第六話 幼馴染の決意
「待ってください」
一度、封筒を閉じる。
「入学、ですか」
「うん」
「俺、男ですよ」
「知ってる」
「ここ女しか入れない学校ですよね」
「今まではね」
今までは。
その一言が嫌だった。
「制度を変えるんですか」
「もう変えたよ」
軽く言われた。
いや、軽く言う話ではない。
「そんな簡単に変わるものなんですか」
「簡単じゃなかったよ」
ヴィヴィアンは苦笑する。
「皇帝陛下と議会と学園理事会を説得するの、大変だった」
さらりと言う。
帝国の最高権力者を並べて「大変だった」で済ませる人間。
そんな人間が、この世界に何人いるのだろう。
「反対は当然あった。でもこれまで学園に女性しか入れなかったのは、これまで男の魔法使いがいなかったから、ただそれだけの理由。男の魔法使いが存在すると分かった以上、教育制度を整えない方が危険だって説明したら、最終的には納得してもらえた」
「俺の意見は」
「聞けなかった」
即答だった。
「ごめん」
謝るのも早い。
怒る気も失せる。
「君が断る可能性は考えたよ。でも、断ったとしても学園へは来てもらうつもりだった」
「それ、選択権あります?」
「ないかな」
「でしょうね」
結局そこへ落ち着く。
世界唯一の男の魔法使い、しかも六属性すべてを扱う魔法使い。
そんな存在を野放しにするほど、帝国も甘くはない。
「でも安心して」
ヴィヴィアンは人差し指を立てる。
「特別扱いはしない」
「今の時点で十分特別扱いですよ」
「そこは否定できない」
本人も自覚はあるらしい。
「ただ、学園へ入ったら君は一生徒だ。授業も試験も評価も全部同じ。私も学園長として身内びいきは一切しない」
その言葉だけは強かった。
森で会ったときとは違う、学園長として話している声だった。
「もちろん、私の弟子だからって加点もしない。逆に減点もしない。実力だけで評価する」
「……その方が助かります」
中途半端な優遇ほど居心地の悪いものはないからな。
「ただし」
ヴィヴィアンは少しだけ視線を逸らした。
「周りがどう反応するかまでは保証できない」
それはそうだ。
女子しかいない学園へ男子が一人。
そりゃあ、騒ぎにならない方がおかしい。
「ちなみに」
恐る恐る尋ねる。
「女子寮ですよね」
「女子寮だね」
「俺は」
「もちろん別」
「男子寮は」
「新しく建てる」
思わず天を仰いだ。
「一人のために?」
「うん」
「税金の無駄遣いでは」
「私もそう思ったんだけど、安全面を考えると必要だからって」
「誰が」
「皇帝陛下」
規模が大きすぎる。
俺一人のために制度が変わり、寮が建つ。
胃が痛くなってきた。
「レオン」
ミラが袖を引っ張る。
「学園ってすごいの?」
「帝国で一番の学校だよ」
「へえ」
「へえ、で済ませる話じゃない」
「レオンなら大丈夫でしょ」
「何の根拠もないな」
「何となく」
その何となくで人生を決められるのがミラだった。
その図太さは少しだけ羨ましい。
「そうだ」
ヴィヴィアンが何かを思い出したように手を叩く。
「ミラちゃんも受験する?」
「え?」
今度はミラが固まる番だった。
「わ、私が?」
「うん。年齢もちょうどだし」
「でも私、貴族じゃないよ?」
「関係ないよ」
ヴィヴィアンは穏やかに笑う。
「ユーレリア魔法学園は身分じゃなくて、魔法の才能で入る学校だから」
●
ミラはしばらく黙っていた。
さっきまでの明るい表情は消え、川面を見つめたまま唇を結んでいる。
何かを考え込むときの癖だった。
普段は思ったことをそのまま口にするが、本当に大事なことには時間をかける。
「……難しいの?」
ぽつりと尋ねる。
「入学試験」
「簡単ではないね」
ヴィヴィアンが答えた。
「帝国中から優秀な子が集まるから。魔法の適性だけじゃなくて、筆記試験もある」
「筆記……」
ミラの肩が少しだけ落ちる。
