第三話 弟子入りの誘い
ヴィヴィアンは俺の表情を見て、小さく息をついた。
「やっぱり気付いていたんだね」
「……何となく、ですけど」
「十分だよ。普通なら、それすら分からないまま壊してしまうから」
壊す。
何を壊すのか。自分か、周囲か、それとも——。
聞き返そうとしたが、ヴィヴィアンの方が先だった。
「魔法を使うたびに、違和感を覚えなかった?」
「あります」
隠しても仕方がない。
「一つの属性だけなら問題ないんです。でも二つ、三つと同時に使うと、途中から自分の魔力じゃなくなるような感覚がある。うまく言えませんけど……流れが勝手にどこかへ行くというか」
「暴走寸前だね」
あまりにもあっさり断言された。
「暴走?」
「そう。もっと正確に言えば、世界との釣り合いが崩れ始めてる」
また分からない言葉だ。
俺が眉をひそめると、ヴィヴィアンは足元に落ちていた小枝を拾った。
地面に円を一つ描く。
「魔法っていうのはね、世界へ命令する力じゃないんだ」
円の中へ、一本の線を引く。
「世界と交渉する技術なんだよ」
「交渉?」
「炎を出したいとする。でも何もない場所から熱は生まれない。魔力という代価を払って、初めて火が灯る。風を起こすなら空気を動かすだけの仕事がいるし、土を隆起させれば別の場所へ負荷がかかる」
彼女は描いた線を指でなぞった。
「だから魔法には必ず帳尻がある。優秀な魔法使いほど、その合わせ方が上手い」
「俺は?」
「帳簿を見ないまま買い物してる」
何とも嫌な例えだった。
「つまり借金してるってことですか」
「そういうこと」
ヴィヴィアンは苦笑した。
「しかも限度額が見えない」
冗談ではない。
借金という言葉は、貧乏男爵家で育った俺には妙に現実味があった。
返せる見込みのない借金ほど恐ろしいものはない。
「……じゃあ、魔法を使わなければ」
「いずれ使うことになる」
即答だった。
「君はもう魔法使いだから」
静かな声だった。
諭すでもなく、脅すでもない。
ただ事実を置くように言われると、反論の余地がない。
「隠して生きることはできる。でも世界は、君を放っておかない」
何も返せなかった。
実際、半年で世界最強に見つかっている。
この先十年、二十年と秘密を守り切れるほど、俺は器用じゃない。
「だから提案がある」
ヴィヴィアンは小枝を放り投げ、俺を真っ直ぐに見た。
「私の弟子にならない?」
あまりにも自然な口調で、一瞬意味が追いつかなかった。
「……弟子?」
「うん」
「世界最高の魔法使いの?」
「そう」
「俺が?」
「君が」
思考が空転する。
目の前の女性は、帝国中の魔法使いが教えを請いたいと願う存在だ。
その人が、貧乏男爵家の三男でしかない俺に「弟子になれ」と言っている。
普通なら飛び上がって喜ぶ場面だろう。
だが、俺の口から出たのは別の言葉だった。
「……断ったら?」
ヴィヴィアンは少しだけ目を丸くした。
それから、くすりと笑う。
「その質問をするところが、やっぱり君らしいね」
●
俺らしいと言われても困る。
世界最高の魔法使いの弟子になれる。
そんな話を断る人間など普通はいないだろう。
だが——だからこそ怪しい。
うまい話には裏がある。
前世でも今世でも変わらない人生訓だ。
「確認なんですけど」
「うん?」
「弟子になったら人体実験されたりしません?」
「しないよ」
「解剖も?」
「しない」
「地下牢に監禁されたり」
「しないしない」
「睡眠時間が三時間になったり」
「それは私が嫌だなあ」
最後の返答だけ妙に実感がこもっていた。
「じゃあ、何で俺なんです」
ようやく本題を口にする。
「帝国中を探せば、もっと優秀な子はいくらでもいるでしょう」
「いるね」
「俺は男爵家の三男です」
「知ってる」
「家は貧乏です」
「うん、それも半年見てたから知ってる」
全部知っているらしい。
それなのに誘う理由が分からない。
ヴィヴィアンは少し考えるように空を見上げ、それから苦笑した。
「才能だけなら、君より上はいくらでもいるよ」
意外だった。六属性が使えてもか。
だがヴィヴィアンが言っているのは、そういう話ではないらしい。
「魔力の総量ならアリシア・オルドウィンの方が上だろうね。計算能力ならライラにも敵わない。身体能力なら……あと何年かしたら、君の幼馴染にも負けるかもしれない」
「幼馴染?」
「ミラちゃん」
思わず変な声が出そうになった。
ミラまで知っているのか。
「あの子、将来すごいよ」
「今でも十分すごいですよ」
薪割りを手伝わせれば薪より先に斧を壊す。
荷車を押させれば車輪ごと持ち上げる。
それでも本人は力加減が苦手なだけだと言い張る。
村では「あの子には重い物を持たせるな」が半ば共通認識になっていた。
「でも君には、その子たちにないものがある」
「何ですか」
「怖がれること」
今度こそ意味が分からなかった。
「怖がる?」
「君は魔法を恐れてるでしょう」
否定できない。
便利だとは思う。強いとも思う。
けれど、それ以上に恐ろしかった。
自分一人の意思で炎が生まれ、風が吹き、地面が割れる。
その力が制御を外れかけた感覚を、一度でも知ってしまえば——
無邪気に振り回そうなんて思えるはずがない。
「強い力を持った人ほど、自分は特別だと思い始める」
ヴィヴィアンは穏やかに、だがはっきりと言った。
「でも君は、力を手にしてまず最初にやったことが、それを隠すことだった」
返す言葉がなかった。
「誰かを傷つけるかもしれないと想像できること。それは才能じゃなく、資質だよ。魔法使いに一番必要な資質」
褒められているのだろう。たぶん。
だが素直に喜べるほど、俺は自分の魔法を信用していなかった。
怖いと思うのは当然だ。
あの暴走しかけた感覚を知っていて、怖くないわけがない。
「それにね」
ヴィヴィアンは肩をすくめた。
「君を放っておく方が、もっと危ない」
それは妙に納得できた。
独学で続ければ、いつか本当に何かを壊すかもしれない。
なら専門家に教わる方がいい。
理屈としては理解できる。
理解できるのだが。
「一つだけ条件があります」
「聞こうか」
「弟子になっても、有名人にはなりたくないんです」
「うん」
「英雄にも興味ありません」
「うん」
「俺は普通に生きたいだけです」
ヴィヴィアンはしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「それは多分、一番難しいお願いだよ」
それはさすがに、想像はつく。




