11-4 たったひとりで?
「はあああああ!? 黄泉の国に入れるのかよ!?」
スサハヤ様の絶叫がこだまする。
わたしの心臓も高鳴っていた。
「黄泉の国は、岩で塞がれていますよね。というか、あなたが塞ぎましたよね」
アサナギ様は、あまりにもあっさりとうなずいた。
「ああ。千引岩じゃ。千人がかりでも、一万人でも動かせぬ」
「ですよね……」
わたしはがっくりと落とした。
アサナギ様が、茶目っ気たっぷりに指を一本立てる。
「だがのう、通り抜ける方法はある」
「えっ……どうやって……」
鍵だろうか。それとも、〝開けゴマ〟のような古い呪文だろうか。
「己の欲を持たぬ者だけが、千引岩を雲のように通り抜けることができる」
「欲……?」
「ああ。余を殺したいと渇望するアサナミには、通れぬ。アサナミを抱きしめたいと後悔する余にも、また通れぬ」
ひとつひとつの言葉を噛みしめるように説く。
スサハヤ様の表情がかげった。きっと、母に会いたいと願う彼の通過も許されないのだろう。
「太野 礼阿。そなたは己のためでなく、エンマのために、ここで起きた物語を知りたいのじゃろう。そなたならば通れるやもしれぬ」
アサナギ様の視線が、わたしを射抜いた。
「問いだけを持っていけ。太野礼阿」
その瞳には、老人とは思えないほど強い光が宿っている。わたしはその重みを受け止め、強くうなずいた。
不意に我に返り、エンマ様が弱っていることを思い出す。
「それで、黄泉の国の入り口はどこにありますか? わたし、すぐに行かないと——」
焦りを抑え切れずに急かすと、アサナギ様はすぐに答えてくれた。
「ほれ、ここに」
けろりとした口調で、社のかたわらを指差す。無言でそびえ立つ岩々のうちのひとつだ。
「へっ? こ、これ、ですか……?」
千引岩——その名の通りの大岩だ。社の屋根を優に超え、表面は長い年月に削られて丸みを帯びている。確かに巨大ではあるけれど……
「なんというか、神聖な森の奥にあるとか、近づいたら空気が重くなるとか、そういうオーラのようなものはないのでしょうか」
「ない。禁忌というのはな、たいてい、拍子抜けするほど身近にある」
アサナギ様は肩をすくめた。そしてわたしの手を引き、岩の正面へ導く。岩は近くで見るほどに大きく、空を押し上げている。
「千引岩が閉じ込めているのは、空間だけではない。真実じゃ。岩の向こうでは、今も尚、あの日の出来事がくり返されておる」
アサナギ様は岩に手を当て、わずかにうなだれた。
「そなたには干渉できぬ。触れることも、声をかけることも、選択を変えることもできぬ。問いの答えを見つけたら、すぐに戻ってこい」
欲が芽吹く前に——アサナギ様の意図は十分に伝わった。
肩にあたたかい手が置かれる。ヒノテラス様だ。
「れいれい、必ず戻ってきて。黄泉は心が弱る場所よ。自分が何者かわからなくなるわ」
琥珀色の瞳が、まっすぐにわたしを捉えている。
「己の務めを忘れてはなりません。れいれいは記者でしょう? だったら、〝見る側〟でいなさい。決して入り込んではだめ」
「わかりました」
ヒノテラス様と抱きしめ合う。この御方は太陽そのものだ。誰よりも明るく、誰よりもさみしがり屋で、まるで人間みたい。そんなヒノテラス様が大好きだ。
わたしの官服のすそを、ツクヨリ様がちょんちょんと引っ張った。
「……礼阿。無理にがんばらなくてもいいんだよ? それを教えてくれたのは、礼阿じゃないか」
「ありがとう、ツクヨリ様。でも、今がんばらなければ、わたしがわたしでなくなってしまいます。その方が怖いのです」
「……そっか。礼阿はそういう人だったね」
ツクヨリ様が、納得したようにうなずく。
「じゃあ、忘れないで。臆病が悪ではないということ。怖がりながら進む人は、きちんと戻ってこられるから。本当に危険なのは、何も怖くないと思い込むことだよ」
子どもの姿で、少し頼りなく、今にも物陰へ隠れてしまいそうな人。それなのに、時折こうして、永い夜を見続けてきた神の顔をする。
わたしがうなずくと、ツクヨリ様はほっとしたようにほほ笑んだ。
「おい」
ぶっきらぼうな声。スサハヤ様だ。腕を組み、露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「たぶんおまえは、この先、ろくな目にあわねえ」
「はい」
「黄泉の沼に心を囚われ、そのまま沈んじまうかもしれねえ」
「はい」
「おまえに黄泉の旅は向いちゃいねえよ。情が深すぎる」
「もしかして、わたしのことを褒めてくださっています?」
スサハヤ様は、けっ、と顔を背ける。そのままわたしを見ずに言った。
「……おれのかわりに、母を見てきてくれ」
胸を締めつけられる。須佐速命は荒ぶる神だ。暴れて、怒鳴って、壊して——ずっとそう語られてきた。けれどその実、なんと愛情深いことだろう。
そんなことを言うと、また怒りを買うに違いない。黙ってうなずいておいた。
目の前には、巨大な千引岩が立ち塞がっている。わたしは本当に通り抜けられるのだろうか。
アサナギ様が隣に立ち、送り出すように、ぽん、と背中を叩いた。そして静かにつけ加える。
「余の行いを見ても、失望せんでくれ。余もまた、自問自答のできぬ若輩者だったのじゃ」
わたしはアサナギ様を振り返り、かすかにうなずいた。その目に涙が浮かんでいるのが見えたが、気づかないふりをした。
胸の中が静かに整っていく。四人の神々に御守をもらったような気分だ。わたしはひとりじゃない。
息を止め、岩に向かって大きく踏み出した。
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