9.魔獣化
トラの人が案内してくれたのは、魔法陣のある部屋だった。他にも何人かトラの獣人たちがいて、みんなで床にある何かに必死に話しかけている。
その光景を見て、声を上げたのはファルコだった。
「マルクス!?」
マルクス? マルクスだって?
アレが、マルクス!?
「みんなが囲んでるのは、マルクスなのか?」
「そうですが、魔獣化がかなり進んでいます。もしや、神子様には違うものに見えていますか?」
静かに頷けば、ヒューイだけじゃなくみんなが息を飲んだのが分かった。
だって、あれはマルクスじゃない。俺にはもう、黒い何かにしか見えないんだ。
蛇、かな。細長い何かが体中をがんじがらめに縛り付けた上に、更にきつく締めつけようとしてる。その下に見える体も黒い何かに覆われていて、マルクスの特徴みたいな耳も尻尾も、今は欠片も見えないんだ。とってもじゃないが、人にさえ見えなかった。
ヒューイが下ろしてくれたけど、俺はアレには近付けない。近付いてはいけない、と本能が告げている。思わず一歩後退れば、ここまで案内してくれたトラの獣人が絶望したみたいな顔で俺を見た。
わかってる。わかってるよ。あれが本当にマルクスなら、助けたいに決まってる。俺だってそうだ。
でも今は、今の状態のマルクスには、俺は絶対に近付けないんだ。近付いたらきっと食われる。言葉通り、頭から丸っと飲み込まれてしまう。どうしてそう思うのかはわからない。
だけど、どうすればいいかは知っていた。
「ヒューイ、お守り持ってる?」
「持っていますが……」
「ごめんだけど、貸してくれない?」
俺のお願いに、ヒューイが渋ったのが分かった。一度あげたものだもんな。返したくない気持ちはわかる。
だけど今、マルクスを助けるには絶対に必要なんだ。
部屋に取りに戻る時間も惜しい。もう一度ヒューイにお願いしようとしたところで、目の前に汚れたお守りが差し出された。
「これでもいいか?」
「! ありがとう!」
ファルコにお礼を言って受け取り、すぐに両手で握りしめた。願うことは、ただ一つ。
神様、お願いだ。マルクスを取り巻く黒いモノ。アレがある限り、俺は彼に近付けない。
アレを晴らすための力を、このお守りに!
手の中のお守りが徐々に暖かくなってくる。目を閉じていてもわかる眩しさに、誰かが「おお」と声を漏らしたけど、今は気にもならなかった。
よし、出来た。これをマルクスに渡せば、俺も近付けるはずだ!
「これをマルクスのところまで投げて」
「わかった」
何の疑いもなく俺の願いを聞いて、ファルコがぶんとお守りを放り投げる。お守りは寸分違わず、マルクスと思われる黒いものの上へとぽすりと落ちた。
途端に、再び部屋中に光が満ちる。みんなが眩しさに目を閉じたけど、俺はまっすぐにお守りの効果を見守った。
ああ、これが神聖力なのか。すごく温かい。今までは実感がなかったけど、確かに俺が持ってる力みたいだ。
眩しさが収束するころには、さっきまでの黒い何かはすっかりと消え失せていた。だから、俺の目にもしっかりとマルクスが見えるようになったんだけど。
「なん、だよ、これ」
ボロボロじゃないか。至る所が傷ついてる上に、服は血まみれだ。それだけじゃない。破れた服から見える肌は、黒く染まっていた。
ここまできて、やっと俺は理解した。これが獣人たちの恐れている「呪い」だってことを。
なるほど。みんなには見えてないんだから、対処だってできるはずがない。俺は急いでマルクスの傍まで近寄ると、すぐ隣に腰を下ろした。
「服破いて!」
頼めば、近くにいたトラの獣人が条件反射みたいに従ってくれる。上半身むき出しになったマルクスは、本当に酷い状態だった。
呼吸が荒い。ぜーぜーと繰り返されるそれは、痛みのせいなのか、呪いのせいなのか。わからないけど、元の肌色なんてわからないくらい全身が真っ黒だ。
なんでこんな状態になるまで帰ってこなかったんだよ!
