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KAGEは僕だった  作者: SQAPE
Chapter 1「目覚める影」
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7/10

1-7「影のない男」

教室は、静まり返っていた。


さっきまでの破壊が、嘘みたいだった。


吹き飛んだはずの机は、元の列に戻っている。

砕けたはずの椅子も、何事もなかったように並んでいる。

黒く侵食された床も、溶けた壁も、ひび割れた窓も。


全部、元通りだった。


夕焼けだけが、変わらず教室に差し込んでいる。


赤い光が、机の影を長く伸ばしていた。


「……」


早見影都は、その場に立ち尽くしていた。


右手を見下ろす。


さっき、そこから黒い弾が出た。

影が集まって、形になって、怪物を撃ち抜いた。


確かにそうだった。


なのに今、その手には何もない。


傷もない。

黒い痕もない。

熱も、痛みもない。


ただ、少しだけ指先が冷えている気がした。


「……夢、じゃねえよな」


呟いた声は、夕焼けの教室に小さく消えた。


夢だった。


そう思えたら、どれだけ楽だっただろう。


でも、床には月原芽唯が倒れている。


「……おい」


エイトはしゃがみ込む。


メイは教室の床に横たわっていた。

制服は乱れているが、怪我らしい怪我は見当たらない。


顔色は悪い。

けれど、胸は小さく上下している。


生きている。


その事実に、エイトは自分でも気づかないくらい浅く息を吐いた。


「月原」


肩を軽く揺する。


「起きろ」


「……ん……」


小さな声。


メイのまつ毛が震え、ゆっくりと瞼が開いた。

ぼんやりとした瞳が、天井を見上げる。


「……あれ……?」


状況が分かっていない顔だった。


当然だ。


分かっていたら、むしろ困る。


メイはゆっくりと身体を起こそうとして、途中でふらついた。


エイトは一瞬だけ手を伸ばしかける。

けれど、触れていいのか分からず、その手は宙で止まった。


「……私、なんで……」


メイは周囲を見回した。


いつもの教室。

夕焼け。

机。

椅子。

黒板。


壊れた痕跡は、どこにもない。


「……寝てた?」


「たぶん」


エイトは短く答えた。


嘘ではない。


たぶん、という言葉の便利さに、今だけ少し感謝した。


「そっか……」


メイは小さく頷いた。


けれど、その顔は納得していなかった。


何か大事なことを忘れている。

でも思い出そうとすると、胸の奥がざわつく。


そんな表情だった。


「……ごめん」


メイがぽつりと言った。


「なんか……迷惑かけた気がする」


「……」


エイトは一瞬、言葉に詰まる。


迷惑。


たしかに、机は吹き飛んだ。

ツタは飛んできた。

酸みたいなものも吐かれた。

命の危険もあった。


普通に考えれば、だいぶ迷惑だ。


でも。


エイトは視線を少し逸らした。


「気のせいだろ」


ぶっきらぼうに言う。


メイが顔を上げる。


「……そう、かな」


「そういうことにしとけ」


「……うん」


メイは小さく笑おうとした。

けれど、うまく笑えなかった。


その目元には、まだ泣いたあとの赤みが残っている。

エイトはそれを見て、さっき影の中から聞こえた声を思い出した。


――タスケテ。


――イラナイコ。


喉の奥に、何かが引っかかる。

でも、うまい言葉は出てこない。


だから、代わりに言った。


「立てるか」


「……うん」


