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第八話 科学と魔法

 ヴィヴィアンが居候を始めて一週間ほど経った頃だった。

 朝食を食べ終えたところで、彼女は唐突に立ち上がった。


「今日から訓練を始めよう」


 黒パンをかじっていた俺の動きが止まる。


「訓練?」


「うん。学園へ入るまで一年っていったでしょう?」


「そうですね」


「一年もあるなら十分」


 ヴィヴィアンはにっこり笑った。


「その間に、徹底的に鍛えるからね」


 その笑顔だけで嫌な予感しかしなかった。


 そして来たのは村外れの森。

 最初にヴィヴィアンと出会った場所だった。


 朝露を含んだ草が足元を濡らし、木漏れ日が地面へまだら模様を落としている。

 鳥のさえずりだけが響く静かな森は、人目を避けて魔法を使うには都合がいい。


「さて」


 ヴィヴィアンは俺とミラを見比べる。


「まずは二人の実力を確認しよう」


「俺はともかく」


 隣を見る。


「何でミラまで?」


「一緒に学園へ行くんでしょう?」


「まあ……受かればですけど」


 ミラは照れくさそうに頭をかいた。


「だったら、今から鍛えた方がいいからね」


 ヴィヴィアンは当たり前のように言う。


「それに、ミラちゃんも放っておくには惜しいから」


「私も?」


「うん」


 ミラはきょとんとしていた。


「でも私、何にもできないよ?」


「そんなことない」


 ヴィヴィアンは首を横へ振る。


「君、自分がどれくらい力持ちか分かってる?」


「えっと……ちょっと?」


 ちょっと、ではない。


 薪割り用の斧を折り、荷車を飛ばし。

 村の大人でも持ち上げられない石を平然と運ぶ。

 それを普通だと思っているのは本人だけだ。


「じゃあ試そう」


 ヴィヴィアンは近くに転がっていた丸太を指差した。


「あの丸太を持ち上げてみて」


「これ?」


「うん」


 ミラは気軽にしゃがみ込むと、両腕で丸太を抱え、そのまま肩まで持ち上げた。


「これでいい?」


「うん、ありがとう」


 ひょいと下ろした丸太が、ドシンと鈍い音を立てる。

 ヴィヴィアンは満足そうに頷いた。


「やっぱり」


「何がです?」


「魔力を纏ってる」


 俺は思わずミラを見る。

 見た目は何も変わらない。

 少なくとも俺には分からなかった。


「でもミラは、魔法は使えませんよ」


「使えないんじゃない」


 ヴィヴィアンは静かに訂正する。


「使い方を知らないだけ」


 ミラは首を傾げた。


「私、魔法使ってるの?」


「無意識にね」


「えぇ……」


 本人が一番驚いている。

 ヴィヴィアンは一本の小枝を拾い、地面へ人の姿を簡単に描いた。


「普通の魔法使いは魔力を外へ流す。炎にしたり、水にしたり、風にしたりね」


 続いて、人型の周りを丸く囲む。


「でも、ごく稀に自分の身体へ魔力を流し続ける人がいる」


「身体に?」


「そう」


 ヴィヴィアンはミラを見る。


「君は生まれてからずっと、それを無意識でやってる」


 森に静寂が落ちた。


「魔力は筋肉だけじゃなくて、骨も、皮膚も、反射速度も全部強くする。だから君は普通の人よりずっと力が強いし、怪我もしにくい」


 そう言われると、思い当たる節はあった。

 ミラは木から落ちても泣かなかった。

 村の子ども同士でぶつかれば、相手だけが尻餅をついた。

 本人は昔から丈夫なのだと思っていたが、違ったのか。


「でも」


 ミラは困ったように笑う。


「火とか出せないよ?」


「それが問題」


 ヴィヴィアンは真剣な表情になった。


「君の中には大きな魔力がある。でも出口を知らない」


 その言葉に、ミラは自分の手を見つめた。

 小さな頃から何度も「力加減を覚えなさい」と言われ続けてきた手だった。


「だから今日から覚えよう」


 ヴィヴィアンは穏やかに微笑む。


「魔法は壊すための力じゃない。使い方を知れば、君は初めて自分の力を自分で選べるようになる」


 ミラはゆっくりと頷いた。

 その横顔には期待と不安が半分ずつ浮かんでいる。

 一方で俺は、その言葉の意味を別の角度から考えていた。



「じゃあ、次はレオン君」


 ヴィヴィアンが一歩下がる。


「好きに魔法を使ってみて」


「好きに、ですか」


「うん。癖が見たいから」


 俺は頷き、森の奥にある大岩へ視線を向けた。

 距離は三十メートルほどだろうか。

 深く息を吸い、魔力を巡らせる。


 炎属性魔法。

 頭の中で魔力を圧縮し、放出速度を計算する。

