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17.ヒューイの願い




 その日の夜、俺の部屋にヒューイが来た。ヒューイが部屋に来ること自体は、特別珍しいことでもない。俺は何も考えずに迎え入れたんだけど。

 ヒューイの様子が普通じゃなかった。



「ヒューイ? どうした?」



 珍しくも黙り込んで、何かを考えてるみたいだ。でも俺の部屋でやる意味がわからない。

 いや、王都にいる時ならよくあるけどね。俺の部屋で仕事して、何か考えこんでること。でもここには仕事なんて持ち込んでないし、俺が目に入ってない様子なのも珍しい。呼びかけにも反応しないや。

 ってなると、このまま放置するしかないな。しばらくしたら考えもまとまるかもしれないし、放置してお風呂に入ることにした。


 ルディの用意してくれた部屋には、ちゃんと浴室とバスタブが付いてる上、常にお湯で満たされてる。魔法でこんなことまでできるらしい。本当に便利だ。

 ばしゃばしゃと体を洗ってから、お湯に浸かる。ふぃー……気持ちがいい。やっぱりお風呂って大事だよな。昨日は入る前に寝ちゃったけど、一日の疲れをとる、って大事だよ、うん。


 お湯に浸かって、目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、昼間に見た映像だった。



「……前の神子、か」



 何の躊躇いもなく、いろんな人にキスしてたな。視界を覆われたから見えなかったけど、もしかしてセックスも複数の人と関係を持ってたのかな? 俺には考えられないことだ。

 いや、でも女性だったら違うのかなぁ。顔はいいもんな、みんな。動物耳とか尻尾とか羽とかついてるけど。俺みたいに動物好きであれば、欠点にもならない気がする。

 俺と違って、男同士ってわけでもない。もしかしたら昔の一夫多妻制みたいな時代の人かもしれないし、時代が違えば常識も違う可能性は高いよな。うんうん。


 そこまで考えて、頭に浮かんだのは出発する前日のマルクスだ。彼女もあんなにも真っ直ぐに好意を伝えられたのかな。そうだとしたら…………ちょっと、気持ちはわかるかもしれない。



「……でも、俺には無理だ」



 無理。絶対に無理。そりゃ、好意を向けてくれるのは嬉しいけどさ。でも、俺は常識的な日本人だ。男同士、それも複数人とかさ……かなり無理。嬉しいのと、受け入れられるかどうかは全くの別問題だ。



「あー、もう。考えるのやめやめ!」



 せっかくのリラックスタイムなんだ。どうなるかもわからないことで悩むのはやめにして、もう上がろう。

 湯から上がって、体を拭いて、真新しそうな服に着替えて、部屋へと戻る。この世界、いろいろ便利だけど魔法が使えないと不便なこともたまにある。ドライヤーがないとかね。お城にいる時はシロがやってくれるんだけど、今はいないからタオルドライするしかない。女性ほど長くないから、困らないけどさ。


 わしゃわしゃと髪を拭きながら部屋に戻れば、ヒューイは風呂に入る前と同じ場所に同じ体勢のままいた。ったく、本当にどうしたんだか。そんなにショックなものを見たのかな。

 流石にヒューイを無視して寝るのは失礼だよな。っていうか、ヒューイのいる状況で寝たら、マルクスに怒られる気がする。俺だって落ち着いて寝れないよ。ちゃんとお帰りいただかないと。



「ヒューイ」



 呼んでみたけど、反応はない。まぁ、想像通りだ。だから今度は実力行使に出てみた。



「ヒューイ!」



 目の前でぱんと手を合わせれば、やっと反応が返ってくる。びくっと体を揺らして、今までどこを見てるのかわからなかった瞳に、はっきりと俺が映った。

 で、驚いたみたいに目を丸くしたかと思えば、すぐにくしゃりと歪むものだから、俺の方がびっくりした。



「ごめん! そんなにびっくりした!?」



 なんで急にそんな泣きそうな顔をするんだよ!?


