9-2 炎魔vs須佐速、強いのはどっち?
スサハヤ様は、たんすや棚の残骸の中に肘をついて寝そべっている。わたしはちんまりと正座し、膝の上で手帳を開いていた。こんな取材スタイルは初めてだ。
「では、エンマ様と会った日のことを、最初から話してくださいますか」
スサハヤ様が、じろりとこちらを見る。何もかもが気に入らないらしい。
「〝根の国〟って知っているか」
司命と司録が教えてくれた。地上からも冥界からもたどり着ける土地。かつてスサハヤ様が治めた国。そして——
「あなたが大国守命に嫌がらせをした場所、ですね」
「うるせえ!!!」
スサハヤ様が、こぶしでドンと床を叩いた。わたしの体が数センチ浮き上がる。でもペンは手離さなかった。偉い、偉いぞ、わたし。そう自分を奮い立たせるしかなかった。
「あの女たらしとのいざこざは、おれが〝根の国〟を支配してからの話だ。もっと前——ガキの頃に、一度だけ行ったことがある。短い訪問だ」
「何のために?」
「死んだお袋に会いに行った」
憤りが、すっと凪ぐ。野心でも破壊願望でもなく、母への哀慕が理由とは。そんな一面もあるのか。
「お母様……」
「すべての神々の祖、伊邪那美命だ。おれが産まれる前に死んだ」
わあ、さすがに知っている。ヒノテラス様も、ツクヨミ様も、改めてとんでもない家系なんだ。
「亡くなったお母様に会って、どうなさるおつもりだったのですか」
「どうもしねえよ。顔を見る。それだけだ」
スサハヤ様があっけらかんと答えた。そして不意に目つきが鋭くなる。
「言っておくが、おれはマザコンじゃねえぞ。涙の一粒も流しちゃいないからな」
「あ、了解です」
条件反射で返事をし、〝スサハヤ様≠マザコン〟とメモを取る。
とたんにスサハヤ様が怒鳴り散らした。
「書くな!!!!!」
「ええっ?」
「そんな記述があったら、逆にマザコンみたいだろうが! 消せ!」
わたしはうんざりし、メモをぐりぐりと黒塗りした。この人、沸点が低すぎる。
「それで、エンマ様はいつ登場するのですか?」
「てめえは、エンマエンマエンマエンマと……よほどおれには興味がないらしいな」
「誤解です!」
わたしは猛烈に否定した。実際、スサハヤノミコトという神話界のトップスターに興味がないわけがない。
「あなたの勝利の瞬間を、早く聞きたくて」
もごもごと言い訳をする。スサハヤ様にはそれで十分のようだった。そうだろう、そうだろうと高慢な態度でうなずいている。
「〝根の国〟に入り、お袋を探していると、どこからともなく錫杖の音が聞こえた。そこで出会ったのがエンマだ。年端もいかねえガキに見えた。可愛らしいもんだったぞ」
まだ帳面も冥府の裁きもなかった時代。エンマ様にも感情があったのだろうか。
「エンマ様はお一人で?」
「ああ。そして生意気にもたずねやがった。〝何をしにきた〟と」
スサハヤ様は、わざと声を裏返して再現する。
「おれは答えた。〝亡き母の元へ〟と。するとエンマは、〝そなたの母上がいらっしゃるのは、根の国ではありません。黄泉の国です〟と、悟ったような顔で説教しやがる」
「うーん……その二つの違いがよくわかりません」
「〝根の国〟は、行ったり来たりできる。〝黄泉の国〟は、後戻りできねえ。お袋がいるのは後者だと言われ、おれはプッツンときた。戦いの幕開けだ」
「ええっ、もう?」
急展開に、ぽかんと口を開けた。
「おれは回りくどいのが嫌いだ。話の通じない相手にすることは、ただひとつ。ぶん殴る」
「ほとんど話し合っていない気もしますけれど」
「根の国までの長い長い坂を下ってきたというのに、見ず知らずの男に通せんぼされてたまるかよ」
「それで、殴り合いに?」
「いや。あいつがそれほど勇ましいと、本気で思っているのか?」
スサハヤ様があざけり笑った。
「エンマは、迷わず逃げ出した」
