8-2 半分足す半分は、いくつ?
わたしは思わず玉座の陰から飛び出した。エンマ様が放つ圧の中へと踏み込む。
「だめです! 話をしなくちゃ!」
するとエンマ様の肩越しに、桃鬼さんがかすれ声で言った。
「もうおれから話すことはないよ」
「じゃあ、話すべきはあなたです、エンマ様」
喉が乾く。それでも言葉を押し出した。
「桃鬼さんたちを冥府に残したこと、半鬼にしたこと……すべて意味があるのではないですか?」
エンマ様は振り返らない。しかし襟首を握る力が、ほんの少しだけ緩む。そのわずかな変化を見逃さなかった。
そのとき、小さな人影が広間に現れた。入り口のすぐ外に倒れている司命と司録の体を、ふぎゅっと踏みつけにし、わたしたちに駆け寄る。
桃爺と桃婆だ。
「わあああああん!!!」
大きな泣き声が、張りつめた空気をぶち破る。幼児二人が、桃鬼さんの割烹着の裾にしがみついた。
「桃坊は、自分のために反乱を起こしたのだと思っておった! それならばと協力したのに……」
「わたくしたちの仕事のことをそれほど気に病んでいたとは、知らんかった」
「わしらは好きで、めーふに残っておるのじゃ」
「桃坊のことが、かわいくて仕方がないからじゃ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、口々に叫ぶ。
「好きで残っているって、どういうこと?」
なんとかなだめようと優しい声で問いかけると、桃爺と桃婆が飛びついてきた。鼻水がべっとりと官服につく。
「生前のわしらは、桃坊よりも先に寿命を迎えた。ともにめーふに来たとき、エンマどのに泣いて頼んだのじゃ」
「ここで桃坊を待たせてくれと……」
桃鬼さんが、はっと目を見開いた。
桃爺と桃婆は、「なさけない……なさけない……」とつぶやきながら、拝むように手をすり合わせている。
わたしは首を横に振った。
「情けなくなんかない。家族にもう一度会いたいと思うのは当然だよ」
共感を見せるのは、対象者の心を開き、発言を促すための取材テクニックのひとつだ。
でも、この共感は嘘ではない。瓜生先輩にすら再会できて嬉しいと感じたのだから、家族なら尚のことだろう。
「エンマどのは、長いあいだ考えこんでいたが、やがて言った。『ここに残るなら、仕事が必要だ。存在意義がないことには存在することはできない』と」
「そこでわたくしは、料理はどうかともちかけた。エンマどのは『腹が減るのは厄介だが、いいだろう』と承諾した」
わたしは桃鬼さんに目を向けた。
「わたし以外にもいましたよ。冥府で働きたがる物好きが」
「……気が合わないな」
桃鬼さんがかすかに笑う。
エンマ様が、つかんでいた襟首を解放した。
桃鬼さんは地獄の門を背にずるずると落ち、床に座り込む。
二人から殺気が消えている。よかった。わたしは、今しがたの桃爺の発言で引っかかったと点を掘ることにした。
「失礼なことを聞いてごめんなさい。桃爺と桃婆は一緒に冥府に来たんだね。ということは、同時に亡くなったの?」
桃爺と桃婆が、気まずそうにちらちらと顔を見合わせる。
その沈黙を割ったのは、桃鬼さんだった。
「おれのせいだよ。じいちゃんとばあちゃんが死んだのは」
「ちがう! それは断じてちがうぞ、桃坊!」
桃爺と桃婆が必死の叫び声を上げた。
しかし桃鬼さんは、力なく首を振る。
「おれが鬼ヶ島から財宝を持ち帰ったその夜、家に強盗が入ったんだ。おれは外で女遊びをしていて、気がつきやしなかった。大金をばらまき、酒を浴び、帰ってみたら——じいちゃんも、ばあちゃんも、死んでいた」
桃鬼さんの瞳は虚ろだった。心が泣いている。あまりに長く自分を責め続けてきたのだ。
