表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/9

第二話 世界最強の魔法使い

 反射だった。

 考えるより先に体が動く。

 声のした方へ振り向きながら距離を取り、背中を木の幹へ付ける。


 格闘技の心得があるわけじゃない。

 この世界で暮らすうちに身についた、ただの反応だ。

 魔物と出くわしたとき、最初の一歩が遅い人間は死ぬ。

 それだけは学んでいた。


 木立の向こうから、一人の女性が姿を現した。


 白いローブが目に入る。森を歩くには場違いなほど上質な仕立てだ。

 銀色の長い髪が陽光に揺れている。蒼い瞳。

 年の頃は二十代半ばにも三十代にも見える。

 だが、どちらとも断じ切れない不思議な印象を受けた。


 ローブの裾には枯れ葉が何枚もくっついている。

 本人は気にする様子がない。


「警戒しなくていいよ」


「そう言う人ほど信用できないんですが」


「ひどいなあ」


 口では困ったように笑いながら、その女性は一歩も動かない。

 俺も動かない、というより動けない。

 森に風が吹いて、枝葉の揺れる音だけが妙に大きく聞こえた。


「いつから見てたんですか」


「半年前くらいかな」


「……最悪だ」


「うん、私もそう思う」


 思わず額を押さえた。


 半年。

 つまり俺が魔法を使えると気付いてから、ほぼ全部見られていた。


 逃げるか。

 ……いや、無理だ。

 この距離まで気配を悟らせずに近づける相手だ。

 そんな相手から逃げ切れると思うほど、俺は自分を過大評価していない。


「質問しても?」


「どうぞ」


「俺を捕まえに来たんですか」


 女性はきょとんと目を瞬かせ、それから堪え切れないというように吹き出した。


「あははっ。なるほど、そう考えるよね」


「笑い事じゃないでしょう」


「ごめんごめん。でも安心して。少なくとも私は、そのつもりはないよ」


 その言葉を、そのまま信じるほどお人好しではない。

 ただ、嘘をついているようにも見えなかった。

 何より、もし敵意があるなら俺はとっくに無力化されている。

 そんな確信だけがあった。


「自己紹介がまだだったね」


 女性はローブの裾をつまみ、貴族らしい優雅な一礼を見せた。


「ヴィヴィアン・ナイトウッド。魔法使いをやってる」


 思考が止まった。


 ヴィヴィアン・ナイトウッド。

 この帝国に暮らしていて、その名を知らない人間はいない。

 世界最高の魔法使い。たった一人で大陸の魔法理論を百年進めたと言われる天才。

 絵本にも歴史書にも載っている名前だ。


 とはいえ。

 俺は目の前の女性と、聞き知った伝説を何度も照らし合わせた。

 どうみても、一致しない。

 目の前の女性は英雄というより、近所を散歩しているだらしないお姉さんだ。


「……本物ですか?」


「その反応、結構傷つくなあ」


 ヴィヴィアンは苦笑しながら頭をかいた。

 その拍子に、髪に引っかかっていた小枝がぽとりと落ちる。

 本人は気づいていない。


 この人、本当に大丈夫なのか。



 もっとも、一言二言話した程度で安心できるほど、俺は能天気ではなかった。

 目の前にいるのが、本当にヴィヴィアン・ナイトウッドなら。

 逃げる理由は十分にある。

 逃げ切れる理由は、一つもない。


「……で、俺をどうするつもりですか」


 観念して尋ねると、ヴィヴィアンは少しだけ首を傾げた。


「どうする、か」


 その声音には迷いがあった。

 まるで半年も考え続けた問いなのに、まだ答えを出せていないような響き。


「最初はね、見間違いだと思ったんだ。男の子が魔法を使うなんて、理論上ありえないから」


 それはそうだろう。俺だって信じられなかった。


「でも何度見ても同じだった。炎、水、風、土、光、闇。その六つ全部」


 ヴィヴィアンの視線が変わった。

 さっきまでの飄々とした雰囲気が消えている。


「しかも見よう見まねじゃない。君は、ちゃんと理解して使ってる」


「理解ってほど大したものじゃ……」


「してるよ」


 きっぱりと言い切られた。


「魔法ってね、みんな才能で使っちゃうんだ。呼吸みたいなものだから、自分が何をしているのか説明できない人がほとんど。でも君は違う。失敗して、試して、比べて、一番効率のいい方法を探してる」


 図星だった。


 炎が暴発すれば出力を下げ、水流が乱れれば魔力の流し方を変える。

 風の向きを記録し、土壁の厚さを何度も測る。

 前世の理科の実験みたいなことを、俺は半年間ずっと繰り返してきた。


「どうして分かったんです」


「地面を見れば分かるよ」


 ヴィヴィアンは足元を指差した。

 言われて初めて気づく。


 木々の間隔が妙に均一だった。

 地面には掘り返した跡があり、焦げた切り株が何本も並んでいる。

 少し離れた場所には不自然に盛り上がった岩がある。


「同じ条件で何度も試験してるでしょう。研究者ならすぐ分かる」


「……恥ずかしいな」


「うん、かなり」


 さらりと言われ、ため息が漏れた。

 これでも隠していたつもりだった。

 専門家から見れば、実験場の看板を立てていたようなものらしい。


「だから興味が湧いた」


 ヴィヴィアンは笑みを消した。


「男だからじゃない。六属性だからでもない。君は魔法を『考えて』使っている。それが面白かった」


 森が静まり返る。

 鳥の声さえ遠くなった。


「でもね、レオン」


 初めて、彼女は俺の名を呼んだ。


「面白いで済ませられないことも、分かってしまった」


 その一言で、空気が変わった。


 足元の草が伏せた。

 木々が押し黙ったように動きを止めている。

 呼吸が浅くなる。

 立っているのがやっとだった。


 魔力を放出したわけでもない。

 ただ本気の目で、俺を見ただけだ。

 これが世界最強。


「君の魔法は危険だ」


 穏やかな声だった。

 だからこそ——冗談では済まない。


「今の君は、自分が何を扱っているか分かっていない。使い方を間違えれば、君だけじゃなく、周りの人間まで巻き込む」


 反論しようとして、できなかった。

 自覚があったからだ。


 六つの属性を組み合わせた瞬間。

 魔力の流れが、自分の意思から外れそうになる。

 その得体の知れない感覚。

 半年間ずっと、俺は誰にも言えずに飲み込んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