変身上手の潜入任務 1
ヘウスウィードには、退廃の空気が漂っていた。
一見するとそれなりの規模の町に見える。正直ニエリアのほうが建物も古臭く、自然も多くて田舎って雰囲気だ。でもここは、どこもかしこも落書きであふれていて、ゴミが散乱している。風が吹けば腐敗臭と薬品のような臭いが混じり合って鼻をついた。俺は服の袖で口元を覆いながら歩く。
「――うぇっ」
いや、俺の服もくっさ! グレーズさんが用意してくれたものだが、まあ、見るからに汚いからな……顔にもそれっぽく汚れをつけ、髪も染め、幻影魔法が使えないような状況でもなるべく別人に見えるような工夫はしてきている。
とにかく俺は今、イードじゃない。カイルという架空の人物だ。頼れるものは何もなく、この町に逃げるようにやってきた。
「おい」
きょろきょろしながら歩いていると、急に声をかけられる。俺はフードで顔を半分隠したまま、そっちに目を向けた。三人の男が、にやにやしながらこっちを見ている。
早速、魔神連の勧誘か? ――いや、明らかに違う。あの特徴的な黒包帯を身に着けていないし、三人とも半裸だ。しかも目がいっちゃってる。俺は周りに目を向けながらじりじりと後ろに下がり、そして駆け出した。
「逃げんじゃねぇ! 待てコラ!」
見た目はヤバいものの、戦って負ける気はしない。でも、なるべく戦闘は避けないといけない。弱さをアピールして、誰かに助けてもらわないと。
「た、助けて……」
我ながらいい感じで情けない声が出せたんじゃないか? なんて思いながら走る。あの拷問みたいな特訓のおかげで体力ついちゃって、体はめちゃくちゃ楽に動く。
「くそっ! なんて逃げ足の速ぇ野郎だ!」
半裸三人組はもうバテてる。どうしよう、もっとスピード落としたほうがいいんだろうか。
そんなことを考えながら角を曲がろうとしたとき、建物の隙間からひらひらと動く手が見えた。
「こっち! 早く!」
そこにいたのは女の子だった。俺はひとまずその誘いに乗ってみる。近づいていくと、建物と建物の間に、人ひとりが通れるくらいの細い路地があった。女の子に服を引っ張られ、その路地を急いで進んでいく。時々壁や突起、落ちているものにぶつかりそうになりながらも、二度三度と道を曲がった。遠くからさっきの男たちの騒ぐ声が聞こえてくる。どうやら俺のことを見失ったようだ。
「……もう大丈夫そうね」
女の子は呼吸を荒くしつつ言った。俺も肩を大きく動かしながら、少し疲れたようなふりをする。
「ありがとう。突然声かけられたから、びっくりして逃げちゃったんだけど、怒らせちゃったみたいで」
「マルゴ三兄弟は、いつもああなの。逃げなかったら身ぐるみはがされちゃってたわ」
「そうなんだ……助かったよ」
本当に助かった。捕まってたら面倒だったし、うっかりぶちのめそうものなら、今後動きづらくなってしまう。
「あなた、ここに来たの初めてよね?」
「ああ。俺はカイル。助けてくれてありがとう。君は?」
「あたしはジェシカよ。カイル、あなた、行くあてはあるの?」
俺は首をゆっくりと横に振った。頭の中で、覚えてきた設定をなぞる。
「その……色々あって、ここに逃げてきたんだ」
でもいきなりべらべら喋るのも変だと思い、結局はあいまいに濁した。ジェシカはそれを聞き、かすかに笑う。
「そうなのね。じゃあ、ちょっとついて来て」
彼女が見せた笑顔に少しだけ不安になった。でも、とにかく動かないとチャンスは掴めない。うなずいた俺を見て、ジェシカは再び歩き始めた。
ヘウスウィードの地図は一応確認してきているのだが、付け焼刃の知識では今自分がどこにいるのかさっぱりわからない。揺れるジェシカのおさげ髪を眺めながらついていく。路地を通っているのもあるのかもしれないが、さっきから歩いてる人の姿をほとんど見かけなかった。いても地面に座り込んでいたり、寝転がっている。
「あそこよ」
しばらく歩き続けたあと、ジェシカが一つの建物の前で止まった。
屋敷、と言っていい規模の建物だと思う。というか、塀が高くて中がよく見えない。堅牢そうな石の塀には他の場所とは違い落書きひとつなく、真新しいものに見えた。
「ここは?」
「アルマさんっていう人のお屋敷。困ってる人を助けてくれるの」
この町で慈善活動を行っている人物って可能性もあるが……怪しいな。ジェシカについて歩いていくと、防御力がやたらと高そうな門の前に、屈強な門番が二人立っている。
「こんにちは、ジェシカです。困っている人を連れてきたわ」