 慌てて謝ったけど、ヒューイはまだ泣きそうな顔のままふるふると首を横に振る。で、俺が伸ばしたままだった手を、両手で握りしめてきた。



「神子様……お願いを聞いてもらえますか?」



「俺にできることなら」



 ヒューイにはお世話になってるし、返せるものはちゃんと返したいと思ってる。俺にできることならなんでもするさ。

 俺の言葉を聞いて、ヒューイはまた表情を歪ませる。かと思えば立ち上がって、いつぞやのマルクスたちみたいに俺の前に跪いた。



「俺に、貴方のはじめてをください」



「……………………」



 なんて? マジで今なんて言った? 頭が理解を拒んでるんだが。

 固まってしまった俺の前で、ヒューイは縋るように俺の手に額を押し付けてきた。



「貴方がこの世界に来た時、初めて触れたのはあの化け猫だ。貴方のお守りを最初にもらったのも。その上、貴方が初めて力を発揮したのは馬鹿トラを助けるためで、浄化も忠誠さえも、あの男が持っていった」



 ああ! 初めてってそういうこと!? 昼間に見たものが見たものだったから、エッチなやつかと思った! とりあえず何でもいいから、初めての何かがほしい、ってことね!

 危ない危ない。変なことを口走る前に教えてくれてよかった。

 んー……でも初めてねぇ……



「初めて街に行った時、ヒューイも一緒だったじゃん」



「あの馬鹿トラも一緒でした。私だけの初めてが欲しいのです」



 ダメかぁ……これは簡単なものじゃ納得してくれないかも。

 他に初めてって何がある? ぱっと思いつかないな。そもそも、この世界で何があるかもわからないし……うーん……

 悩み始めた俺の手を、ヒューイがギュッと握りしめる。少し痛いそれに促されるようにヒューイを見れば、



「どうか俺を、貴方の神聖力のタンクにしてください」



「うん!?」



 今何かすっごい不釣り合いな単語が聞こえなかった!?

 びっくりして声が裏返った。でもヒューイは真剣な顔で俺を見たまま、俺の顔へと手を伸ばしてくる。


 あ、これまずい。


 そう思った次の瞬間には、ヒューイの綺麗な顔が目の前に迫っていて、唇になにかが触れる感触があった。

 何かなんてもう考えるまでもない!!



「っ、ふ」



 呼吸ができない。口の中に舌が入ってきたと思えば、俺の全部を食い尽くすみたいに縦横無尽に動き回ってる。それだけじゃなくて、呼吸も唾液も何もかもを奪っていくみたいにじゅるりと吸い上げられて、知らない感覚に背中がゾクゾクとした。

 マルクスの時も食われると思ったけど、全然違う。こっちのほうが、なんか、やばい!!

 ドンドンと胸を叩いたけど、びくりともしない。何度か呼吸を促すように離れていったけど、すぐにまた覆いかぶさってくるから、逃げ場もないままに好き勝手される。


 酸欠で頭がくらくらしてきた。力の抜けた俺は、ヒューイに支えられてないと立つことさえできなくなる。

 そんな俺に気付いてくれたんだろうか。ヒューイはやっと俺を解放してくれたけど、



「……やはり、俺じゃダメなんですか?」



 って、泣きそうな顔で言ってきた。泣きたいのは俺の方なんだけど!?


 別にキスすることが神聖力を渡す条件じゃない。俺がマルクスを助けた時も、昼間見た映像も、どっちも口移しだったから、ヒューイが誤解するのはわかるんだけど。

 でもそれを伝えるには、俺はまだ酸素が足りない。必死に空気を取り込んでいたら、ヒューイの思考はまたぶっ飛んだところに行ったみたいだ。



「いや、こっちなら」



 俺を支えていた手が、滑るように下りていく。体のラインをなぞるように触れたのは、俺の下腹部だ。つまりは……貞操の危機!!

 まずい。非常にまずい!



「ひゅ、い!!」



 酸欠状態のままだから、名前もちゃんと呼べない。だけどヒューイがやっと止まってくれたから、隙をついて今度は俺から口付けた。


 少しだけ。本当に少しだけ、ヒューイに神聖力を。


 火事場の馬鹿力、ってやつかな。やり方なんて知らないはずなのに、どうやら成功したみたいだ。

 わずかに光ったと思えば、熱さはすぐにヒューイに移っていく。マルクスの時と比べたら、本当に微々たるもの。子供だましみたいなものだったけど。

 それでも、ヒューイを止めることには成功した。



「っ! これが……」



 俺が離れれば、ヒューイは自分の唇に触ってる。もう片方の手は相変わらず俺を支えてくれていたけど、とりあえずは落ち着いたみたいで一安心だ。


 はー……新鮮な空気がうまい。まさかヒューイにこんなことをされる日が来るとは。マルクスの忠告は正しかった、ってことなんだろうか。こんなこと、実感したくなかったよ。

 俺が呼吸を整えている間に、ヒューイも冷静さを取り戻したみたいだ。俺を見てバツが悪そうな顔をしたものの、嬉しさを隠せてないんだけど。



「神子様」



「……何?」



「貯蔵するには、まだ少ないのでは?」



「うるさい、この馬鹿!!」



 まさかヒューイを馬鹿呼ばわりする日が来るとはな。でも今の俺の心からの叫びでもある。

 馬鹿! ほんと、この、馬鹿!!!!


