2-3「観測者の選別」
――放課後。
神戸・南京町。
赤い門をくぐった先には、いつもの学校帰りとは別世界みたいな景色が広がっていた。
通りの両脇に並ぶ店。
赤い提灯。
中華まんの湯気。
香ばしい油の匂い。
甘い点心の香り。
人の声、人の笑い声、店員の呼び込み。
平日の夕方だというのに、人の流れは途切れない。
観光客らしき集団。
制服姿の高校生。
カップル。
子どもの手を引く家族連れ。
にぎやかで、少し雑多で、でも妙に心が浮く街だった。
その中心で――
「はいどーもー! “ジンチャンネル”でーす!!」
やたらと通る声が響いた。
スマホを片手に、自撮りしながら歩いている金髪の男。
真壁迅。
少しツリ目で、口元はいつも自信ありげに笑っている。
派手すぎないけど目立つ服装。
いかにも“人に見られる仕事をしたがる男”という感じだった。
「今日はね、この南京町で! 食べ歩きしていこうと思いまーす!」
くるっとスマホを反転させる。
画面には、湯気を立てる肉まん、揚げたての春巻き、串に刺さった点心が次々に映る。
「いやマジで見てこれ! 角煮まん! 絶対優勝じゃんこれ!」
店先で立ち止まり、カメラを自分に戻す。
「というわけで、さっそく食べていきましょー!」
満面の笑み。
声も表情も、完璧だった。
――ピッ。
録画が止まる。
途端に、ジンの顔から笑顔が消えた。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
スマホを下ろし、画面を見つめる。
「どうせ再生回らねえんだけどな……」
ぼそっと呟く。
昨日上げた動画の数字を見て、眉をひそめた。
「二十三再生って何……」
指で画面をスクロールする。
通りはにぎやかなのに、スマホの画面だけが妙に静かだった。
「……終わってんな、マジで」
頭をかく。
さっきまでのテンションとの落差がひどい。
けれど、数秒後にはもう顔を上げていた。
「でもまあ」
小さく呟く。
「やるしかねえか」
スマホを持ち直す。
深呼吸一つ。
そして――
――ピッ。
「さあ! 気を取り直していきましょー!」
一瞬で、また明るい声に戻る。
切り替えが早い。
いや、早すぎると言った方が近い。
「まずはこの角煮まんからいってみましょう!」
店で買ったばかりの角煮まんをカメラへ見せる。
「ほら見て、この照り! 絶対うまいやつ!」
一口、かぶりつく。
「……うまっ!」
大げさなリアクション。
でも、それは半分演技で、半分本音だった。
「やば、柔らかっ! これ優勝です!」
そう言いながらも、ジンの視線がほんの一瞬だけ横へ流れる。
通りの端。
店の裏手に近い位置。
そこでは、中年の男が若いバイトらしき青年を怒鳴っていた。
「だから言っただろうが!」
怒声が人混みのざわめきを少しだけ切り裂く。
「何回同じミスすんだよ!」
「す、すみません……」
青年は縮こまり、何度も頭を下げている。
周囲の客がちらちらと見る。
けれど、誰も止めない。
気まずい空気だけが、その場に溜まっていた。
「……」
ジンは一瞬だけ、そちらを見た。
けれど、スマホのカメラは向けない。
「……こういうのは、撮らねえ」
小さく、誰にも聞こえない声で呟く。
炎上狙いの切り抜きにすれば、もしかしたら数字は取れるかもしれない。
でも、そういうのは違う。
ジンなりの線引きが、そこにはあった。
「はい、じゃあ食べていきまーす!」
何事もなかったかのように、また演じる。
その明るさが本物か、作り物か。
たぶん、本人にももう半分くらい分かっていなかった。
---
その頃。
「うわ、人多っ」
南京町の入口で、ハルトが素直な声を上げた。
「まあ、こんなもんだろ」
エイトはいつも通りの調子で答える。
「……すごいね」
メイは少し目を丸くしていた。
屋台が並び、色とりどりの看板が目に飛び込んでくる。
湯気の立つ中華まん。
串に刺さった小籠包。
甘そうな胡麻団子。
どこを見ても、人と食べ物と音でいっぱいだった。
「何食う!?」
ハルトがテンション高めに振り返る。
「とりあえず歩くか」
エイトが適当に返す。
「だな!」
「色々見てから決めたいし」
メイも頷く。
三人は通りへ入っていく。
人の流れに乗りながら、ゆっくりと進む。
「……あ」
ふと、メイが足を止めた。
「ん?」
「見て、あれ」
指差した先。
少し離れた場所で、金髪の男がスマホに向かって大げさなリアクションをしていた。
「いやマジでこれ優勝!」
角煮まんを片手に、カメラへ満面の笑みを向けている。
「うまっ! 柔らかっ! やば!」
「……なにあれ」
メイが小声で言う。
「YouTuberじゃね」
エイトが一瞥する。
「へー」
ハルトは興味深そうに目を細めた。
「なんか、必死だな」
「まあ、仕事なんじゃないの」
メイが言う。
ジンはそのとき、ちょうど次の撮影に入ろうとしていた。
「はい! 次はこちらの――」
そこで、視線が一瞬だけ止まる。
人混みの中。
三人で歩く高校生たち。
その中でも、エイトの姿が妙に目に引っかかった。
(……ん?)
一瞬だけ、違和感。
夕方の光。
人混み。
店の影。
普通の風景。
なのに、エイトの足元だけが、ほんのわずかに“ズレた”ように見えた。
影の輪郭が揺らいだような。
(……何だ、今の)
ジンはカメラを向けたまま、ほんの少しだけ視線を細める。
見間違いかもしれない。
逆光のせいかもしれない。
それでも、妙に引っかかった。
(影……?)
エイトは気づいていない。
ハルトは「どれ食う?」と次の屋台を見ている。
メイは金髪の男のリアクションの大きさに少しだけ戸惑っている。
普通の高校生たち。
そう見える。
なのに、ジンの中の何かが、さっきの違和感を見過ごせなかった。
「…はい! 次行きましょう!」
ジンはそのまま撮影を続ける。
でも、意識の一部はまだエイトに引っかかったままだった。
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三人はそのまま通りを進んでいく。
にぎやかな空気。
笑い声。
立ち止まる人波。
漂う香り。
一見、ただ平和な街の風景。
でも、その裏で。
「……いいかもしれないな」
少し離れた路地の影に、白いローブの男が立っていた。
ルキ。
誰の目にも留まらないように、静かに。
その視線は、エイトたちではない。
さっき怒鳴られていた、あの青年へ向けられていた。
青年はまだ、店の裏手に立っている。
周りの喧騒から少し外れた場所で、俯いたまま。
唇を噛みしめ、拳を握っている。
悔しさ。
情けなさ。
怒り。
恥。
諦め。
胸の奥で行き場を失った感情が、その背中から滲み出ているようだった。
ルキは、それを見つめる。
「……ああ」
静かな声。
「いい“器”だ」
その口元が、わずかに笑う。
ルキはゆっくりと一歩踏み出した。
人混みの影の中へ。
音もなく。
気配もなく。
白いはずの姿が、まるで黒に溶けるみたいに薄れていく。
誰も気づかない。
にぎやかな街の中で、次の“影”が静かに選ばれていた。




