10.感謝が重い!
俺が目を覚ましたのは、窓から差し込む日が真っ赤に染まった夕暮れ時だった。
「神子様あああ!!」
「ぐぇ」
目を覚ますのとほぼ同時にシロに飛び乗られて、くぐもった声が出る。でもシロはすぐに体の上からどいてくれて、俺を支えるように背中に回った。
「お水飲む? お腹空いてない?」
甲斐甲斐しくいろいろと聞いてくれるけど、どっちもそんなに…………いや、すごく喉が渇いてる気がする。
「みず、ほしい」
「わかった」
声がちゃんと出ないけど、ちゃんとシロには通じたみたい。すぐに魔法でふよふよと水差しとコップが運ばれてきて、俺の前に差し出された。
シロは猫だから、手まで猫の手だ。ふにふにの肉球がついてるから、コップもちゃんと持てない。その分、魔法で何でもできるんだから器用だと思う。
でもいつだかと違って、だるさはあるけど今日はちゃんと手が動く。空に浮いたコップを手に取って口を付ければ、一気に飲み切ってしまった。
「ぷは」
「おかわりいる?」
「……じゃあもう一杯」
「はーい」
思ったよりも渇いてたみたいだ。空になったコップを見て、お言葉に甘えることにする。
ふよふよと水差しが動いて、コップの中はまた水でいっぱいになった。今度は少しだけ時間をかけて飲めば、体中にも染み渡るみたいだ。
「ありがと」
お礼を言ってコップを放せば、また魔法で運ばれて行って、テーブルの上に乗せられる。ほんとシロにできないことなんてないと思う。すごい。
一息ついて、シロに体重をかけるようにもたれかかる。頬を撫でる毛がくすぐったいけど、俺にとってはただの安心材料だ。
「どれくらい寝てた?」
「丸一日だよ」
「丸一日!?」
まじか! いや、前回よりは短いから、まだいいか……いいのか?
わからないけど、今はそれよりも大事なことがある。
「マルクスはどうなった?」
「トラたちが面倒見てる。怪我一つ残ってないし、今朝には目を覚まして動き回ってるって」
「うぇー」
いくら回復魔法で治ったとはいえ、健康すぎない? 獣人ってすごいな。
俺にはとても真似できそうにないから、大人しくのんびりモードに入らせてもらう。いや、本当に無理。体は動くとはいえ、だるさは前と同じくらいあった。
シロに全体重を預けたら、シロはなんでかゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「昨日の神子様、すごくかっこよかった」
ぐりぐりと額を押し付けながら言われて、俺は苦笑する。シロは褒めてくれてるんだろうけど、俺としては素直に喜べない。
「俺は思い出したくないな……」
だって、まぁ、うん。人命救助のためとはいえ、何回キスしたことか……いや、あれは人工呼吸だ。キスじゃないな、うん。キスじゃないんだよ!
自分がやったことを思い出して、顔に熱が集まった。年齢=彼女いない歴の俺としては、やっぱり平常心じゃいられない。いや、うん。だって、うん。人命救助とはいえ……ね? ね!?
うー……と唸りながら頭を抱えた俺を、どう思ったんだろう。シロがじっと見つめてきたと思ったら、急にぺろりと頬をなめてきた。
「んえ?」
シロを撫で回すのはもはや日課になりつつあるけど、これは初めてだ。驚いて目を丸くする俺をしり目に、シロはぺろぺろと俺を舐めまわす。
「ちょ、くすぐったい」
普通の猫は舌がザラザラしてるけど、シロも同じみたい。でも大きさが違うから、普通に舐められたら頭がとれるし、傷もついただろう。そうならないってことは、ちゃんと手加減してくれてるんだろうな。ちょっと大きい猫に舐められてるみたいだった。
くすぐったさに思わず笑ってしまったけど、それがシロには許されたように見えたのかもしれない。一瞬だけ辞めてくれたけど、すぐにまた再開された。
「シロ、まって。シロってば」
ふふ、じゃれてくる普通の猫みたい。本当に可愛いや。
俺も手を伸ばして、シロの頬のあたりをわしゃわしゃと撫でれば、シロは満足そうにゴロゴロと喉を鳴らしていた。うん、可愛い。
そうやって、しばらく二人でじゃれ合っていた時だった。
「ケイ!」
俺の名前を叫びながら入ってきた人物に、俺はびくりと全身を揺らしていた。
「びっ……くりした……」
「ちょっと! ノックもできないの、馬鹿トラ!!」
「わ、わるい」
シロに怒られて、珍しくもマルクスは素直に謝った。いや、本当に元気だな。昨日の血塗れの姿が嘘みたいだ。
マルクスの後ろには、他のトラの獣人たちもいた。ヒューイとウーヴェも見えたけど、マルクスは彼らを気にすることもなく、俺のいるベッドにまで近寄ってくる。
「体は大丈夫か?」
「え、あ、うん」
俺を心配してくれているのがわかるから、素直に頷いた。ら、マルクスは明らかにほっとした顔をする。
ああ……今なら、怖くないかも。
そう思ったら、気になってた疑問が口から零れた。
「お守り、効果なかった?」
「いや、絶大だった」
ほ? だったらどうしてあんなことに?
