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第九話 前世の話

 その日の訓練は、夕暮れまで続いた。


 俺は六属性の魔法を何度も撃ち込み、ミラは魔力を身体へ流す感覚を掴もうと悪戦苦闘する。

 ヴィヴィアンは途中で一度も答えらしい答えを教えなかった。

 ただ「違う」「今のは惜しい」「もう一度」と繰り返すだけ。

 感覚的なものは、伝えるのが難しいのだろうか。


 それでも少しずつ、俺たちは前へ進んでいた。


 村へ戻る頃には、西の空が赤く染まっていた。

 夕食の席では、父が畑の話をし、母が今年の麦の出来を心配していた。

 ミラは「今日は転ばなかった」と得意げに話していた。


 ヴィヴィアンは楽しそうに相槌を打ちながらスープを飲んでいる。

 昼間、俺へ向けた鋭い視線など嘘だったかのように。


「レオン?」


 母が首を傾げる。


「今日は静かね」


「ちょっと疲れただけ」


「無理しちゃ駄目よ」


「分かってる」


 そう答えながらも、頭の中は昼の出来事でいっぱいだった。


 ――君は、本当にこの世界で育った子なのかな。


 あの一言が離れない。


 十五年間、誰にも気付かれなかった。

 いや、気付かれないように生きてきた。

 前世の知識は便利だったが、それをそのまま口にすれば異端になる。

 だから必要以上に語らず、前世の記憶も「夢みたいなものだ」と自分へ言い聞かせてきた。


 それなのに。

 世界最高の魔法使いは、一日の訓練だけで俺の中に潜む違和感を嗅ぎ取ったのだ。


 夜。家中が寝静まった頃、俺は部屋を出た。

 廊下を歩き、一番奥の客間の前で立ち止まる。

 灯りが漏れていた。まだ起きているらしい。

 小さく息を吸い、扉を叩く。


「どうぞ」


 中へ入ると、ヴィヴィアンは寝間着のまま本を読んでいた。

 机の上には魔法書が何冊も積まれている。


「眠れない?」


 俺は頷いた。


「少し、お話があります」


「私もあるよ」


 本へ栞を挟み、ヴィヴィアンは椅子を勧めた。


「座って」


 向かい合う。

 窓の外では虫の声が聞こえ、蝋燭の火だけが静かに揺れていた。

 しばらく沈黙が続く。

 切り出したのは俺だった。


「一つだけ、約束してください」


「何?」


「これから話すことは……ミラには言わないでください」


 ヴィヴィアンは少しだけ驚いたように目を瞬かせたが、すぐ真剣な表情になる。


「分かった」


「約束できますか」


「先生として約束する」


 その言葉を聞いて、ようやく決心がついた。

 十五年間、一度も口にしなかった秘密。

 胸の奥へ押し込めてきた記憶。


「俺は」


 喉が少しだけ乾く。


「この世界の人間じゃありません」


 蝋燭の火が揺れる。


「正確には、この世界で生まれました。でも、その前に別の世界で生きていました」


 ヴィヴィアンは黙って聞いている。

 驚いているはずなのに、一度も口を挟まない。


「向こうでは、ごく普通の高校生でした」


「高校生?」


「学校です。十五、六歳くらいの子どもが通う」


「なるほど」


 静かな返事だった。


「ある日、事故で死んで……気付いたら、この世界の赤ん坊になっていました」


 自分で言っていても、現実味がない。

 十五年前は受け入れるだけで精一杯だった。

 今になって言葉へすると、なおさらだった。

 ヴィヴィアンは俺の顔をじっと見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。


「やっぱり」


 その声には驚きよりも、長年の疑問が解けたような納得が浮かんでいた。



 ヴィヴィアンは驚かなかった。

 彼女はしばらく俺の顔を見つめ、それから静かに息を吐いた。


「だからだったんだね」


「……信じるんですか」


「全部とは言わない」


 彼女は正直に首を横へ振る。


「でも、納得できることは多いよ」


 机へ肘をつき、指先を軽く組む。


「魔法をそんな風に考える子、この世界にはいないもの」


