10-3 助けてくれるのは誰?
三途の川のほとり。
誰も動けないまま、冥府が完全にがれきとなった。それを見届けた瞬間。
「あああああ……」
「わしらの……わしらの家がぁぁ……」
桃爺、桃婆、色鬼たちが泣き崩れた。小さな体が折り重なるように集まり、嗚咽が広がる。
「あーあ。こりゃ掃除が大変だ」
興味なさげな声に、その場にいる全員が振り返った。一斉に血の気が引く。
「す、スサノオノミコト!?」
「どうしてここに」
じり……と、誰からともなく後ずさる。司命と司録、桃鬼さんでさえも、おびえ切っていた。
一方のスサノオ様は、まったく気にしていなかった。堂々と腕を組み、崩れた冥府を眺めているだけだ。
わたしは土の上にへなへなと座り込む。
「もうだめだ」
スサノオ様が、ちらりとこちらを見下ろした。
「まだできることがあるだろ」
「何もありません。どうすればエンマ様が〝閻魔〟に戻るのか、わからない」
スサノオ様はこれ見よがしにため息を吐いた。そして懐を探る。
「今しがた、広間で刀を振り回しながら、これを見つけてな。そのまま拝借してきた」
取り出したのは、一枚のしわだらけの和紙だった。見覚えがある。
「おまえ、おれの記事を書いていたのだな。これほどの窮地だというのに」
スサノオ様が、あきれたように言う。
「……約束ですから」
かすれた声で答える。
するとスサノオ様が、フン、と笑った。
「その特技を活かせ」
「え?」
「悪いが、おれはエンマが閻魔になった理由なんざ知らねえ。知っているやつに聞け」
「でも、当てがないんです。どうやって……」
スサノオ様が、じろりとにらむ。
「特技を活かせと言っただろう。なりふりかまわず、助けを求めろ」
そして、ぱん、と大きなてのひらを打ち鳴らした。音が霧を割る。
すると、頭上から優雅な羽ばたきが聞こえた。巨大な影が空から降りてくる。
「編集長!!!!!」
スサノオ様のかたわらに舞い降りたのは、ヤタガラスだった。胴体に包帯を巻いている。
「生きていたの!? スサノオ様に撃ち落とされたとばかり……」
言い終わる前に、ヤタガラスがスサノオ様の頭をつついた。ばしっ!
「いてっ! おい、手当してやっただろうが。この、でくのぼう!」
スサノオ様が叫ぶ。
ヤタガラスは容赦ない。ばしばしばしっ! 今度は連続攻撃だ。
「この子は、アマテラス様の使いなのですよね?」
「正確には、うちの家族のペットだな。だからおれが呼んでも、来るっちゃあ来る。まったくなつかれてはいないが」
「そうみたいですね」
くちばしで突き刺されながら、スサノオ様は和紙をこちらへ寄越す。
わたしははっとし、それを地面に広げた。——ペンがない。手帳とペンは広間に置いてきてしまった。今やがれきの下だ。
「これで書けるかな?」
桃鬼さんだ。建物の残骸から炭のかけらを拾い上げ、わたしに差し出す。
「ありがとうございます!」
炭を受け取った。ざらりとした感触の、即席のペン。震える手で必死に書いた。
〝閻魔大王の過去をご存知の方へ。この文をお読みになりましたら、至急、冥府までご連絡を〟
顔を上げると、ヤタガラスがじっとこちらを見つめていた。
和紙をじゃばらに折り、くちばしに預ける。
「天と地の境界を越え、世界のすべてに届けてください」
ささやくなり、ヤタガラスは雄大な翼を広げた。黒い影が空へと跳ね上がる。どこまでも高く空を切り裂き、そのまま見えなくなった。
「れーちゃん、いつの間にスサノオ様まで味方につけたんだよ」
「末恐ろしい小娘です」
遠巻きに観察しながら、司命と司録が耳打ちし合っている。
スサノオ様は気にもとめず、三途の川を泳ぐ魚のつかみ取りに興じていた。
「……味方というか、気まぐれで助けたっぽいなー」
「ですね」
双子が肩をすくめる。
——果たして手紙の返事は来るのだろうか。外の世界とは、時間の流れが噛み合わない。速い場合も遅い場合もある。どれくらい、ここで待てばいい? どれくらい、エンマ様の体は持ちこたえられる? 胸の奥で焦りがじわじわと広がる。
誰でもいい。どんな形でもいい。聞きたいのはひとつだけ。どうすればエンマ様を取り戻せるのか。
そして一分も経たないうちに、三途の川に異変が起きた。ごぼ、ごぼごぼ——川底から泡が湧き上がってくる。
「な、なに!?」
思わず身がまえた。
次の瞬間、水面が膨らみ、しぶきを上げて弾ける。
「ぷっはああああ!」
びしょ濡れの顔が飛び出した。
「うわああああああ!!! なんだ、このばっちい水は——」
じたばたともがいているのは、ツクヨミノミコトだった。おだやかな波の中で、どう見ても溺れている。
わたしが立ち上がる前に、司命と司録が川に飛び込んだ。
「ばっちい水を飲んでしまった!」
「ちょ、ツクヨミ様、無駄に暴れないで。余計に沈みますよ——」
「ばっちい手で、ぼくに触るな! おええええっ」
ああ、大惨事だ。ツクヨミ様の口からあふれ出たものは、川魚たちのエサになるだろう。
双子が協力し、岸へと押し上げる。
わたしは川べりに膝をつき、手を伸ばした。
「つかまってください!」
ぐい、と華奢な腕を引く。水を吸った衣が重い。
「う、うう……礼阿、助けて……」
ツクヨミ様はべそをかいている。ようやく岸に乗り上がり、倒れ込んだ体を抱きとめる。
「ツクヨミ様! 湖から出てこられたのですか?」
「うん……礼阿が困っているみたいだったから、勇気を出してみたんだ……」
ツクヨミ様が、青ざめた顔で口元をぬぐう。なんといとおしいことだろう。
それにしても、これほど早く文が出回るとは。編集長が良い仕事をしてくれたみたい。ありがとう。
背後で、じゃり、と砂を踏みしめる音がした。
「どこぞの勇者が馳せ参じたかと思えば、引きこもりの兄上様か。しけたツラを見せやがって」
スサノオ様だ。侮蔑の眼差しでツクヨミ様を見下ろしている。
「……なんだ、スサノオか。どうりでこのあたりの空気がばっちいはずだ」
ツクヨミ様がぼそりと言い返す。
ピキッ。スサノオ様のこめかみに青筋が立った。
「高潔な兄上様。表舞台に顔を出したのは、実に何年ぶりでしょうか?」
ツクヨミ様がゆらりと立ち上がった。
兄弟神が、真正面から向かい合う。
「ぼくは孤独を好むが、〝月読〟としての役目はきちんと務めてきた」
「世間からかくれんぼをしている臆病者に、何の価値もねえよ」
「加減も知らずに暴れまくって、他人様に迷惑をかけるよりはマシじゃないかな」
「兄貴は家族ののけ者だ。この、クソチビ」
「それはおまえも同じだろう。この、けだもの」
ぴんと張り詰めた空気の中、スサノオ様の手が天羽々斬のつかにかかった。
同時にツクヨミ様が袖を振り上げる。
この国で最高峰の兄弟喧嘩が始まろうとしていた——
ゴールデンウィークはお試しでいろんな時間に投稿してみます。