疑問は表情に出たんだと思う。答えてくれたのはマルクスじゃなくて、彼についてきたトラの獣人たちだった。
「ボスは俺たちにお守りを渡してくれたんです!」
「敵の数が多くて、手分けするしかなくて……」
「ボスは一人で他の群れを倒しに行って、あんなことに」
なるほど。その可能性は考えてなかった。敵の数が多ければ、そりゃ手分けもするか。
「ってことは、次からはちゃんと人数分用意しないとね」
マルクス以外が無事だった、ってことは、その人たちにはちゃんと効果があったってことだよね。なら余計に、一人一人がちゃんと持った方がいいだろう。マルクス以外の人たちも、手分けして動くことになったら同じことになってたかもしれないし。
うーん、そうなると、やっぱりお守りを作る速度をあげたいな。でも効果が減ったら意味ないしなぁ。どこまで人の手を借りられるか、一回ちゃんと試したほうがいいかもしれない。布を切るくらいなら、ワンチャンいけないかな?
俺の思考が完全にお守りに移ったことに気付いたのか、マルクスがまた俺の名前を呼ぶ。
「ケイ」
呼ばれて振り返れば、真剣な目をしたマルクスがそこにいた。
「助けてくれてありがとう」
「っ!!」
お、お礼を言われた!? お礼を言われたの、今!? あのマルクスがお礼を言った!?
びっくりして、今までにないくらい目が大きくなったかも。思わず凝視しちゃったら、俺と視線を合わせるようにマルクスがベッドのすぐ傍に跪いた。
「お前のお陰で、俺は仲間を殺さずに済んだ。どれだけ感謝しても足りないほどだ」
あ……そうか。魔獣化って、そういうことなのか。
魔獣は獣人たちを襲う。だから彼らは調査に行ったんだ。呪いは魔獣を生むし、呪いに負けた獣人は死ぬか魔獣化する。魔獣化した場合にどうなるか、なんて聞いてなかったけど……過去の事なんて全部忘れて、殺戮に走る可能性は大きそうだ。
そして最初にターゲットになるのは、一番近くにいた人たちだろう。
反射的にトラの獣人たちを見れば、みんなが同じような顔をしていた。大きな安堵と、ほんの少しの恐怖。さっきまで隣で戦ってた人が、意図せず急に敵になるなんて……俺には想像もできないほど、辛いだろう。
しかも、魔獣化した獣人を放置すれば、更なる犠牲者を生むと思う。だってそれはもう普通の魔獣だ。他の魔獣と同じように行動しても、何もおかしくない。それを防ぐためには……
友人を、家族を、恋人を。数分前まで隣にいた人を、殺すしかないんだ。
ああ、こんなこと知りたくなかったな。でもきっと、彼らにとってはそれが普通だったんだ。
だからこそ、「神子」が必要だったんだね。
俺がいるからここに帰ってきたんだと思ったけど、いざとなればマルクスを殺せる人が大勢いるからだったのかもしれない。マルクス、他のトラの人たちよりも強そうだもん。現にあの日、彼らだけではマルクスを抑えることさえできなかったんだから。
衝撃的な現実を突きつけられて、のしかかるものの重さに潰れそうだ。この世界に来て初めて、自分の立場を思い知った。なんて重い物を背負わせたんだ。恨むぞ、神様。
でもこんなこと、彼らの前では愚痴れない。俺は出来る限り冷静を装って、
「俺は出来ることをしただけ。本当にただそれだけだよ」
「お前にとっては『それだけ』でも、俺たちにとっては奇跡みたいなことなんだ」
言いながらマルクスが両ひざを完全に絨毯につける。そしてマルクスがいつもの大剣を、鞘ごと床に突き立てた。気が付けば他のトラたちも彼の後ろで、同じ姿勢を取っている。
え、何? と思う暇もなく、マルクスの静かな声が部屋に響く。
「マルクス・チィーガルの忠誠を、神子ケイに捧げる。俺の命はお前の好きなように使ってほしい」
「……………………へ?」
い、いま、なんか、とんでもなく重いことを言わなかったか?
