もう音楽祭どころじゃない 3
姿を魔法で消し、さらに盗賊として学んだことを生かして気配と足音も消す。そのまま走るのは、なかなか消耗する。こんなでこぼこした道ならなおさらだ。しかしここ数年の隠密活動のような日常は、俺のそのスキルを磨き上げてくれていた。
(そろそろか……?)
まだ次のドラゴンは現れない。ただ長く、広い通路が続いている。この前のダンジョンと同じく壁がほんのりと光っていたため、明かりを用意する必要がないのは助かった。
そうやってしばらく進むと、地面が再び揺れ始める。
「ぐっ……」
薄明りの中、見える色は青。フロストドラゴンだ。氷のブレスを吐くドラゴンで、フレイムドラゴンよりも細身。ということは、通れるスペースもより多くなる。
これはチャンス。俺は、靴に仕込んだ仕掛けを発動した。ひと蹴りで、俺の体は一気に前へと進む。これはリルケの魔法と仕組みとしては似ている。魔道具で風の力を靴に組み込むことにより、誰でも使えるようにしたものだ。魔力が外に漏れにくいから感知されにくいし、他の魔法を発動しながらでも使える。
(――!?)
すれ違いざまに、フロストドラゴンが少し反応を見せた。ヒヤリとしたが、無視して進むと、やつらはまた興味をなくしたかのようにダンジョンの外へと向かい始める。俺は安堵の息をつきながら、そのまま広い通路を突き進んだ。
やがて、前と似たような、大聖堂を思わせる広い場所へとたどり着く。天井は高く、地面もここまで走ってきた洞窟とは違って一流の職人が作った床のようになめらかだ。今回は階段はなく、その巨大な部屋の一番奥に、家一軒ほどの大きもある花瓶が設置されていた。
俺は中央を真っすぐ突き進んでくるドラゴンたちから距離を取り、部屋の端を大回りしながらアーティファクトへと近づいていく。最後尾のフロストドラゴンがそろそろ部屋から出て行こうとしているが、新しいドラゴンは出現していない。今のうちだ。
「いと高き存在の息吹よ、その子らの育みし我らが地の――」
俺はいったん『偽装隠避』を解除し、歩みを止めずに詠唱を始める。今回の『原初の風』も呪文の省略が不可な上に、長い。その割にこれも任意の場所にそよ風を吹かせるだけの術で、暑い日に少し涼める程度の効果しかなかった。
どでかいアーティファクトが徐々に迫ってくる。術の準備は終わり、あとは発動だけ――と思った、そのときだった。
「ふーん。あなたなんですね。我々の邪魔をしているのは」
俺の足は滑りながら止まる。いつの間にかアーティファクトの上に男が腰を掛けていた。この前の男と同じように黒い布を全身に巻き付けたような恰好をしているが、首から上は出ているため、その顔がはっきり見える。俺を興味深そうに見つめる切れ長の目。肩の上あたりで切ったさらさらの青白い髪が、黒い体から浮き出ているかのようで印象的だった。
「なぜ、あなたみたいなBランクの冒険者が、こんなところに一人で? イード・ホープさん」
男は、次の瞬間にはもう、俺の目の前にいた。
全身に鳥肌が立つ。少しでも動いたら殺される――そんな緊張感が俺の体を硬直させた。男が冷酷に笑み、地面から影が立ちのぼる。
――だが、影が標的にしたのは、その男だった。男は舌打ちをし、飛び退る。影は収束して人の形へと固まり、俺の見知った姿に変わる。
「ヘルセンさん!」
「危なかったねぇ、ぼうや」
言いながらヘルセンさんが杖を一振りする。今ではオールドスタイルと呼ばれる、デカい魔導師の杖だ。男の周囲に無数の影の槍が生まれ、次の瞬間、男へと襲い掛かる。だが、それは男が生み出した繭のような青白いシールドに阻まれ、すべて落ちて消えてしまった。
