9-3 それで、肝心のところは?
「まとめて破壊する。根の国ごとな」
わたしは息をのんだ。
スサノオ様は得意満面だ。
「天羽々斬を振るうたびに、風は木の根を吹き飛ばし、水は地をうがつ。目に見える場所、手の届く範囲だけじゃねえ。逃げ場を残さねえよう、その外まで削いでいく」
筋骨隆々の腕を大きく振り、見えない刃の軌道をなぞる。
「そうしたらよ、エンマの錫杖の動きが目に見えて鈍くなった。灰では嵐を止められねえ。エンマは風に翻弄され、水に足を取られた。根や地面に叩きつけられ、全身はずぶ濡れだ。おれがやつを〝ボコボコにした〟と言ったのは、話を盛ったわけじゃねえぞ。あどけないご尊顔も、見るに堪えねえ有様だった。風と水に叩かれ、まるで蜂の巣だ」
わたしは絶句した。その光景を嫌でも想像してしまう。ペンが指先から床へころんと転がり落ちた。
その途端、スサノオ様から笑みが消える。
「おい、小娘。きちんと書け」
その一言には、大太刀を突きつけるほどの威圧があった。ペンを拾い上げ、ひたすらに書き続ける。
「しまいには、エンマはおれの前に両膝をついていたよ。懇願するように見上げながら、こう言うんだ———〝黄泉の国へ続く道は、千人がかりでも動かせない巨大な岩で封じられた。これ以上は進んでも無駄だ〟と」
その声には、失望のため息が混じっていた。
「用がなけりゃ、これ以上暴れる理由もねえ。母上への謁見は叶わなかったが、無駄な足掻きは嫌いだ。まったく、先に言えよな」
スサノオ様は、やれやれと肩をすくめる。あなたが聞く耳を持たなかったんでしょう。喉までせり上がってきた罵りを、なんとか飲み込んだ。
「それで、おとなしく根の国を出たと」
「ああ。最後に一発、腹いせに、エンマに蹴りを入れてやったがな」
どこまで暴力的なの。
頭を抱えていると、スサノオ様は、舞台の幕引きと言わんばかりの軽さでつけ加えた。
「で、その日のうちに、エンマは〝閻魔大王〟になっていた。おれが覚えているのは以上だ」
「!? 今、なんて?」
「おれがやつをボコボコにしたその日に、やつは〝閻魔大王〟に成り上がったんだよ。腰抜けのくせに」
待って、待って、待って。そこがメインイベントなのに。さらりと済ませないでよ!
「どのような、いきさつですか?」
「知らねえよ」
「知らない!?」
ばん、と床を叩いた。今度は完全にわたしが厄介者の側だ。
スサノオ様は小指を耳の穴に突っ込み、露骨に面倒くさそうな顔をする。
「誰も知らねえ。興味もねえし。ただ、死者の裁きという制度と、冥府の城が、あっという間に組み上がり、あの臆病者がまんまと玉座に収まったわけさ」
「あっという間に!?」
「気づいたら、できていた」
「そんなこと、あり得ます!?」
「うるっっっせえなあ——」
しばらく黙ったが、我慢できず、心の声が漏れる。
「うわあ……」
「どうした」
「泣きそうです」
「なぜだ」
「一番肝心なところが、全然わからないからです。結局、スサノオ様がエンマ様をボコボコにしたという、くだらない武勇伝しか取材できなくて——」
「てめえ、ナメているのか?」
スサノオ様がぎろりとにらみ、指の関節を鳴らす。
それが視界に入らないほど、わたしは失望していた。
「それで、約束通り、おれ様に関する記事を書くんだろうな」
「はい」
「エンマが完敗した件も、細かく描写しろよ」
「……はい」
うなずくしかなかった。早く帰ってくれないかな、この人。
そして、ふと言い添えた。
「スサノオ様。もしかして——〝根の国〟まで行ったことを、お母様に知らせようとしているのですか?」
スサノオ様が、ぴたりと動きを止めた。
「何の戯れ言だ」
「似たような方の話を思い出して」
アマテラス様は、自らの行いを恋人に伝えるため、わたしに記事を書かせようとした。スサノオ様も同じことを願っているのではないだろうか。縁を切っても、姉弟は似ているのかもしれない。
「わたしの記事は、きっと黄泉の国までは届きません。でも、お母様は、とっくにご存知なのではないでしょうか」
「あ? 母上には会えていないんだぞ」
わたしは手帳を閉じ、胸の前で抱えた。
「あなたが、会いに行く性格——会いに行かずにはいられない性格ということは、ご存知でしょう。語られずとも、証人がいなくとも、我が子がどうするかを知っていて疑わないのが、親ではないでしょうか」
「おまえの母がそうだとしても、おれの母も同じとは限らないぞ」
「わたしには母はいません」
静かに言うと、スサノオ様はわずかに目を見開いた。
「でも孤児院の職員の方々は、いつも子ども同然に扱ってくださいました。何より、わたしには取材経験があります。取材相手は誰かの親であることも多かった」
思いをしっかりと象る。自信を持って言い切ることができる。
「自ら体験していなくても、積み重なっていく。完全にはわからなくても、想像できるようになる。それが記者なんです」
スサノオ様はわたしを値踏みするようににらんでいた。
「あまり生意気を言うな。おれ様を誰だと思っている」
「スサノオ様ですよね。亡くなったお母様に会うため、はるばる旅をするような優しい御方です。自分は荒くれ者だ、外道だと言いふらすのはなぜですか?」
わたしは小さく問いかける。
「その方が楽だからですか? そうやって自分を下げておけば、あとで失望されないから?」
スサノオ様は、ぎくりと身をこわばらせた。やがて小さく吐き捨てる。
「……うるせえなあ」
しかしそれは、先ほどまでの怒鳴り声とは違った。
母の顔を見たことがなく、他の家族との交流も断絶している。荒ぶる神と呼ばれる男も、胸の奥にしまいきれないものを抱えているらしい。
スサノオ様は、話題を変えるように鼻で笑った。
「それで、おまえはなぜエンマを好いているんだ? あの仏頂面の陰気野郎。趣味が悪いな」
わたしは慎重に言葉を選ぶ。
「好いているというか……上司だから気になるのです。今、〝閻魔〟の力を失いかけ、病気になってしまっているので」
「力を失いかけているだと?」
スサノオ様が目を細くする。わたしがうなずくと、忠告するように言い切った。
「冥府の陥落か。もはや死者は来ないだろう。エンマなど放って、さっさと逃げちまえ。じきに城が潰れるぞ」
須佐之男命編、爆速で終わりました…。
平日は毎朝7時頃、ゴールデンウィークはお試しでいろんな時間に投稿してみます。




