1-6「エイトvs影魔獣メイ」
「……マジかよ」
夕焼けの教室。
その半分以上を埋めるように、影の怪物がうねっていた。
ツタのような触手。
食虫植物のように裂けた巨大な口。
黒く脈打つ表面。
机も椅子も、その巨体に押しのけられ、無残に散らばっている。
「おい、冗談だろ……」
エイトが息を呑んだ、その瞬間。
――ビュンッ!!
空気を裂いて、一本目のツタが飛んできた。
「っ!」
反射的に身を引く。
直後、すぐ横の机が粉々に吹き飛んだ。
木片が頬をかすめる。
「おいおい……っ!」
間髪入れず、二本、三本。
鞭のようにしなるツタが、連続でエイトを襲う。
「クソッ!」
床を蹴る。
一歩目を横へ。
二歩目を前へ。
三本目はしゃがんで避ける。
直後、背後の床がばきん、と叩き割られた。
衝撃が足裏から這い上がってくる。
速い。
しかも、長い。
「距離取っても意味ねぇ……!」
エイトは息を乱しながら、教室の後方へ跳ぶ。
その途中で、散らばった椅子を一つ蹴り飛ばした。
椅子は宙を舞い、そのまま影魔獣の正面へ――
――ガバッ。
巨大な口が開いた。
どろり、と黒い液体が吐き出される。
「……っ!」
エイトは目を見開く。
黒い液体は椅子にかかり、じゅう、と嫌な音を立てて侵食した。
金属が溶け、木が泡立ちながら崩れていく。
「酸かよ……!」
しかも、今ので分かった。
あの液体は、口を開いたときしか撃てない。
しかも、吐く瞬間は本体の動きが一瞬止まる。
「……攻撃、三種類か」
自分でも驚くくらい、頭が妙に冴えていた。
ツタ。
酸。
それと――
――パパパパパッ!!
「うわっ!」
黒い“種”のようなものが一斉に弾け飛ぶ。
エイトは咄嗟に教卓の陰へ滑り込んだ。
種は黒板、壁、窓にぶつかって弾け、小さな穴をいくつも穿つ。
破れたカーテンが、夕風もないのにひらりと揺れた。
「……チッ、遠距離までありかよ」
教卓越しに覗く。
さっきの種は、口が完全に開いたあとに撃ってきた。
つまり、酸と種は同時には来ない。
ツタは速い。
酸は重い。
種は連射。
「でも……全部、出す前に“溜め”がある」
ツタは根元がしなる。
酸は口の奥が黒く膨らむ。
種は喉みたいな部分が脈打つ。
見えてきた。
避けるだけなら、たぶんまだいける。
けれど――
「……タス……ケ……」
「……!」
教室の奥から、微かな声がした。
「……タス、ケ……テ……」
エイトの目が見開かれる。
今の声。
間違いない。
「……月原?」
影魔獣の中心。
裂けた黒の奥で、ほんの一瞬だけ、人の輪郭みたいなものが揺らいだ気がした。
中にいる。
メイが、まだ中にいる。
その瞬間、エイトの中で勝ち筋が一つに絞られた。
倒すんじゃない。
**引きずり戻す。**
「……なるほどな」
エイトは教卓の裏で、短く息を吐く。
「じゃあ、本体ぶっ壊せば終わりって話じゃねえ」
――ビュンッ!!
ツタが教卓を叩き割った。
「うおっ!」
木片が飛び散る。
エイトは横へ転がり、すぐに立ち上がる。
追ってくる二本目のツタ。
その軌道を見た瞬間、エイトは近くの机を掴んだ。
「……来いよ」
机を盾みたいに立てる。
ツタがそれを真正面から打ち抜いた。
――が、その一瞬。
ツタの先端が机の脚に絡まる。
「今だろ」
エイトは、絡まったツタの先ではなく――
その“根元”を見る。
影魔獣の本体から伸びる、黒い接続部。
「そこか!」
足元を蹴る。
踏み込んだ、その瞬間だった。
エイトの足元の影が、ぴくりと反応した。
「……!」
黒い影が、床を這うようにエイトの足を上り、腕へ集まる。
冷たい。
でも、不思議と怖くなかった。
むしろ――
最初から、自分の中にあったものみたいに馴染む。
「……使える」
なぜか、そう分かった。
右手の掌に、黒が凝縮していく。
ツタが机を引きちぎり、再びエイトへ向き直る。
「こいッ!!」
エイトは右手を突き出した。
――ドンッ!!
