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KAGEは僕だった  作者: SQAPE
Chapter 2「影の街」
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9/10

2-2「昼休み、偶然の距離」

――昼休み。


チャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一気にほどけた。


授業中は机に貼りついていた生徒たちが、合図を待っていたみたいに立ち上がる。


「よっしゃ飯!」


「購買行くやつー!」


「今日食堂なんだっけ?」


あちこちから声が飛ぶ。


椅子を引く音。

弁当箱を開ける音。

机をくっつける音。

スマホで何かを見ながら笑う声。


一日の中で、教室が一番生き返る時間。


エイトはその中で、いつも通りゆっくりと立ち上がった。


「行くぞ」


隣の席に声をかける。


「おー」


軽い返事とともに立ち上がったのは、神谷晴斗だった。


茶髪センターパート。

曇りのない目。

昼休み開始と同時に体力が二割増しになるタイプの男。


ハルトは財布をポケットに突っ込みながら、エイトの顔を覗き込む。


「今日、なんか顔死んでね?」


「いつもだろ」


「いや、今日はいつもより三割増しで死んでる」


「お得だな」


「何が?」


「死に顔」


「いらねえキャンペーンすんな」


ハルトは笑いながら、エイトの肩を軽く叩く。


二人は教室を出て、廊下を歩き出した。


「今日何にする?」


「適当」


「お前、ほんと食に興味ねえよな」


「あるぞ」


「じゃあ何が好き?」


「すぐ食えるもの」


「……興味ねぇじゃん」


そんな軽口を交わしながら、購買へ向かう。


昼休みの廊下は人が多い。


友達同士で固まって歩く者。

弁当を持って中庭へ向かう者。

購買の人気商品を狙って小走りになる者。


その流れの中を、エイトはなるべく人とぶつからない最低限のルートで歩いていた。


「おーい、ハルトー!」


少し離れたところから声が飛んできた。


振り向くと、別クラスの男子たちが五人ほど手を振っている。


「今日の食堂、チキン南蛮定食あるぜー!」


その瞬間、ハルトの目が輝いた。


「マジで!?」


「マジマジ。数量限定らしい」


「それは行くしかねえ!」


ハルトは即決だった。

そして勢いのまま、エイトを見る。


「エイトも行こうぜ!」


「俺はいい。大人数は疲れる」


「でも、チキン南蛮だぞ?」


「鶏肉より静寂」


「そうか。んじゃ、また後でなー!」


ハルトは友人たちの方へ駆けていく。


「チキン南蛮! チキン南蛮!」


「小学生かよ」


エイトは小さく呟き、軽く手を振った。

そして一人、購買へ向かう。


一人になった途端、廊下の音が少し遠くなる。


昨日のことを思い出しそうになって、エイトは目を細めた。


考えるな。


昼飯を買う。

食う。

午後をやり過ごす。


それでいい。


少なくとも今は。


---


購買は、昼休みの熱気で少し混み合っていた。


パンの匂い。

揚げ物の匂い。

紙パックのジュースが並ぶ冷蔵棚。

誰かの「焼きそばパンまだある!?」という切実な声。


エイトは無言で列に並ぶ。


周りの生徒たちが真剣な顔でパンを選んでいるのを見ながら、ぼんやりと思った。


昼休みの購買には、戦場みたいな空気がある。


ただし、武器は小銭と反射神経。


「……」


エイトは棚に目をやる。


ラスト一個の鮭おにぎり。


手頃。

無難。

味の想像がつく。

冒険しなくていい。


完璧だった。


それに手を伸ばす。その瞬間。


横から、もう一つの手が伸びてきた。

指先が、軽く触れる。


「……」


「……」


二人とも、ぴくりと止まった。


「あ、すまな――」


言いかけたエイトの声が、途中で止まる。

目の前にいたのは、月原芽唯だった。


メイも、少し驚いた顔でこちらを見ている。


「……早見くん」


「お前か」


メイは少しだけ困ったように笑う。

エイトは鮭おにぎりから手を引いた。


「いいぞ」


「え?」