——え。
「おれのこぶしを見るなり、くるりと背を向けて退散だ。みっともねえ」
スサハヤ様は上機嫌で、笑いが止まらない様子だ。エンマ様の部下にその失態を暴露できたことが、嬉しくて仕方ないのだろう。
「逃げ方もみっともなかったぞ。やけに周りを気にして、何度も何度もおれを振り返る。足元もおぼつかず、遠回りをしながら逃げるんだ。〝根の国〟はな、無数の木の根が絡み合い、それをかき分けながら進むような地だ。ああいう場所でちょろちょろと動かれると、うっとおしい」
「それでも追いかけたのですか」
思わずため息をついた。わかり切っていたことだが、本当に粘着質な男。エンマ様もお気の毒に。
「当然だろう。やつは足を止めないが、走りはいまひとつだ。さんざん逃げ回った挙句、おれがどうあっても追跡をやめないと悟り、観念して戻ってきたよ。腹をくくった顔でな」
〝エンマ様は走るのが遅い〟と手帳に書き加える。
「さあ、ここからが決死の戦いだ。百聞は一見にしかずと言うし、再現してやろうか?」
「結構です」
スサハヤ様は舌打ちをした。ぶつぶつと不平をこぼしながらも起き上がり、あぐらをかいて身を乗り出す。
「じゃあ話すからな。だがいいか、これはただの昔話じゃねえ。生きるか死ぬかの交わりだ。聞き漏らすな」
荒々しい視線に貫かれる。
「お願いします」
脅されずとも、そのつもりだった。一言、一息たりとも余さず受け止めてみせる。遥か太古の戦いが、今、言葉でよみがえろうとしていた。
「おれは天羽々斬を抜いた。こぶし十個分の長さがある、伝説の大太刀だぞ」
スサハヤ様が得意げに胸を張る。
「刃が意思を持ち、風を呼び寄せる。軽く一振り。それだけで風が走る。次に水だ。洪水のように噴き出す。根の国は湿っているから、なおさら派手に暴れる。天羽々斬を前に、最初から逃げ場所なんざねえはずだ」
ここで、声が少し低くなる。獣のうなり声だ。
「ところが、あいつは違った。錫杖で地面を突いた瞬間、あたり一面に灰が舞った」
スサハヤ様の眉間に影が落ちる。焦らすような間が空いた。そして。
「何も燃えちゃいねえ。壊れてもいねえ。それなのに、すべてが終わったあとのような灰が降りやがる。風に混じり、水に沈む。勢いが削がれる。刃が重くなる。初めてだった」
スサハヤ様がぐっと歯を食いしばる。当時の緊張が、そのまま今の体に乗り移ったようだ。
「どれほど太刀を振ろうが、風も水も前に進まねえ。世界そのものが終わっていく感覚だ。だから、おれは自らの足で踏み込んだ。距離を殺す。間合いごと潰す。風も水も、全部引き連れて」
わたしもまた、物語に懸命に食らいついていた。鼓動が速い。
「太刀をエンマの顔面に振り下ろす。錫杖で受け止められる。灰が舞い、むせる。避ける。今度は胴をめがけて斬る。かわされ、錫杖を突き出される。舞った灰を、また斬る。いつの間にか、おれが逃げているような気分にすらなった。斬っても斬っても、終わりが追いついてくる」
耳をつんざく金属音、次いで風が鳴り、灰がさざめく音が、幻のように耳の奥で響く。語り口から察するに、スサハヤ様はエンマ様の実力を否定してはいないようだ。
「太刀筋だの、間合いだの、細けえ駆け引きはここまでだ。小細工が通じねえなら、力で押し潰す」
スサハヤ様は両てのひらを合わせた。ぐっと圧縮するような動き。
「どういうことですか?」
わたしの問いに、スサハヤ様がにやりと笑う。
「まとめて破壊する。根の国ごとな」
わたしは息をのんだ。
……ああ、エンマ様が負けてしまう。
天羽々斬は、十拳剣の中の一本。八岐水蛇を退治したのちに、そう呼ばれるようになりました。並みの体格では扱えません。
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