黒い弾が放たれる。
まっすぐに走ったそれは、絡まっていたツタの根元へ直撃した。
「――――ギッ!?」
影魔獣が、大きく揺らぐ。
ツタが一本、だらりと落ちた。
「……当たるのかよ」
自分でも少し引いたように呟く。
けれど、考えている暇はない。
影魔獣が怒ったように巨体を震わせる。
巨大な口が、ばっくりと開いた。
口の奥が黒く膨らむ。
「酸――!」
エイトは左へ走る。
だが、途中で急に進路を変えた。
一直線に逃げると見せかけて、斜め前へ切り込む。
吐き出された黒い液体が、さっきまでエイトがいた床を溶かす。
さらにその飛沫が、近くをうねっていた別のツタにかかった。
じゅうっ、と音が鳴る。
「……やっぱそうか」
エイトは目を細めた。
**あの酸、自分のツタにも効く。**
なら。
「使わせてもらうぞ」
エイトは床の上のプリント束を蹴り上げた。
紙がばさっと宙に舞う。
一瞬だけ、影魔獣の視界を遮る。
その隙に、エイトは机を足場にして跳び、教室中央へ。
「――ビュンッ!」
予想通り、ツタが迎撃に来る。
一本。
二本。
三本。
エイトは空中で身体を捻り、一番近い一本をすれすれで回避。
二本目は、わざと少し近くを通す。
「そのまま来い!」
エイトが着地すると同時に、影魔獣の口が再び開く。
さっきの動きで、相手はエイトを真正面に捉えた。
酸が来る。
だが、それでいい。
「撃てよ!」
どろり、と黒い液体が吐き出される。
エイトは直前で横へ転がった。
酸はそのまま、追いかけてきたツタ二本へ直撃する。
じゅううう、と嫌な音。
ツタが焼け、動きが鈍る。
「っしゃ」
これで、動きが一気に落ちた。
その瞬間だった。
「……ワタ……シ……」
また、声。
今度はさっきよりはっきり聞こえた。
影魔獣の中心。
裂け目の奥で、黒い膜みたいなものの向こうに、少女のシルエットが見えた気がした。
「あそこか……!」
エイトは呼吸を整える。
本体の中心。
メイが閉じ込められている場所。
そこに衝撃を通せば、揺さぶれる。
でも、直接突っ込めばツタにやられる。
なら。
「まず、邪魔なの潰す」
右手に、再び影が集まる。
今度はさっきより早い。
感覚がもう、身体に馴染み始めていた。
「いけッ!」
――ドンッ!!
一発目。
酸で焼けていたツタの根元に命中。
一本、完全に落ちる。
「もう一発!」
――ドンッ!!
二発目。
今度は口の脇。
影魔獣が大きく仰け反る。
「――――グァァッ!!」
その拍子に、口が大きく開いた。
中心部が、見える。
黒の奥に、確かに人の形。
「……月原!」
エイトは踏み込む。
影魔獣が最後の抵抗みたいに、種を連射してきた。
――パパパパパッ!!
「っ……!」
エイトは倒れた椅子を蹴り上げ、それを盾にする。
種が椅子を貫き、穴だらけにする。
だが、その一瞬で十分だった。
エイトは椅子の陰から飛び出す。
距離は、あと数歩。
「……イラナイ……コ……」
かすれた声。
メイの声。
エイトの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
でも、それは迷いじゃなかった。
「……なに言ってんだよ」
低く、吐き出す。
掌に、今までで一番濃い影が集まる。
「そんなわけねえだろ」
一歩。
「お前が勝手にそう思い込んでるだけだ」
二歩。
「……俺は今」
三歩。
「お前を助けようとしてる」
影魔獣が揺れる。
中心の黒が、わずかに震える。
「それが答えだろ」
「……ッ……!!」
「だから――」
エイトは真正面から、その中心を見据えた。
「勝手に消えようとするんじゃねぇ!!」
右手を突き出す。
「……戻ってこい、月原!!」
――ドォンッ!!!
最大の影弾。
黒い一撃が、一直線に影魔獣の中心を貫いた。
直撃。
その瞬間、影魔獣全体の動きが止まる。
ツタが空中で静止し、口も閉じきれないまま固まった。
「……今だ」
エイトは迷わない。
両手を前に出す。
知らないはずの言葉が、頭の奥から浮かび上がる。
理屈は分からない。
でも、これを言えばいいと、なぜか知っていた。
「……影魔封」
その言葉と同時に。
エイトの足元の影が、教室いっぱいに広がった影と繋がる。
暴れていた黒が、ゆっくりと収束していく。
ツタが崩れる。
裂けた口が閉じる。
巨大な塊が、砂みたいにほどけていく。
夕焼けの赤が、少しずつ教室に戻ってくる。
そして――
影の中心から、一人の少女が崩れ落ちた。
「……っ」
エイトは駆け寄る。
床に倒れていたのは、月原芽唯だった。
制服姿の、いつものメイ。
顔色は悪いが、ちゃんと息をしている。
「おい……月原」
反応はない。
でも、胸はかすかに上下していた。
「……はぁ」
エイトはその場に膝をつく。
全身から、一気に力が抜ける。
助かった。
たぶん。
いや、たぶんじゃない。
助けたんだ。
――
一方その頃、教室の外。
窓の向こう、夕焼けの中に、白いローブの男が立っていた。
「……ああ」
静かな声。
「美しい」
フードの奥の口元が、わずかに笑う。
その視線は、教室の中のメイへ向けられていた。
「いい出来だ」
倒れたメイの元へ駆けつけるエイトを見て、男の口元の笑みがわずかに変わった。
「……だが」
低く、興味を含んだ呟き。
「なんだ、あいつは」
ほんの少しだけ。
男の予定にないものを見つけた目だった。
しかしそれも一瞬で消える。
「……面白い」
男は静かに踵を返す。
夕焼けの光の中。
その足元に、影はなかった。
――
教室には、壊れた机と椅子。夕焼け。
そして、静かに眠るメイ。
日常は、もうさっきまでと同じ顔をしていなかった。
答える者はいない。
教室には、壊れた机と椅子。
夕焼け。
そして、静かに眠るメイ。
日常は、もうさっきまでと同じ顔をしていなかった。
でもエイトはまだ知らない。
これは終わりじゃない。
自分の“影”が目を覚ました、始まりにすぎないことを。