 燃焼効率を上げるには酸素供給量を――


「《炎弾》」


 呪文の詠唱は、別に必須ではない。

 ただあると、少し安定して行使できる気がする。


 生み出された赤い火球が一直線に飛び、大岩へ命中した。

 その瞬間、一帯に轟音が響く。

 爆炎が上がり、熱風が森を揺らした。


「ふむ」


 ヴィヴィアンは腕を組む。


「もう一回、今度は別の魔法を使ってみて」


 言われるままに、今度は風属性を使う。

 空気の流速を制御し、圧力差を――


「《風刃》」


 透明な刃が木の枝を切り落とした。


「もう一回」


 水。

 土。

 光。

 闇。


 六属性を一通り見せ終えると、ヴィヴィアンは何とも言えない顔をしていた。


「……どうです?」


「変」


「変ですか」


「ものすごく」


 世界最高の魔法使いから「変」と断言された。


「君ね」


 ヴィヴィアンは俺へ歩み寄る。


「魔法を何だと思ってる?」


「現象です」


「現象?」


「はい」


 当然だ。

 炎属性は燃焼や爆轟反応。

 風や水属性は、空気や水などの流体の運動。

 自然法則を魔力で置き換えているだけ。

 そう考えれば理解しやすい。

 光と闇は、まだよくわからないが。


「だから、もっと効率化できます」


「効率化?」


「還元主義的に術式を分解して、魔力消費と出力を最適化するんです。必要な工程だけ残せば――」


「待って」


 ヴィヴィアンが片手を上げた。


「今、何て言った?」


「最適化ですけど」


「その前」


「術式を分解?」


「もっと前、一番最初」


 ヴィヴィアンは首を傾げる。


「さっき、聞いたことのない言葉を言わなかった?」


 しまった、無意識だった。


「還元……」


 口が止まる。


「還元?」


「いや」


「還元主義って聞こえた」


 思わず息を呑む。

 完全に前世の言葉だった。


「それ、どういう意味?」


「えっと」


 説明しようとして、口が止まる。


 還元主義。

 複雑な現象を、より単純な要素へ分解して理解する考え方。

 だが、その説明をするには、前提として物理学や化学や生物学が必要になる。

 しかしこの世界には、その土台が存在しない。


「……忘れてください」


「忘れられない」


 ヴィヴィアンの目が細くなる。


「面白い言葉だったから」


 まずい。

 話題を変えたい。


「……とにかく、魔法は法則です。仕組みさえ理解すれば再現できます」


「違うよ」


 即座に否定された。


「違います?」


「うん」


 ヴィヴィアンは一本の若枝へ手を伸ばす。


「見てて」


 枝が風もないのに揺れた。

 次の瞬間、小さな花が咲く。

 魔法だ。

 しかし魔力の流れがほとんど見えなかった。


「私は命令してない」


「え?」


「お願いしただけ」


 言っている意味が分からない。


「世界に?」


「うん」


「世界は返事するんですか」


「するよ」


 あまりにも当然という顔だった。


「魔法は世界との対話だから」


 その言葉が理解できない。


 世界との対話?


 俺の中では、魔法は入力と出力だ。

 原因があり、結果がある。

 世界は因果と法則に従って動く。

 機械論的自然観と呼ばれるそれは、現代人が持つ当たり前の考え方だ。


「世界は操作するものじゃない」


 ヴィヴィアンは静かに続ける。


「話し合うもの」


「話し合いで炎が出るんですか」


「出るよ」


「意味が分かりません」


「私も君の言っていることが分からない」


 お互い様だった。

 しばらく沈黙が流れる。

 森を渡る風だけが葉を揺らしていた。


「レオン君さ」


 ヴィヴィアンが穏やかな声で言う。


「君、その考え方を誰から教わったの?」


 心臓が一拍だけ強く鳴った。


「本にもない。魔法理論にもない。少なくとも、この世界では聞いたことがない発想」


 逃げ道を探す。

 しかし見つからない。


「それにさっきから、ときどき知らない言葉を使うよね」


 視線が真っ直ぐこちらを見ていた。

 隣にいるミラは事情が分からず、俺とヴィヴィアンとを見比べている。

 一方の俺は、十五年間一度も口にしなかった秘密の危機を感じていた。


「君は、本当にこの世界で育った子なのかな」


 その問い掛けは穏やかだった。

 だが、森の空気が一瞬で張り詰めるほど鋭かった。


 こうも思いもよらない角度から手を掛けられるとは、思っていなかった。

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