この世界には、現代日本のような公的な意味での教育制度はない。
ミラが家で暮らすようになってから、文字の読み書きは俺が教えた。
和差算や鶴亀算程度なら、日常生活で困らない程度にはできるようにもなった。
それでも、貴族の子女が幼い頃から受けてきた教育には到底及ばないだろう。
「私、多分頭よくないし」
珍しく弱気な声だった。
「魔法だって、そんなに上手じゃない」
「それは違うよ」
ヴィヴィアンは静かに首を横へ振る。
「君は魔力の制御が粗いだけ。魔力量も身体能力も、同年代ではかなり高い」
「そうなの?」
「そう、そしてそれは訓練で改善できる」
そう聞いても、ミラは納得しきれない顔をしていた。
ミラは昔から、自分の長所には驚くほど鈍感で、短所ばかり気にする。
「レオンはどうなの?」
不意に話を振られた。
「どうなのって」
「私が受けるの」
俺は少し考える。
正直に言えば、来てほしい。
知り合いが誰もいない場所で一人だけ浮いた存在になるのはきつい。
ミラがいてくれた方が、気は楽だ。
だが、それは俺の都合だ。
「自分で決めろ」
結局、そう答えた。
「学園へ行くのはお前なんだから」
「むぅ」
ミラは不満そうに頬を膨らませる。
「そういうとこ、ずるい」
「ずるくない」
「レオンなら『来い』とか『来るな』って、はっきり言うと思った」
「他人の人生を左右するアドバイスを軽率にして、あとで後悔されたら困る」
そう、これは人生を決める選択だ。
俺が決めることじゃない。
ミラは俺をじっと見つめ、それから困ったように笑った。
「でも」
その笑顔は、どこか照れくさそうだった。
「私、一人で決められるくらい賢くないから」
「そんなことは」
「あるよ」
あっさり遮られる。
「昔だってそうだったもん」
ミラがまだうちに来る前。
今日食べる物もなく、明日生きている保証もなかった毎日。
その時のことを、ミラはほとんど語らなかった。
それに、俺もあえて聞く気はなかった。
人生は十人十色だ。
軽率に人の人生に口を出すべきではない。
「そんな私を、レオンが助けてくれた」
「ああ」
「字も、本も、お金の数え方も」
「うん」
「だから今の私は、半分くらいレオンが作ったんだよ」
そんなつもりはなかった。
ミラの姿を見ていられずに助けたのは、俺のエゴだ。
勉強だって同じ、暇だったから教えただけだ。
前世の知識が少し役立っただけ。
それ以上でも以下でもない。
「だから」
ミラは真っ直ぐ俺を見る。
「レオンが学園へ行くなら、私も行く」
「……理由になってないぞ」
「いいの」
きっぱりと言い切った。
「私はレオンについていきたい」
あまりにも迷いがなかった。
ミラとの間にあるのは、恋みたいな甘い響きではない。
もっと単純で、もっと長い時間を積み重ねた、重い信頼関係だった。
「一人だと心配だから」
「心配されるのは俺なのか」
「だってレオン、放っておくとご飯食べるの忘れるし、考え事ばっかりするし、具合悪くても寝れば治るって言うし」
「……否定できない」
「でしょ」
ミラは勝ち誇ったように笑う。
ヴィヴィアンはやり取りを少し離れた場所から眺め、穏やかに目を細めていた。
「決めました。私、受験します」
ミラは改めてヴィヴィアンへ向き直る。
「受かるか分からないけど、頑張ります」
「うん」
ヴィヴィアンは嬉しそうに頷いた。
「その言葉が聞けてよかった」
「あ、でも!」
ミラは照れ隠しのように頭をかく。
「一番の理由は難しいことじゃなくて」
一度だけ俺を見て、少しだけ笑う。
「レオンが知らない人ばっかりのところで、一人ぼっちになるのは嫌だからっ!」
その一言に、俺は返す言葉を失った。
皮肉ならいくらでも思い付くのに、不思議なくらい口が動かない。
ただ、春先の風が川面を渡り、俺の頬をくすぐったせいだと思うことにした。