「鮭」


「いや、早見くんが先だったし」


「別にツナマヨでいい」


「そう?」


メイは鮭おにぎりを取った。

エイトはその横のツナマヨを手に取り、会計を済ませる。


そして何事もなかったように購買を出ようとした。


「……ちょっと待って」


背後から声がかかる。


エイトが振り返る。


「ん?」


メイはおにぎりを両手で持ったまま、少し迷っている様子だった。


「その……ついて行ってもいいかな」


「俺に?」


「うん」


「珍しい趣味だな」


「趣味じゃないよ」


メイは少しだけ頬を膨らませる。


「ただ、教室で食べる気分じゃなくて」


「ああ」


エイトはそれ以上聞かなかった。


教室。


昨日まで、メイが自分を押し殺していた場所。

そして昨日、影魔獣になった場所。


そこに戻りづらい気持ちは、なんとなく分かる。


「別にいいぞ」


「……ありがとう」


「ただし、俺はだいたい無言で食う」


「それは、なんとなく分かる」


「なら問題ないな」


二人は購買を離れ、階段へ向かった。


---


屋上。


エイトとハルトが、昼休みにたまに使う場所だった。


フェンス越しに空が広がっている。

校庭からは運動部の声が聞こえ、少し遠くで街のざわめきも混じっている。


風が、思ったより気持ちいい。


ベンチに腰を下ろす二人。


少し距離を空けて座る。

近すぎない。

でも、会話をするには遠すぎない。


メイが空を見上げる。


「……屋上って、こんな感じなんだ」


「初めてか?」


「うん。来たことなかった」


「真面目だから?」


「それ、ちょっと偏見じゃない?」


「じゃあ、なんで」


「……なんとなく。本当に行っていい場所なのかなって思ってた」


風が髪を揺らす。

昨日までより、少しだけ表情が柔らかい。


エイトはおにぎりの包装を開ける。


「……なんか変な感じ」


メイがぽつりと言った。


「何が」


「こうやって一緒にご飯食べるの」


「そうか?」


「そうだよ。今まで、ほとんど話したことなかったし」


「同じクラスなのにな」


「早見くん、誰とでも積極的に話すタイプじゃないでしょ」


「人聞きが悪いな」


「違うの?」


「必要最低限は話す」


「やっぱりそうじゃん」


メイは鮭おにぎりの包装を丁寧に開ける。

エイトはその様子を横目で見て、思わず言った。


「おにぎりの開け方、真面目だな」


「おにぎりの開け方に真面目とかある?」


「角を揃えてる」


「普通じゃない?」


「俺のはこうなる」


エイトはツナマヨの包装を見せる。

端が少し破れ、中の海苔が微妙にずれていた。


メイは少しだけ目を細める。


「……不器用?」


「効率重視」


「失敗を棚に上げてるだけじゃない?」


「よく気づいたな」


「認めるんだ」


二人は小さく笑った。


「……そういえば」


エイトがふと思い出したように言う。


「断るってやつ、できそうか」


メイの動きが止まる。

それから、少しだけ真剣な顔になる。


「……できる」


「ほんとか?」


「できる。……と思う」


「弱くなったな」


「だって、簡単じゃないんだよ」


「まあな」


「でも、もうああいうのはやめたい」


メイはおにぎりを膝の上に置く。


「嫌なことを嫌って言わないと、結局、自分でも何が嫌なのか分からなくなるんだなって思った」


エイトは黙って聞く。


「だから、まずは一回だけでもいいから、ちゃんと断ってみる」


「ふーん」


「なにその反応」


「いや、いいんじゃねえの」


「本当に思ってる?」


「思ってる」


「なんか薄い」


「濃い反応は疲れる」


「応援してくれてもいいじゃん」


「断れ断れー」


「雑!」


メイが思わず声を上げる。

エイトは少しだけ口元を緩めた。


二人の間に、軽い空気が流れる。

 

昨日までにはなかった距離。


近すぎるわけではない。

でも、たしかに何かが縮まっていた。


そのとき。


「おーい」


背後から声がした。


「ひゃっ!?」


メイがびくっと肩を震わせた。


おにぎりを落としかけ、慌てて両手で受け止める。


挿絵(By みてみん)