「でも、それは……桃鬼さんのせいでは……」
思わずそう言いかけ、口をつぐんだ。他人の死に軽々しく踏み込むものではない。
しかし、わたしの膝にすがる桃爺と桃婆は、力強く同意した。
「そのとーり。桃坊のせいではない。じゃが、桃坊が、じぶんのせいだと思うことはわかっとった。優しい子じゃからのう」
「だから、めーふで待ちたかったのじゃ。おまえのせいではないと、言うてやりたかった……」
理屈でも正しさでもない。一人息子への愛だ。それをエンマ様が汲み取り、冥府に残した。
——しかし本当にそれだけだろうか? 自責の念を抱えて生きる者は、他にいくらでもいる。届かなかった言葉を抱えたまま死んでいく者も。そのすべてが救済されるわけではない。
あの論理的なエンマ様が、桃鬼さん一家だけを特別扱いするだろうか。
エンマ様は何も言わない。だからわたしが証そう。この御方の、当時の思いを。
「桃鬼さんたちだけじゃない。冥府には、鬼ヶ島の色鬼たちも暮らしています。しかも、争いもなく」
わたしは桃爺と桃婆の頭を撫でた。柔らかな髪の間から、鬼の角がちょこんとはみ出している。
「あなたたちは半鬼。人間でも鬼でもないけれど、どちらにもなれる。橋のような存在です」
過去、現在、未来へと意識を繋げていく。
「あなたたちは、昔話が完結した時点ではなく、鬼たちと和解して初めて、日本の平和の証人になる。エンマ様は、そのための場所を作りたかったのではありませんか?」
桃爺と桃婆が息をのんだ。
エンマ様は黙ったまま否定しない。それで十分だった。
桃鬼さんが乾いた笑い声を出す。
「ははっ……期待外れで申し訳ないが、おれたちは証人とやらになれやしないさ。同じ場所に立っているが、それはあくまで仕事だからだ。ただの仲良しごっこだよ」
くだらない、と言いたげな顔。それでいてさみしそうだった。
わたしは反論を試みる。
しかしそのとき、ドドドドと廊下を打つ足音が響いた。厨房の色鬼たちが、広間になだれ込む。桃鬼さんたちとおそろいの割烹着姿で、火と湯気とお総菜の香りをまとっている。手には包丁やフライパンを掲げていた。
そして走り寄るがいなや、エンマ様を押しのけ、桃鬼さんの周りに群がる。二十体ほどの勢いに負け、エンマ様はよろめき、尻もちをついた。ごめんなさい、ちょっと面白い。
「桃坊、怪我をしたのか!? エンマ様にやられたのか!?」
「わしらは休憩中だったから、何が起きたのかさっぱりわからん!」
「あの不愉快な双子も、すぐそこに転がっとるし……」
「エンマ様、桃坊が何をしでかしたのかは知らんが、許してやってくだされ」
「この子は、ただのあほうじゃ——」
「だめと言うなら、わしらが相手になりますぞ!」
調理器具を片手に、口々に抗議をする声。赤鬼、青鬼、黄鬼……色鮮やかな壁が、エンマ様の前に立ちはだかった。
エンマ様は驚き、まばたきをしている。
わたしは振り返った。
「ねえ、桃鬼さん、これが何よりの証ではないですか」
桃鬼さんはぽかんと口を開け、色鬼たちの背中を眺めている。
「彼らが今ここに来たのは、仕事だからですか? 違いますよね。あなたがいるからですよ。お互いに向き合ってきたから、こうして守られているのでしょう」
桃鬼さんの瞳が移ろいだ。何かを否定しようとして——できなかった。
やがて目を閉じ、子どものように膝を抱え込む。
「……あほうは、おまえらだろ」
うなだれたその姿に、桃爺と桃婆、色鬼たちの気配が寄り添っていた。
桃爺と桃婆の姿が幼児である理由は、強盗に惨殺される中で、精神が子ども返りしたからです。
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