 俺の語彙力のない罵倒に、ヒューイは少しだけ驚いた顔をする。でも俺は止まれなかった。



「タンクの意味わかってる!? 俺はヒューイを物扱いするつもりなんてない!!」



「保管庫のようなものでしょう? 神子様のためにも有益ですし、俺は喜ばしいですが」



「しないっていってんだよ!! 俺は発電所じゃないんだからな!!」



 これは例えがよくなかったかも。ヒューイが「何言ってんだ?」って顔してる。この世界には電気ないもんね、ごめん。

 ちょっと勢いが削がれたけど、気持ちを強く持ってヒューイを睨む。



「神聖力さえあれば俺はいらない、って言ってるように聞こえる!!」



「っ!?」



 今度はちゃんと通じたらしい。今まで見たことがないくらいヒューイの目が大きくなったかと思えば、次の瞬間には一気に顔が真っ青になった。



「お、おれは、そんなつもりは……!」



「わかってる。わかってるから、もう言わないでくれ!!」



 今度はちゃんと伝わったかな。ヒューイは何度も何度も首を縦に振って、その場に崩れるように座り込んでしまった。

 え、待って。そんなにショック受けるようなこと言った? 不安になってきた。



「ヒューイ?」



 普段は見上げることが多いから、俺が見下ろしてるのは新鮮だ。ヒューイってこんなに小さくなるんだ。

 ど、どうしよう。たぶんこれ、めちゃくちゃ落ち込んでる。背中を丸めてるから顔は見えないけど、もう哀愁が漂いまくってるんだよ。えー、これって俺のせい? ヒューイの自業自得だと思うんだけど。


 でも流石に放置はできない。ヒューイに近付いて、顔を抱えるように手を回した。抱き着くというより、覆いかぶさるのほうが正しいか? 苦しくてもダメだし、と思うと、力を込めることも出来ない。

 だけどヒューイには驚きだったみたい。わずかに体が震えたけど、顔を上げることはなかった。


 まぁいいや。このまま進めよう。



「どうして急にそんなことを言いだしたの?」



 できるだけ優しく聞いても返事はない。でも今は待つ時間だ。俺の言葉は聞こえてるようだから、この体勢のまま静かに待つ。


 この体勢だと、ヒューイの背中の翼がよく見える。すごいな、本当に背中から生えてるんだ。

 服には穴が空いてるんだと思ってたけど、服自体ががっつり背中が空いてるわ。上からストール的なのを巻いて隠してるだけだったんだね。

 まぁ、翼が大きすぎて、穴じゃ通らないのかもしれない。ってなると、ウーヴェも同じような感じなのかな? 今度注意して見てみよう。


 ヒューイが何も言わないのをいいことに、現実逃避も兼ねて普段は出来ない観察をしていたら、急に背中に手が回された。



「神、殿で」



 いつものヒューイに比べたら、ずっとずっと小さな声だ。絞り出すように紡がれる言葉を聞き逃さないよう、俺は耳を澄ませて続きを待つ。



「昔の神子が獣人たちに愛を与えていたのを見て、どうしようもなく、羨ましく、なって、しまった……です……」



 お、おおう……ヒューイ自身もすごいこと言ってる自覚があるんだろうな。元々小声だったけど、最後の方はもうかすれて聞こえないくらいだったぞ。



「そっかぁ……」



 それ以外になんて言えばいいんだ。俺にはわからない。


 愛を与えていた、って、どのシーンのことだろう? 口移しで神聖力を渡したり、たぶんセックスしてる映像が、ヒューイには愛のある行為に見えたのかな? いや、普通は愛がないとできない行為だ。ヒューイの認識は正しいはず。はずなんだけど。

 でも俺には神聖力を与えてるだけに見えたんだ。必要だからしていただけで、愛があったとは思えない。

 神子は、獣人たちを愛してたから抵抗がなかったのかな? 俺にはわからない。


 だけど言いたいことはわかった。あの一連の行為が愛ゆえで、羨ましくなったのなら……うん? 羨ましくなった、っていった?