メイは机に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。


だが、足元がふらつく。


「おっと」


エイトは今度こそ手を伸ばした。


メイの腕を支えようとして――

寸前で、少しだけ止まる。


そして、乱暴にならない程度に、机の方を指さした。


「そこ掴め」


「……あ、うん」


メイは机に手を置き、体勢を立て直す。


少し距離のある優しさ。

エイトらしいと言えば、たぶんそうだった。


「無理すんなよ」


「……ありがとう」


その言葉に、エイトは少しだけ目を逸らす。


「別に」


沈黙が落ちる。


でも、嫌な沈黙ではなかった。


さっきまで教室を満たしていた黒い圧は、もうない。

ただ、何かが変わってしまった空気だけが残っている。


メイは自分の手を見つめていた。


「……私、変な夢を見た気がする」


エイトの目が少し動く。


「どんな」


「分からない。黒くて、苦しくて……でも」


メイは胸元を押さえる。


「誰かが、呼んでくれた気がする」


「……」


「戻ってこいって」


エイトは黙っていた。


言うべきことが見つからなかった。


メイは顔を上げる。


「早見くん?」


「……気のせいだろ」


「また?」


「便利なんだよ、その言葉」


メイは、少しだけ笑った。


今度は本当に、少しだけ。


「そっか」


「そういうことにしとけ」


エイトはロッカーへ向かい、置きっぱなしにしていた教科書を鞄に入れた。


それを取りに来ただけだった。

本当に、ただそれだけだったはずなのに。


「じゃ、先帰るわ」


「あ……うん」


エイトは教室の扉へ向かう。


その背中を、メイは少しだけ見つめていた。


「早見くん」


呼び止められ、エイトは振り返る。


「……ありがと」


何に対してのありがとうなのか。

たぶん、メイ自身にも分かっていない。


エイトは少しだけ間を置いてから、短く答えた。


「……寝落ちの見守り代、今度なんか奢れ」


「えっ」


「冗談」


「冗談に聞こえなかったよ」


「半分本気だからな」


メイは、ほんの少しだけ困ったように笑った。


その顔を見て、エイトは小さく息を吐く。


少なくとも、今は大丈夫そうだ。


「じゃあな」


「うん」


エイトは教室を出た。


扉が閉まる直前、メイはもう一度、自分の足元を見た。

夕焼けに伸びる、自分の影。


それはいつも通り、静かにそこにあった。

けれどメイには、なぜか少しだけ、怖く見えた。


---


廊下は、赤く染まっていた。


夕焼けが窓から差し込み、床に長い影を落としている。

エイトは一人、廊下を歩いていた。


「……なんなんだよ」


ぽつりと呟く。


今日一日の出来事を思い返す。


月原の様子がおかしかった。

教室で怪物になった。

自分の影が動いた。

黒い弾が出た。

知らない言葉が、頭に浮かんだ。


影魔封。


「……意味わかんねえ」


エイトは右手を握ったり開いたりする。


もう何も出ない。

出そうとも思わない。


でも、完全に消えた感じもしない。


何かが身体の奥に残っている。

ずっと前からそこにあったものに、今日初めて気づいてしまったような感覚。


気持ち悪い。


そして、少しだけ懐かしい。


「……は?」


自分の感覚に、自分で眉をひそめる。


懐かしいってなんだ。


そのときだった。


「――素晴らしい」


背後から、声がした。

エイトの足が止まる。


ゆっくり振り返る。


そこに、男が立っていた。


白いローブ。

深く被ったフード。

顔は見えない。


見えるのは、口元だけ。

薄く、楽しげに笑っている。


挿絵(By みてみん)