「なんだよそのリアクション」


そこに立っていたのは、ハルトだった。

少し呆れたように笑っている。


「おい、驚かすなよ」


エイトが軽く言う。


「いや、普通に声かけただけだろ」


「タイミングが悪い」


「知らねえよ」


ハルトは肩をすくめる。

そして、ベンチに座る二人を見比べた。


エイト。

メイ。

少し距離はある。

でも、同じ屋上で、二人で昼飯を食べている。


ハルトの顔に、分かりやすくニヤッとした笑みが浮かんだ。


「……あれぇ?」


「なんだよ」


「お前ら、いつからそんな仲良かったんだー?」


「は?」


「別に」


エイトとメイの返事が、ほぼ同時に重なった。ハルトの笑みがさらに深くなる。


「息ピッタリじゃん」


「違う」


「違うよ」


「またピッタリ」


「うるせえ」


エイトが顔をしかめる。

メイは少し慌てたように手を振った。


「ち、違うから。たまたま購買で会って、それで」


「それで屋上で二人飯?青春じゃん」


「違うってば」


「いやー、いいねえ。俺がチキン南蛮に走ってる間に、世界は進んでたんだな」


「大げさすぎる」


エイトが呆れる。


ハルトは笑いながら、エイトの隣に腰を下ろした。


「で、ツナマヨ? お前らしいな」


「何が」


「冒険しない感じ」


「ツナマヨを馬鹿にするな」


「馬鹿にはしてねえよ。信頼と実績って感じ」


「じゃあいい」


「いいんだ」


メイが小さく笑う。

ハルトは満足そうに頷いた。


「お、月原笑った」


「え?」


「いや、なんか最近ちょっと元気なさそうだったからさ」


メイの表情が少しだけ止まる。

でも、ハルトの声に重さはなかった。


明るく、さらっと言ってくれるから、逆に受け取りやすい。


「……うん。ちょっと、色々あって」


「そっか」


ハルトはそれ以上踏み込まなかった。


「まあ、飯食えるならだいたい大丈夫だ」


「その理論雑すぎる」


エイトが言う。


「でも真理だろ?」


「否定はしない」


「ほらな」


ハルトは笑う。


そして、ふと思い出したように手を叩いた。


「そうだ。今日、放課後ヒマ?」


「また急だな」


エイトが言う。


「ヒマだろ?」


「決めつけるな」


「予定あんの?」


「ない」


「じゃあヒマじゃん」


ハルトはメイの方を見る。


「月原も放課後ヒマ?」


「え、私?」


「うん」


メイは一瞬、答えに詰まった。

いつもの癖で、相手に合わせそうになる。


でも、今朝のことを思い出す。

嫌なら断る。無理なら無理と言う。


自分に聞いてみる。


イエスと返すか。

ノーと返すのか。


答えは、意外とすぐに出た。


「……うん。今日は大丈夫」


「お、じゃあさ」


ハルトはにっと笑う。


「南京町行こうぜ」


「南京町?」


メイが聞き返す。


「そう。なんか食べ歩きしたい気分なんだよな。小籠包とか、肉まんとか、あとよく分からん甘いやつ」


「よく分からん甘いやつって何」


エイトが突っ込む。


「行けば分かる」


ハルトは楽しそうに言う。


「たまには三人で行こうぜ」


メイは少し戸惑ったようにエイトを見る。


「……いいの?」


「俺に聞くな」


「だって」


「来たけりゃ来ればいい」


エイトはぶっきらぼうに言った。


「嫌なら断ればいい」


メイはその言葉に、少しだけ目を丸くした。


それから、ゆっくり頷く。


「……行きたい」


「よし決まり!」


ハルトが手を叩く。


「放課後、南京町な!」


青空の下。


屋上の風が、三人の間を通り抜ける。

昨日までなら、なかった時間。


エイトとメイ。

メイとハルト。

そして、三人で過ごす放課後。


少しずつ、関係が広がっていく。


けれど、その裏で。


まだ見えない影もまた、静かに街へ向かって動き始めていた。

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