 普通、何とも思ってない相手に、そんなこと思わないよね?



「ヒューイって、俺の事そういう意味で好きなの?」



 口にした後で「しまった」と思ったけど、もう遅い。俺の背中に回した腕に力が入ったかと思えば、ヒューイは顔を上げて俺のことをまっすぐに見上げてきた。



「貴方に初めてお会いした時から、この身を焼き尽くすほどに、どうしようもないほどに恋焦がれています」



 う、わ。

 まっすぐな言葉は、裏を読む意味なんてない。熱のこもった瞳と目が合えば、熱さが俺にも移ったみたいだった。

 熱い。そう思う間もなく、ヒューイはどんどんと雄弁になっていく。



「貴方から同じ気持ちを返してほしいなんて、そんな贅沢は言いません。馬鹿トラよりもお役に立ってみせます。だからどうか、一欠片でいいから、俺にも貴方の愛をお恵みください……!」



 まるで泣いて縋る子供みたいだ、なんて。おかしな感想だと自分でも思う。でも、可哀想だと、そう思ってしまったんだ。


 なんていうかさ……神子なんて存在そのものが、獣人たちには呪いなんじゃないのか。

 だってそうだろ。シロ曰く、獣人たちは俺に好意を抱きやすいらしい。で、ヒューイは俺と初めて会った時に、まさにその本能に火がついてしまったってことだろう。これが見目麗しい絶世の美女だったら一目惚れでもあり得るだろうが、あいにく俺は平々凡々などこにでもいる日本人。一目惚れするような要素なんて一つもない。


 なのに、これほどの言葉を言わせてしまうことが、俺にはとても恐ろしかった。


 だけど今のヒューイにそんなことを言っても、逆効果なのはわかってる。必要なのは、きっと彼が欲しいものを与えること。愛がほしいから、今日見た映像の真似をしたのはわかったけど、だからといって同じことは俺には出来ない。

 はー……仕方ないか。



「……俺は、昔の神子と同じ方法を使うわけじゃないよ」



 神聖力タンクなんて勘弁してほしいし、エロゲーみたいな展開も無理。あの真似だけは絶対にしないでほしい。

 俺の言葉を、ヒューイはじっと聞いている。俺を見上げる瞳は涙で濡れていて、拭い取るように両手で頬に触れた。



「マルクスを助けたことも、俺にとっては人命救助で、愛とは別の話なんだ。だからヒューイがやろうとしてたことも、俺にとっては愛どころか嫌いになることだよ」



「! 二度としません。だからどうか、嫌わないでください……!」



 うん。この言葉は信じられる。これでもう、よくわからない暴走はしないだろう。

 本当はさっき渡した神聖力も返してもらうのがいいんだろうけど……まぁ、これはもういいや。



「愛はわからないけど、初めてがほしい、って言ってたよね?」



 こくこくと頷かれる。俺はちらりとベッドを見て、またヒューイに視線を落とした。



「なら一緒に寝よう。あ、寝るだけね。何もしないよ」



 さっき神聖力をわけたせいか、すごく眠いんだよね。ふわぁと欠伸をすれば、ヒューイがぱちぱちと目を瞬かせた。



「シロも同じベッドでは寝たことないからな」



 俺を潰しそう、って言われたら、流石に無理は言えない。シロ大きいもんね。無意識に潰されたら、俺はたぶん圧迫死する。うん。無理は出来ない。

 もちろん他の人と一緒に寝るなんてこともないから、正真正銘これが初めてだ。今すぐ思い浮かぶのがコレしかなかったんだから、俺にとっても妥協である。ヒューイも多少は妥協するべきだ。


 俺の言葉の意味を、やっと理解したんだろう。ヒューイの表情がぱっと輝いたと思ったら、急に浮遊感に包まれた。

 お姫様抱っこされてる、と認識はしたけど、もう眠すぎて抵抗する気力もない。



「はい、一緒に寝ましょう」



「ん……」



 ヒューイにベッドの上に寝かされて、シーツをかけられる。かと思えば抱きしめられたけど、もうなんでもいいや。



「おやすみなさい、神子様」



「おや、す…………」



 もう呂律も回らない。瞼を閉じれば、そのまま落ちるように眠りについた。







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