「……誰だ、お前」


エイトの声が低くなる。


男は答えない。


ただ、拍手でもするように、ゆっくりと両手を合わせた。


ぱち。


ぱち。


音は妙に乾いて、静かな廊下に響いた。


「見事だったよ」


男は言う。


「まさか、あの子を壊さずに戻すとは思わなかった」


「……」


エイトの目が細くなる。


「あの子?」


「月原芽唯」


男は当然のように名前を口にした。


「とても良い影だった。優しくて、脆くて、よく育っていた」


その言い方に、エイトの中で何かが冷えた。


「お前」


一歩、前に出る。


「月原に何かしたのか」


男はくすりと笑った。


「何か、というほど大げさなことはしていないよ」


「……」


「ただ、少しだけ背中を押しただけさ」


エイトの足元の影が、わずかに揺れた。

本人も気づかないほど小さく。


「ふざけんな」


低い声だった。


自分でも驚くくらい、はっきり怒っていた。

男は、それを見て嬉しそうに口元を緩める。


「いい反応だ」


「質問に答えろ。あれは何だ」


「影魔獣」


男はあっさりと言った。


「人の内側にある影が、形を持ったものだよ」


「影……?」


「負の感情。傷。欠落。見ないふりをしてきた本音」


白いローブの男は、ゆっくりと歩き出す。

足音はしない。


「人はみんな、影を持っている。けれど大抵は、それを隠して生きている」


一歩。


「笑顔の下に押し込めて」


一歩。


「優しさの名前で誤魔化して」


一歩。


「“いい子”のまま、少しずつ壊れていく」


エイトは動かない。

動けないのではない。


相手から目を逸らしたら、その瞬間に何かを見落とす気がした。


「月原をああしたのは、お前か」


「彼女の影は、彼女自身のものだよ」


男は微笑む。


「僕はただ、それに名前を与えた」


「言い方変えただけだろ」


「そうかもしれないね」


悪びれない。焦りもしない。

まるで、人を怪物にしたことすら、研究の一部でしかないみたいだった。


「お前、何者だ」


エイトが問う。

男は少しだけ首を傾げる。


「その前に、僕も聞きたいな」


白いフードの奥。

見えないはずの視線が、エイトを射抜く。


「君は、一体どうやって僕の影魔獣を浄化したんだい?」


「知るか」


「知らない?」


「こっちが聞きたいくらいだ」


エイトは右手を見下ろす。


「なんか出た。なんか撃った。なんか封じた。以上」


「……ふ」


男が小さく笑う。


「ひどい説明だ」


「俺もそう思う」


「けれど、面白い」


男は一歩近づく。


エイトは半歩も下がらなかった。


「名前は」


エイトが言う。


「お前の名前」


男は少しだけ間を置いた。

そして、静かに名乗る。


「僕は、ルキ」


その名は、夕焼けの廊下に妙に澄んで響いた。


「ただの人間さ」


「ただの人間?…人を怪物にさせておいてよく言えたな」


「君はそれを人に戻したじゃないか。同じようなもんさ」


「一緒にすんな」


「そう?」


ルキは楽しげに笑う。


「君と僕は、案外近いかもしれないよ」


「……気色悪いこと言うな」


「ひどいな」


軽いやり取り。

けれど、空気は少しも軽くならない。


エイトは、目の前の男から妙な感覚を覚えていた。


嫌悪。

警戒。

不快感。


それなのに、どこか。

見たことがあるような。知っているような。


そんな、説明のつかない違和感。

ルキが一歩、近づく。


「君のことも、少し見せてもらおうかな」


「……何を」


「影を」


ルキの口元が、薄く笑う。

その瞬間、エイトは胸の奥を覗かれたような感覚に襲われた。


ぞわり、と背筋が冷える。

何かが、足元から這い上がってくる。


記憶でもない。

感情でもない。

でも、自分の内側にあるものを、勝手に指でなぞられているような気持ち悪さ。


「……っ」


エイトは思わず一歩踏み込んだ。


「やめろ」


ルキの笑みが深くなる。


「へぇ」


その声は、感心したようでもあり、愉快そうでもあった。


「エイトっていうんだ」


「……!」


エイトの目が見開かれる。


名乗っていない。

誰にも言っていない。


それなのに。


「なんで、俺の名前を……」


「影には残るんだよ」


ルキは静かに言った。


「名前も。記憶も。感情も。その人がその人であるための、輪郭みたいなものが」


「……何言ってんだ」


「まだ分からなくていい」


ルキは後ろへ下がる。


その動きには、戦う気配がなかった。


いや。


戦う必要がない、と言っているようだった。


「今日は十分な収穫があった」


「待て」


エイトは一歩踏み出す。


「逃げんのか」


「逃げる?」


ルキは少しだけ笑う。


「違うよ。今日は挨拶をしに来ただけだ」


「最悪の挨拶だな」


「ふふ」


ルキはゆっくりと踵を返す。

そのとき、エイトは気づいた。


夕焼けは、廊下の床に長い影を伸ばしている。


窓枠の影。

ロッカーの影。

エイト自身の影。


なのに。


ルキの足元にだけ、影がない。


「……お前」


エイトが低く呟く。


「影が……」


ルキは足を止めた。


振り返らない。

ただ、口元だけがわずかに笑う。


「よく見ているね」


その声に、初めてほんの少しだけ感情が混じった。


「またどこかで会おう、エイト」


「おい!」


エイトが走り出そうとした瞬間。

ルキの姿が、すっと夕焼けの中に溶けた。


消えた。


足音もなく。

影も残さず。

まるで最初からそこにいなかったみたいに。


「……は?」


エイトは廊下の真ん中で立ち尽くした。

さっきまでルキがいた場所を見る。


何もない。


ただ、赤い光が床を染めているだけ。


「……なんなんだよ」


同じ言葉が、もう一度こぼれる。


けれど、意味はさっきより重かった。


影魔獣。

ルキと名乗る男。

そして、自分の中から出た、黒い力。


一つも分からない。

分からないことだらけだ。


でも、分かってしまったこともある。


これは、ただの怪異じゃない。

自分とは無関係の事件でもない。


「……面倒くさいことになったな」


ぽつりと呟く。


夕焼けの廊下に、エイトの影だけが長く伸びている。

黒く、細く、当たり前みたいにそこにある。


その影が、ほんの一瞬だけ揺れた気がした。

---Chapter 1「目覚める影」 THE END---

To be continued...

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