回のことで、どこまでが許容されるかの貴重なデータも得られました』
イアベスティアは一応申し訳なさそうに言うが、なんだろうな、モヤモヤするこの気持ち。
『あのアーティファクトは、かつて魔王を降臨させるために作られたものでした。今回のように運命が歪んだ状態となっていなければ、これほどの効果はなかったかもしれませんが』
三人の中に『魔王の種』があったから、あのアーティファクトに惹かれてしまったんだな。魔神連の件でもあいつらを遠ざけておいて、本当に良かった。
いつもみたいにもっと詳しい『災夢』を見せてくれてたら、もう少し楽になってたかもしれないんだが。
『ごめんなさい。あのときは安全策を取る必要がありました。けれどもあなたはきちんと、役目を果たしてくれましたね』
心の声に返事されるのにも、いいかげん慣れてきた。
「レイジーは結局、『魔王』ではなかったってことなんだな?」
『はい。あの人間は魔王という存在に魅入られすぎました。それが疑似的な「魔王の種」の役割を果たし、ずっと発芽できずに行き場をなくしていた力の受け皿になってしまったのかもしれません』
でもあいつは、本当に魔王を降臨させたかったんだろうか。それとも、どこかでそう思いこんでしまったんだろうか。最期、俺に憎しみの目を向けたあと、悲しそうに見えたのは気のせいだったんだろうか。
そんなこと、俺がいくら考えたってわかることじゃないが。
『イード。ここまでよく頑張ってくれました。ありがとう。孤独な戦いでしたね』
イアベスティアのその言葉が、じわじわと俺の中にしみ込んでいく。俺が視線を上げると、そこには、神の微笑みがある。
「もしかして、俺の役目、終わり……?」
『完全ではないとはいえ、多くの力が失われました。今回の「魔王の種」のサイクルは終わったと考えられます』
「マジか……やった……!」
俺は膝をどすんとついた。今は体はないはずなのに、雲みたいな地面の弾力がリアルに感じられる。
「あ――」
何気なく見た俺の体が光り始めていた。そして端っこからどんどん光の粒へと変わり、光りながら崩れて輪郭があいまいになっていく。
『イード、お元気で。わたくしはこれからも、あなたがたを見守っています』
俺が何か言葉を返そうと口を開いたとき――足元の地面が消滅したかのように意識が沈んだ。