びっくりしている間に、なんでかわからないけど他の人たちまで似たようなことを言いだした!!
「同じくライナー・チィーガルの忠誠を神子様に捧げます」
「アルヴェル・チィーガルの忠誠も神子様に捧げます」
「同じくホルスト・チィーガル……」
「待って!!!!!!!!!!」
待ってよ、本当に待って!!!!
俺史上でも最大のでかい声が出たと思う。流石にみんな驚いたのか、パタッと宣言みたいなのが止まった。
説明を求めるようにシロを見れば、シロも驚きの目でマルクスたちを見下ろしてる。
「し、シロ……」
これなに?
動揺しすぎて口にできなかった疑問は、ちゃんと伝わったらしい。ハッとしたかと思えば、すぐに俺を尻尾で抱え込んだ。
「……言葉通り、忠誠の誓いだよ。いくら命の恩人とはいえ、普通はしないんだけど……えええ……」
ドン引き? これはドン引きしてるのか? シロがこんな顔してるの、初めて見るんだけど。
今度はヒューイたちの方を見る。彼も驚いているようで、忌ま忌ましそうに舌打ちをした。……え、舌打ち? ヒューイ、今、舌打ちした? 舌打ちなんてするんだ?
これにも驚いてたら、俺が見てたことに気付いたんだろう。誤魔化すようにごほんと咳ばらいを一つして、
「……トラはしつこいので、了承するまでそこから動きませんよ。動いたとしても、顔を合わせる度にコレを繰り返すでしょうね」
「えええええ…………」
それ、もう拒否権なんてないじゃん。
もう一度視線をマルクスたちに戻しても、誰も顔を上げていない。それが彼らの本気度を教えてくれるようで、俺は思わず頭を抱えてしまった。
だって急に中世の騎士っぽいこと言い出されても。しかも命とか言ってなかった? 重すぎて無理。そんなのいらない。一般人の俺に、そんなもの預けないでほしい。でもなかったことにもできないなら…………ちゃんとお断りしなくちゃ。
「マルクス。それにトラのみんなも、ありがとう」
好意には好意を返したい。だからお礼はちゃんと言うけど。
これだけは言っておかなくては。
「でもマルクスの命とか忠誠はいらない。返品します」
「な!?」
そんなに驚くことじゃないじゃん。弾かれるように顔を上げたマルクスと視線がぶつかって、俺はへにょりと眉尻を下げた。
「言ったことなかったかもしれないけど、俺のいた国は争いなんてないんだ。命なんて重すぎる」
素直な言葉を告げれば、マルクスはわずかに目を見開いた。
まぁ、この世界は逆に争いしかないもんな。野生動物みたいに弱肉強食なのかはしらないけど、魔獣たちとずっと戦ってきたんだと思う。そうじゃなきゃ、こんなにも戦い慣れてないだろう。
でも俺は違うんだよ。俺の世界にも戦争はあったけど、俺にとっては全部遠いもの。命のやり取りなんてしたことなくて、やりたいとも思わない。
だからね。
「俺は俺が出来ることをやっただけ。みんなもそうだろ? だから重く考えないでほしい」
この言い方で伝わるかな。自信はないけど、少しでも伝わって、撤回してくれたら嬉しいな。
マルクスたちは何も言わない。でもこれは、俺の言葉の意味をちゃんと考えてくれてるだけだってわかってるから、俺も静かにちゃんと待つ。仕事でも上司や先輩の反応を待つなんて普通だったから、全然苦じゃない。
っていうか、ちゃんと考えてくれないとこれから困る。そうじゃないと、同じようなやり取りを何回でもすることになりそうだもん。こういうのは初回が肝心。俺としては必要なことはちゃんと伝えたつもりだった。
それでも彼らには理解できなかったのか、ためらいながらも口を開いたのは、たぶんアルヴェルと名乗った人だ。
「神子様は争いのない世界からきたんですか?」
「遠く離れた場所ではあったけど、少なくても俺の身近ではないね」
「魔法もないんですよね?」
「そうだね。代わりに技術は発達してたよ」
「もし……もし、あの時倒れたのがボスじゃなくても、助けてくれましたか?」
「たぶ」
ん、と続くはずだった言葉は、音にはならなかった。いや、音にはなったけど、俺の意図したものじゃなかった。
気が付けば、目の前にマルクス。鋭い眼光に睨まれてた、と自覚する前に、唇が塞がれていた。
「んんん!?」
「マルクス!!」
くぐもった声と同時に、誰かがマルクスを呼ぶ声がした。でも俺はもうそれどころじゃない。
胸を押し返そうとしても、びくともしない。そりゃそうだ。対格差がありすぎる。その上マルクスは顎を掴むように俺の顔を固定してるから、顔を反らすことも出来ない。
このやろう! さっきまでの殊勝な態度はどこに行ったんだ!?