彼女は門番が動く前に言った。二人は顔を見合わせ、片方がうなずく。俺を頭からつま先までじろじろと見たあと、門に手をかけてあごをくいっとやった。ついてこいと言っているらしい。
重そうな動きで門が開いていく。俺が門をくぐる瞬間、ちらりと後ろを見ると、ジェシカがもう一人の門番から何かを受け取っていた。
「荷物はここに置いて行け」
屋敷の中に入ってすぐの部屋でそう言われる。俺は持っていたボロボロのバッグを大事そうに抱えてみせた。
「な、なんでですか……?」
「安全のためだ。あとで返してやる」
俺はもう一度名残惜しそうにバッグを見てから、床にそっと置いた。実際のところは、ある程度の生活用品が入っているだけで、特に大事なものというわけではなかった。でも『カイル』にとっては財産のはずだ。
門番は拳大の透明な石がついた金属の板を持ってきた。よく使われている防犯用の魔道具で、武器や魔道具に反応し、色が変わる。
もちろんこの程度は想定内。幻影魔法はいったんオフに。さらにこっちには魔女と魔道具マニアがついている。緊急時に使うものは、最高級の隠蔽用魔道具をさらにカスタマイズした上で身に着けていた。
門番は魔道具を俺に向け、俺の体から少し離した状態で、上下左右に滑らせるようにして動かす。
「よし。ついて来い」
それでも上手く行くか緊張していた俺は、石の色が変わらなかったことに安堵した。
それからまた廊下に連れ出される。門番について歩く間、俺はできるだけ自然に見えるよう、不安そうにあたりを見回してみた。だが屋敷の中は何の飾り気もなく、ただ壁と閉じた扉が続くだけだ。
「あの、ジェシカさんはよくここに?」
俺の声が大きな背中に当たる。沈黙が流れた。
「たまにお前みたいなやつを連れて来る。詳しいことはアルマ様に会ってから聞け」
返事は期待していなかったが、門番はぼそぼそとそう言ってからまた黙る。これ以上は何も聞くなということだ。
ジェシカはきっと金を受け取ってたんだろう。この感じじゃたぶん、彼女も何も知らず、人を連れてきているだけなんだと思う。
そんなことを考えていると、一つのドアの前で門番が立ち止まった。他のドアとは少し色が違う。使われてる木が高そうだ。
「アルマ様。迷い人です」
門番がノックをして言うと、しばらくして「お入りなさい」という声がした。女の声。ひとまずレイジーではないことにほっとした。そのまま待つ俺に門番は目で、入れとうながす。俺はうなずくと、ドアをゆっくりと開けた。
五十代くらいだろうか。少し白髪の混じった長い髪をうしろでゆったりと束ねている。穏やかな笑顔の、優しそうな人に見えた。ベージュのガウンの下には、黒く細い布を巻き付けたような服。
「あ、あの……カイルと言います。ジェシカさんがここに連れてきてくれて」
予測していたことではあったが少し動揺してしまう。それを隠すように、俺は目を伏せながら言った。
「私はアルマと言います。ジェシカさんは時々あなたみたいな人を連れてきてくれるのよ」
「その、俺は、どうしたらいいんでしょうか……」
俺は少しだけ目線をあげ、不安げに声を出す。彼女は指揮棒のような形の杖をガウンのポケットに入れている。魔導師だ。どれだけの実力かは分からないが、もし俺の幻影魔法がバレたら厄介ではある。
「そんなに緊張しなくていいのよ。あなたには私たちの仕事を手伝ってもらいたいだけなの」
「し、仕事って?」
「誰でもできる簡単な仕事よ。ちゃんと住むところや生活の保障はされるから安心して」
アルマは言って優しく微笑む。この笑顔が曲者だ。でも俺は今、身寄りもなく、これからどうしたらいいかもわからない男、カイル。ほっとしたような表情を見せると、彼女は満足そうにうなずいた。
「じゃあ、こっちに来てちょうだい」
俺に手招きをし、アルマは部屋の奥にあるもう一つの扉へと向かう。その先にあった小さな部屋の床には、複雑な模様が描かれていた。魔法陣だ。
「これを首にかけて、その中に立ってくれる?」
長いひもの付いた小さな札のようなものを渡される。そこにはアルマの名前と、番号が書いてあった。俺はそれを受け取って首からかけると、言われるまま魔法陣の中へと進む。不思議そうに眺めているふりをしつつ、描かれている魔導文字に目を向けた。転送の魔法陣だ。下手な魔導師が描くと行き先の名前がモロに描いてあったりするが、さすがにそんなことはない。俺は再びアルマを見る。
「向こうに着いたら案内してくれる人がいるから、心配しないで」
彼女はそういうと呪文を唱え、杖を振った。
すぐに魔法陣は光を放ち、景色が変わっていく――。