 俺は苦笑するしかなかった。


「向こうでは、それが普通でした」


「その世界の話を聞かせて」


 好奇心に満ちた目だった。

 魔法使いというより、一人の研究者の目。

 俺は少しだけ考え、言葉を選び始めた。


「俺のいた世界には、魔法はありませんでした」


「一人も?」


「伝説やおとぎ話には出てきます。でも、本当に使える人はいません」


「じゃあ、人はどうやって暮らしていたの?」


「科学です」


 ヴィヴィアンはその単語を小さく繰り返した。


「かがく」


「世界の仕組みを調べて、法則を見つけて、それを利用する学問です」


「例えば?」


「人は空を飛べます」


 ヴィヴィアンが目を丸くする。


「魔法なしで?」


「はい」


「どうやって?」


「金属でできた大きな乗り物を飛ばすんです」


 彼女は一瞬だけ黙り込み、困ったように笑った。


「金属は重いよ?」


「だから揚力を――」


 危ない。

 また向こうの言葉が出そうになり、慌てて飲み込む。


「ええと、空気の流れを利用して飛びます」


「何人くらい乗れるの?」


「ものによりますけど。数百人乗せて飛ぶこともできます」


 ヴィヴィアンは本気で驚いた顔をした。


「そんなに」


 さらに続ける。


「何千キロも離れた相手と、その場で話ができます」


「伝令なしで?」


「はい」


「転移魔法も?」


「使いません」


 正直、転移魔法の方がすごいとは思うけど。


「君のいた世界では、病気は?」


「薬や手術で治します」


「寿命は?」


「この世界よりずっと長いです」


 質問は途切れなかった。

 俺も答え続けた。


 夜空へ届く摩天楼。

 海を渡る巨大な船。

 世界中の知識を誰でも調べられる道具。

 人が初めて月へ降り立った日のこと。


 ヴィヴィアンは途中で何度も目を輝かせて、話を熱心に聞いていた。

 ときには子どものように身を乗り出しながら。


「すごい……」


 ぽつりと漏らす。


「なんて面白い世界なんだろう」


 その反応は少し意外だった。

 世界最高の魔法使いなら、この文明に誇りを持っているものだと思っていた。


「悔しくないんですか」


「どうして?」


「魔法のない世界の方が、この世界より発展してるって聞いて」


 ヴィヴィアンは首を傾げる。


「別に」


 それから少しだけ考え込む。


「でも」


 柔らかな表情が、少しだけ変わった。


「その世界では、世界が沈黙していたんだね」


 俺は眉をひそめた。


「……どういう意味ですか?」


「そのままの意味」


 彼女は窓の外へ目を向ける。

 夜風がカーテンを揺らしていた。


「世界が何も話さないなら、人は法則を探るしかない」


 静かな声だった。


「だから、あなたたちは科学へ辿り着いた」


「それの何が」


「何も悪くないよ」


 ヴィヴィアンは微笑む。


「きっと、その世界ではそれが正しかったんだろうし」


 しかし、と彼女は続けた。


「でもね、レオン。魔法の世界では、君の言う『科学』は成立しない」


 そう、断言した。

 俺は思わず身を乗り出す。


「どうしてですか」


「まあ、それはまた今度ってことで。今日は遅いから」


 ヴィヴィアンは本を閉じる。


「続きは明日」


「いや、そんなところで終わらせないでください」


「睡眠は大事」


「俺は眠れなくなるんですが」


「あらら」


 悪戯っぽく笑う。

 さっきまで真面目な顔をしていた人間と同一人物とは思えなかった。


 結局、それ以上は何を聞いても教えてくれなかった。


 部屋を出る頃には、夜も更けていた。

 廊下を歩きながら、俺の頭の中では一つの言葉だけが何度も繰り返される。


 ――魔法の世界では、科学は成立しない。


 そんなはずがない。

 世界に法則がある限り、人は必ずそれを見つけられる。

 そう思いながらも、ヴィヴィアンがそう断言した理由は、どうしても分からなかった。

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