それだけじゃない。無理やりでかい舌が割り込んできたと思ったら、覚えのある感覚がそこから伝わってきた。
「ん、あ?」
なんだ、これ。何かを俺に渡そうとしてる?
なんでかそう思えたから、抵抗するのをやめたんだけど。その途端、マルクスが少しだけ光り始めた。
少しずつ、少しずつ、何かが俺の中に返ってくる。…………そうだ、返ってきてる。これは元々俺の中にあったものだ。
ああ……これが神聖力ってやつなのか。
不思議なもので、理解すれば自然に受け入れられた。これは俺のものなんだから、返してくれるなら受け取ろう。
そう思っただけなんだけど。
「……その顔やめろ」
「へあ?」
やっと離れていったマルクスが、俺を見下ろしてそんなことを言う。なんだよ。俺がどんな顔をしてるっていうんだ。
理解できずにマルクスを見上げたんだけど。なんでかチッと舌打ちをしたと思えば、
「このまま食うぞ」
って、大きな口をぐわりと開けて、今度は噛み付くようにキスしてきた。
「んう!?」
なんだこれ!? さっきまでと全然違うんだけど!!
口の中で、大きな舌が好き勝手に動き回ってる。思わず舌を引いたけど、関係ないとでもいうかのように絡めとられ、蹂躙される。
まるで息まで貪られてるみたいだ。さっきまでの優しい動きはなんだったんだ、って言いたくなる。
だって、こんなのまるで…………
「「盛るな、馬鹿トラ!!!!」」
「ぃっで!!」
「!!」
唐突にマルクスが離れて行って、新鮮な空気が肺いっぱいに広がった。見れば、マルクスの頭をウーヴェが殴りつけて、更にヒューイが服を踏みつけてる……というか、魔法で床に縫い付けてるのか? なんかよくわからないけど、とりあえず助かったらしい。
よろよろと倒れ込むように背中を倒せば、柔らかいものに支えられた。誰かなんて確認するまでもない。絶対にシロだ。
「うう……シロぉ……」
こんなのあんまりだ。あんまりすぎる。言葉にできない感情を吐き出すようにシロに泣きつけば、シロはギッとマルクスを睨みつけた。
「その馬鹿の命、ここで終わらせていいんじゃない?」
「「賛成」」
うわーを。目が笑ってないよ、シロ。こんな声出せたんだね。ヒューイたちも乗らないで。
いや、乗ってもいいかもしれない。離れていった、っていうのに、まだ口の中が変な感じがする。全部マルクスのせいだ。
だって、一回目のはまだ神聖力を返すためだったって思えるけど、2回目のは絶対に違った。あんな、あんなの、まるで……恋人がするやつみたいじゃないか。
「ぅぁぁ……」
考えて、一気に顔に熱が集まった。熱い。熱くて今すぐどうにかなりそうだ。自分がどんな顔をしているかなんてわからないけど今すぐ隠れたくて、シロの毛並みに顔を埋める。
そんな俺がどう見えたんだろう。ヒューイたちだけじゃなくて、トラのみんなも俺の味方になってくれるみたいだ。
「今のはないっすわー」
「神子様完全に固まってたじゃん」
「メスの敵、ってやつ、初めて見た」
俺、女じゃないけど。でも、あんまり間違えてる気がしないのもなんでだろうな? ますます顔が上げられなくなっちゃった。
「うー……」
みんなの言葉を聞くのも恥ずかしくて、体を丸くして頭を抱える。というか、耳を押さえたんだけど。
ささやかな抵抗なんて無駄になるくらい、マルクスの大声が部屋中に響いた。
「神聖力を返しただけだ!!」
いや、確かに1回目はそうだったかもしれないけど。
「2回目は違うじゃん……」
小さな声で呟いた言葉は、シロには聞こえていたらしい。
「2回目は違うって」
「「「有罪」」」
「だーー!」
マルクスの叫び声が聞こえてくるけど、俺はもう何も知らない。知らないんだ。
シロの毛並みに埋もれながら、手探りでシーツを探して包まって隠れる。もう本当に、穴があったら今すぐ入りたかった。




