12-4 わたしは誰?
冥界にすべての神々が集められた。
悪霊たちに引きずられてきたレイアとエンマ少年は、泥と傷にまみれ、地面にひざまずかされている。
「わたくしは、こやつらに罰を与えねば気が済まない。さあ、どう片をつけてくれようか!」
冥界中を揺らすアサナミ様の脅迫に、どよめきが広がった。提案と否定が入り乱れ、結論はまとまらない。
一人の神が戸惑いを漏らす。
「誰かを断罪するなど、我々にとっては初めてのことだ。よくわからない」
するとアサナギ様がゆっくりと口を開いた。
始祖の発言を前に全員が黙り込み、注目する。
「しかし、今後も〝裁き〟は必要になるだろう。なぜなら我が妻が、地上の者を一日に千人殺すと宣言したからだ」
神々は息をのみ、顔を見合わせる。〝寿命〟の概念が、世界に定着した瞬間だった。
「日ごとに千人が送られれば、黄泉はたちまちあふれ返るだろう。それに、生前の行いによって、行き先は分けられるべきだ。そうでもなければ、愚か者たちは恐れを知らず、悪行を重ねるだろう」
アサナギ様はここぞとばかりに声を張り上げる。
「そこでどうだろう。この地蔵菩薩に、我々のかわりに、死者の行く先を決める責任を負わせるというのは。これをもって、女神を逃がそうと企んだ罰としようではないか」
エンマ少年が目を見開いた。
レイアが、信じられないとばかりに叫ぶ。
「何をおっしゃっているのです!? そのようなことを地蔵菩薩が担ってよいはずがありません。ましてや子どもですよ——」
レイアの反論が途切れる。悪霊の腕が伸びてきて、首を締め上げたのだ。
エンマ少年はただ恐れおののき、うろたえている。何も言葉が出てこない。子どもの反応そのものだ。
ひとつ、またひとつと、神々がうなずく。
「なるほど、名案かもしれぬ」
「秩序のために」
「世界のために」
やがて、祝福のように大きな拍手が起きた。ひとたび方向性が定まれば、堰を切ったように口を出し始める。
「無論、裁きをもって他者に責め苦を与える罪も生まれるぞ」
「さらなる罰が必要だ」
「一日に一度、灼熱に溶けた銅を飲ませるのだ」
再びの拍手。決定だった。
エンマ少年の澄んだ瞳から、色が失せていく。
アサナミ様の、身を乗り出すような声が響く。
「自らの意思で承諾せよ。未来永劫、裁きを続け、罰を受け続けることを。さもなくば、一日に一万人を殺してやる」
「だめよ。絶対にうなずいてはだめ——」
レイアが必死にもがく。
しかしエンマ少年は、虚ろな顔でうなずいた。
するとその足元に、どこからともなく帳面が降ってきた。まだ新しく、革の表紙も柔らかい。世界で最初の帳面——秩序を守るための〝炎魔帳〟だ。
「今この瞬間から、そなたは〝炎魔大王〟だ」
アサナギ様が厳かに宣言する。
「心を殺せ。理だけを持ち、炎魔帳を武器に、生と死の秩序を保つのだ」
エンマ少年の瞳には、恐怖も怒りも悲しみも、もはや浮かばない。感情が静かに剥がれ落ちていっている。みるみるうちに瞳が曇っていく。煙水晶のように。
アサナギ様が視線を移した。その先にいるのはレイアだった。
「次に、この女神だが」
お母さん……かもしれない人物。彼女に何が起こるのかを見届けようと、わたしは息を殺す。
「物語のためと称し、余とアサナミの秘密を暴いたことは周知の事実だ。使いの鶴と亀の伝言により、すでにここにいる全員の耳にも入っておろう。我が恥は、この国で永久に語り継がれるというわけだ」
神々が、気まずそうに身じろぎする。
「神という存在には、それほどの責任があるのです。これから生まれてくる大勢の者たちは、神の行いを教訓に、あるいは反面教師にして生きていく。ならば語られることから逃げてはなりません」
レイアがきっぱりと言った。
「広まるべきは、武勇伝だけではありません。過ちや醜さも、伝える意義があります」
神々が後ずさりをする。始祖の夫妻を怒らせた上に、まだ抵抗するのか——そのような雰囲気だ。
しかしアサナギ様はびくともしない。
「ああ、そなたの言うことは正しい。さすがは物語を司る女神だ」
堂々たる足取りで、レイアの真正面に立ちはだかる。
「しかし、それは禁忌の外側での話だ。知ることすら許されぬ禁忌がある。見てしまっては尚更だ。語られた真実は、もはやなかったことにはできぬ。ゆえに、最も重い罪を与えようぞ」
レイアの瞳が凍りつく。
「存在を、消すのだ」
アサナギ様が言い放つ。
幼いヒノテラス様とツクヨリ様とスサハヤ様が、目を丸くした。
「姿も、経歴も、誰の記憶からも消える。なかったことになる。ただし、この童の記憶には留めよう。苦しみが増すだろうからな。生涯、他言をするでないぞ」
エンマ少年の肩がかすかに揺れた。
別の神が、おずおずと口を挟む。
「しかし……存在を完全に消すというのは、可能なのでしょうか。ひずみが生まれ、いつか、どこかに、別の形となって現れるやもしれません」
一瞬の沈黙。アサナギ様は、やや冷ややかに答えた。
「問題はない。誰も覚えていないのだから。本人ですら」
——これだ。自分の正体は、これだったのだ。子孫でも、生まれ変わりでもない。忘却によって生じた、世界のひずみ。消された存在が、形を変えて地上に押し出された。わたしは、人間として生まれ出た〝レイアそのもの〟なのだ。
神々による三度目の拍手が冥界を満たした。
「決まったようだな」
アサナミ様の声が落ちてくる。
「では、八百万の証人のもと、炎魔大王による裁きで、この女神を消し去る。異存はないな」
神々は次々にうなずいた。反論の声はない。
三貴子は父親の陰に隠れ、おびえるように罪人たちを見ていた。
レイアは、隣にいるエンマ少年にちらりと目をやった。うなだれていて、顔は見えない。
彼女が何を考えているのか、痛いほどわかった——この子が助かるのならば、それでいい。
「最初の裁きだ。炎魔帳に記せ」
アサナミ様の指示が下るやいなや、悪霊がエンマ少年の右手首をつかんだ。力任せに人差し指の爪を引き剥がす。
痛々しい光景に、わたしは思わず絶叫した。
エンマ少年は苦痛の悲鳴を上げなかった。指先からしたたる血を墨のかわりにし、まっさらな炎魔帳に一文字目を記す。
「さらば、物語の神よ」
アサナギ様が最後の言葉を告げる。
次の瞬間、レイアの全身が炎に包まれた。こらえ切れずに漏れ出した悲鳴とともに、輪郭がゆがみ始める。光が砕けるように、泡が弾けるように、存在そのものが焼き尽くされていく。
同時に、わたしの視界が白く染まった。レイアに手を伸ばす。しかし、音も景色も急速に遠ざかっていく。最後に見えたのは、死人のように動かないエンマ少年の姿だった。
そして、すべてが消えた。
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