「こんの、馬鹿……!」
吐き捨てるように呟いて、すぐに黒く染まった肌に触れた。「消えろ」と願ってみるけど、少し薄くなっただけで効果がない。やっぱりだめか。
今度はマルクスの心臓辺りに両手を置いて、目を閉じる。鼓動は感じる。だけど今はこれじゃない。これじゃなくて、きっとどこかにあるはずなんだ。
この馬鹿が取り込んでしまった、呪いの大元が。
探せ。心臓を媒体に、血液を辿って体中の隅々まで。元凶を取り除かない限り、対処療法しかできない。一時的に弱めたところで、きっとまたすぐに同じ状態になってしまうだろう。
どこだ。どこにいる? 早く見つけないと、マルクスがもたない。集中しろ。絶対に見つけられるはずなんだ。体中に片鱗はあるけど、こんな小さなものじゃない。もっと大きな、怖いものがいるはずだ。
心臓の付近にはいない。首から上、顔の方にもいない。肩から腕にかけても、足の方にもいない。もっと臓器に近いところだろうか。
どこだどこだどこだ……
「…………見つけた」
腹の奥。むしろ背中に近いところ。くっそ、なんでこんなところに。俺の力じゃ届かない。物理的に叩きだすには、マルクスの体がもたないだろう。
どうする? 他の方法は何かないか? と考えた時、唐突に理解した。
……ああ、そういうことか。ダニエルは粘膜の接触って言ってたけど、必要なのは接触じゃない。
俺の力を、直接マルクスの体の中に流し込めばいいんだ。
「マルクスの両手と両足、抑えてて!」
お願いすれば、すぐにトラのみんなが聞いてくれる。マルクスが暴れられなくなったのを確認して、俺は大きく息を吸い込む。
そしてそのまま、噛み付くようにマルクスの唇に口付けた。
「「神子様!?」」
シロとヒューイの声が重なったけど、今の俺はそれどころじゃない。これは人命救助だ。人工呼吸みたいなものだ。迷ってる暇なんてなかった。
空気と一緒に、神聖力を送り込む。目指すのは元凶のいるところ。神聖力と相反するそれは、きっと強く抵抗するだろう。
そう予想した通り、マルクスは大怪我をしてるというのに、仲間たちを吹き飛ばして暴れ始めた。
「うわ!?」
「くっそ!!」
反動で俺も飛ばされたけど、床や壁に叩きつけられる前にシロが間に入ってくれたから怪我はない。
この馬鹿力め! みんな悔しそうだけど、これじゃ俺も治療を続けられない!!
「ファルコ、お願い!!」
「心得た」
お願いすれば、ファルコがマルクスの両足を一纏めにまとめ上げた。足首を抑えながら体重をかけてくれたから、足だけはびくりとも動かなくなる。
流石クマ。マルクスも抑え込めるなんて、本当に頼もしい。
「これなら!」
「俺たちは手だけ抑えるぞ!」
ファルコが足を抑えてくれているので、トラの獣人たちは二人がかりで腕を抑えてくれる。さっきよりは頑丈に拘束されたところで、俺は再びマルクスに口付けた。
くっそ、さっきよりも抵抗されてる感じがする。送れる力が減ってきた。それでもやることに変わりはない。何度か息継ぎをしながら、俺は神聖力を吹き込み続けた。
腹の奥底。マルクスに潜む「悪いもの」を追い詰めるんだ。違う場所に逃げられないように、マルクスの体中に神聖力を張り巡らせていく。
何度も何度も、同じことを繰り返す。そのたびにマルクスは暴れたけど、ファルコたちが必死に押しとどめてくれた。あまりにも暴れるから、マルクスの怪我はどんどん開いて、俺たちのほうまで飛び散った血で染まっていく。
それでも止めることなんてできない。マルクスの体がもつうちに、早く、早く……早く!
「っ!!」
きた!!
腹の奥にいた何かが、逃げるように動き始めた。でももうマルクスの体には神聖力が満ちているから、逃げ場所なんてない。
ただ一つ、口までの道を除いては。
「がっは!」
俺が離れると同時に、マルクスが黒い何かを吐き出した。全員がそれを凝視しているけど、これは見るのもよくないものだ。
吐き出せただけあって、原形はそんなに大きくもなかった。急いで両手で捕まえて、
「消えろ!!」
と祈れば、ばひゅんと不思議な音を立てて手の中の感触が消え去った。
恐る恐る手を開いてみたけど、もうアレはいない。手が黒く汚れてたけど、これは洗えば落ちるやつだ。マルクスの体が黒かったのとは、根本的に違うから問題ない。
「マルクスは!?」
もう一度マルクスへと視線を動かせば、もう暴れていなかった。ファルコもトラのみんなも、マルクスから手を放してる。
体中に広がっていた黒い模様みたいなものも消えているみたいだ。ああ、よかった。これでもう大丈夫。
「ヒューイ、回復魔法を」
それでも重傷を負っていることには変わりない。幸いにもここには回復魔法の使えるヒューイがいるから頼んだけど、ヒューイは俺たちの方を凝視するだけでピクリとも動かなかった。
あれ、どうしたんだろう?
「ヒューイ?」
もう一度名前を呼べば、我に返ったようにはっと全身を震わせた。
「す、すみません。驚いてしまって……」
まぁ、そりゃそうか。俺だって自分がしたことに驚いてる。呪いの原型を見ることなんて、そうそうないだろう。
でも今は、マルクスが優先だ。
「マルクスを治してあげて」
「はい、すぐに」
同じことをもう一度お願いすれば、今度こそヒューイも動き始めた。マルクスのすぐ傍に近寄って魔法をかければ、みるみるうちに傷が塞がっていくんだから、本当に回復魔法ってすごいや。
徐々に呼吸が落ち着いていくマルクスに、トラの獣人たちは泣きながら縋りついてた。すごい。マルクスってこんなに人望あったんだな。助かってよかった。
「神子様、大丈夫!?」
俺に駆け寄ってきてくれたのはシロだ。ああ、そういえば、さっき助けてもらったっけ。
「さっき、庇ってくれてありがとう」
「僕にはそれくらいしかできないから」
それくらいって。俺には大事なことだよ。マルクスの馬鹿力でぶん投げられたんだから。床や壁に叩きつけられたら、よくて骨折、下手したら死んでただろう。
シロを安心させるためにもそう言いたいのに、瞼が重い。シロにぎゅうと抱き着いて、俺はそのまま意識を手放した。