「おや、『アン・ディグリアの魔女』。あなたはギルドの野暮用で来られないはずでは?」
「あんなあからさまに怪しい仕事、すっぽかすに決まってるじゃないか」
「冒険者ギルドの重鎮ともあろうお方がそんな体たらくとは」
「あたしはしがない支部長だよ!」
何気ない会話をしながらの、とてつもない魔法の応酬。それは俺にとってはレベルが高すぎて、色とりどりの花火をただ眺めているみたいに現実味がない。
そのうちに、アーティファクトからまたドラゴンがのそのそと出てき始めた。今度は土の色。アースドラゴンだ。その鱗は他のドラゴンよりも硬く、ブレスを吐かないかわりに力が強い。ヘルセンさんの放った紫の光のいくつかが男を迂回し、ドラゴンを貫く。あっけなく消滅したドラゴンとは違い、その背後にあったアーティファクトは無事だった。
「ほう?」
ヘルセンさんが小さく声を上げる。たぶん、間違ってダンジョンを崩壊させてしまわないように威力は抑えているのだろう。でもニセモノとはいえ、あの巨体と硬い鱗を持つアースドラゴンに易々と大穴を開けた魔法で、傷一つつかないなんて。
俺は我に返る。魔法の準備は終わってるんだ。ヘルセンさんがあの男を抑えてくれている今なら、いける。
「『原初の風』!」
男が俺のほうを睨んだ。だがヘルセンさんが杖を振ると、男の手のひらに生まれた光は力を失ったかのように消える。
俺の魔法は無事に発動した。そよ風がアーティファクトの表面を撫でる。すると、あれだけ頑丈だった花瓶が簡単に砕け散った。新たに生まれ出ようとしていたドラゴンも、淡く光りながら静かに消え始める。
やった! 安堵で足の力が抜けそうになるところを、何とか踏ん張り、男の方を警戒した。男はバラバラになったアーティファクトを眺め、それから俺を見る。ぞっとするような目をしていた。
「よくやった。ぼうや」
ヘルセンさんの言葉で、一瞬止まったかのような俺の時間が戻って来る。男の周囲に魔力が集まった。紫色の光が鳥かごのように男を囲み、くるくると回り始める。
「おっと、これ以上探られてはかなわない。せっかくの装置も壊されてしまったし、ボクはこれで失礼しますよ」
男はそう言うと、もう一度俺の方へと顔を向ける。さっき見たような暗い光は目の中には見えない。余裕をもってにやりと笑ってみせる。
「じゃあね、イードくん。またお話ししよう。キミがどうやってアーティファクトを壊す方法を知ったのかとか、とっても興味があるし」
その言葉が終わると同時に、男の姿はかき消えた。
「幻影……?」
ヘルセンさんのときもそうだったが、全く気づかなかった。俺だって一応、幻影魔法は得意なはずなのに。
「はっ。色んなとこを中継して、本体へたどり着きにくいように細工してやがる。こざかしい」
ヘルセンさんは杖の先で地面を叩きながら、吐き捨てるように言う。
「どうやらぼうや、厄介なやつらに目を付けられたようだね。それとも、わかっててやったのかい?」
俺はゆっくりと首を横に振る。心臓がばくばくいっていた。俺は『災夢』の情報をもとに、仲間が世界を滅ぼすルートに入るのを止めようとしただけだ。
「あの珍妙なミイラみたいな趣味の悪い服。昨日、あんたを襲った男と同類だろうね。死んだらしいが」
「……死んだ?」
「ああ。尋問する前に、隠し持ってた毒で自ら、ね」
顔から血の気が引いていく。それだけ信念が強いのか、上には逆らえないのか。さっきの男は、明らかに昨日の男より実力者だった。『アン・ディグリアの魔女』ともやり合えるあの強さと余裕の態度。
ドラゴンの姿もアーティファクトも消えたダンジョンは、より殺風景で寒々しい。俺は、思わず体を震わせた。




